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リスクアセスメントは科学か?

PSW  羽間平人

 おりふれ編集部の木村朋子さんからリスクアセスメントについて書いてみないかとすすめられたのは、2月に東京精神医療人権センターの勉強会でリスクアセスメントについて発表させていただいたときのことなので、はや半年以上前のこととなってしまいました。こんなに遅くなってしまったのは、私の怠惰さによるところが大きいのはもちろんですが、心神喪失者等医療観察法などというその出自自体非論理的な制度(「池田小事件をきっかけに、殺人などの重大な事件を起こした心神喪失者の円滑な社会復帰を促すため、与党プロジェクトチームが強力に推進した」と自民党ホームページにもありますが、この事件のTさんは通常の刑事司法手続きにより死刑が確定した上、異例の早さで刑の執行がなされており、社会復帰することもありません。)に導入されたリスクアセスメントなる概念の怪しさなどに興味を持っていただけるものだろうかと先延ばしにしてしまったということもあります。

 このリスクアセスメントというものは、刑事司法の分野では、少なくともアメリカ合衆国においては仮釈放審査などで広く用いられている方法のようです。再犯のおそれを評価して、それをもとに処遇を選択するというやり方です。

 リスクアセスメントは「保険数理統計的方法」とされていますが、これは関連する(あるいは関連するであろうと考えられる)要因を数理的に解析して評価する方法というほどの意味です。

 類似の方法としては、医学における疫学epidemiologyが挙げられます。疫学とは、(1) 疾病異常の頻度と分布の把握 (2) 発生要因の発見 (3) 因果関係の判定 (4) 対策の樹立 という方法です。当然ながらこの方法は、疾病の本態への指向性を有するものです。本来は風土病などの伝染病の研究として行われていたものですが、現在は慢性非伝染性疾患を対象として化学物質の人体への影響なども研究されています。精神科領域ではアルコール症の人種間有病率の較差に着目して、アルデヒド分解酵素の寄与が明らかにされたことなどが有名です。一方、保険数理統計的方法では,多変量解析が用いられ、コンピューターによるデータ処理が必要という意味では「科学的」(あるいは「科学風」)ですが、因果の機序はブラックボックスに留まることになりがちです。解明を目指していると強弁することは可能ですが、少なくとも「医療観察法」が対象とする再犯のおそれを現在のアセスメントツールで解明することは到底不可能です。

 アセスメントツールとして有名なHCR-20(Historical,Clinical and Risk Management 20 Items)についてみると、

H-1 過去の暴力 H-2 初犯暴力時の年齢 H-3 対人関係上の不安定性 H-4 就労問題 H-5 物質乱用 H-6 精神病 H-7 精神病質 
H-8 早期の不適応 H-9 人格障害  
H-10 保護観察上の失敗

C-1 内省の欠如 C-2 ネガティブな態度
C-3 精神病の症状の病勢 C-4 衝動性
C-5 治療への反応性不良

R-1 計画の実現可能性欠如 R-2 不安定化要因への暴露 R-3 個人的なサポートの欠如  R-4 服薬コンプライアンス不良 R-5 ストレス

という20項目の評価点の合計で、潜在特性である「再犯のおそれ」を評価するというものです。

 このリストだけでも、H-6精神病とH-9人格障害はDSMではⅠ軸診断とⅡ軸診断の合併としてとらえることも多いのでこれはともかく、H-7 精神病質はいかにも屋上屋を架すという印象を持たれる方も多いと思います。しかも、「精神病質」という歴史的概念がいつの間に復権したのかと奇異に感じられる方も多いでしょう。1990年代にPCL(Psychopathy Check List)と再犯の研究が数多くなされ、このPCLは、HCR-20などのツールに取り入れられているようです。「精神病質」の概念の検討がなされてというより、項目としての有用性からアセスメントツールに採用されるのだろうと考えられます。

 リスクアセスメントとは、「再犯のおそれ」を数量的に評価する方法であるとしても、ある個人に関する評価はアセスメントツールによる評価点でしかないのです。つまり、リスクとは、リスクアセスメントツールによって測られたものというレベルです。これは、常識的に考えれば、トートロジーとして一笑に付されてしまう程度のものですが、結果的に役に立てば有効な指標であるというのが、保険数理統計的方法の論理(「操作的定義」と呼ばれることもあります。)です。

 従って、リスクアセスメントは、役に立っているかどうかの基準に照らして初めて成立しうるという性質のものですが、現在のところ「偶然よりまずまずましな」(moderately better than chance)というレベルに留まっているようです。このbetter than chanceとは、ある集団を全く再犯と関係のない基準で(名前の50音順など)並べたのと比べてという意味です。そして、どれほど有効かの評価の基準としてAUCというものが考えられています。この基準は、感度と特異度からアセスメントツールを評価するもので、感度とは再犯した者のうちハイリスクと判定されていた者の比率、特異度とは再犯しなかった者のうちローリスクと判定されていた者の比率を言います。感度と特異度は、いわゆるトレードオフの関係にあり、どのようなツールを用いても、当然のことながら、全員をハイリスクと判定すれば感度は1となるが特異度は0になり、全員をローリスクと判定すれば感度は0となるが特異度は1になります。○×式に喩えると、全問×と回答すれば正解が×の問題についてはすべて正答(感度1)でも正解が○の問題についてはすべて誤答(特異度0)となります。逆に全問○と回答すれば正解が×の問題についてはすべて誤答(感度0)でも正解が×の問題についてはすべて正答(特異度1)となります。通常○×式の場合は、正解が○×半々程度に作られていることが多いと思いますが、リスクアセスメントの場合再犯の比率は様々なので、好意的に考えれば、再犯率の異なるデータの間でツールの有効性を比較するために必要な指標ということになるのでしょうが、感度と特異度のとる値を2次元的に評価するという指標は、分母に標本全体がとられていないため全標本のうちでどれくらい予測できているかがつかみにくいという欠点があります。AUCは0.5から1までの値をとり得るとされています(相関係数などに比べて値だけは大きくでる基準ですが、本質的な問題ではない。)。これの意味するところは、全くランダムな方法(名前の順のような)でリスクを予測(!)した場合のAUCは0.5となり、完全に再犯を予測できるツールが(もしあったとすれば)AUCは1となるということなのですが、正確にはツールを開発したときの限られたデータでは0.5から1までの値(0.65くらいあれば、よいとされているようです。)をとったというだけで、本当に予測に用いた場合にその程度の有効性が保証されているわけではありません。数理統計的な方法には、偽相関という現象が知られています。例えば、英語の学力を予測する場合、学力レベルの比較的均質な私立中学の男子生徒を対象とするならば身長は英語の学力をかなり予測できると考えられます。身長と英語力自体には因果がなくとも、英語教育を受けた期間と英語力は高い相関があり、英語教育を受けた期間は年齢でほぼ決まってしまうので中学生男子では身長と高い相関があるため、みかけ上は身長と英語力に相関が生じるのです(中学生女子では、身長と年齢の相関が低いため、身長と英語力の相関も低くなります。)。リスクアセスメントのように多変量の場合、偽相関を指摘することは困難で、ツールを定期的に改訂していくことが必要になります。アメリカの仮釈放審査などでは、裁判所管区ごとのツールの開発が推奨されているほどで、普遍妥当性を有する再犯リスクアセスメントツールなどあり得ないものと考えられます。現に、統合失調症の診断は、上記のHCL-20ではハイリスクの要因とされていますが、別のVRAGというツールでは全く逆の要因とされています。これは、開発時には有効とされていたツールであっても実際にはAUC0.5を割り込む(名前の順番よりもはずれる)可能性が存在することを示唆しています。

 結局のところ、リスクアセスメントパラダイムとは、先の○×式の喩えに戻れば、与えられた問題個々の正誤を検討するのではなく、問題群を仮定された潜在特性である「×っぽさ」の順に並べかえることに血道をあげる営為と考えることができます。

 この滑稽な努力の社会的背景は、合衆国の刑務所事情にあると思われます。欧米では刑務所の過剰収容の問題は一般的ですが、特に合衆国では、受刑者に対して過剰収容を理由に提起された行政訴訟の賠償金を払う必要が生じる反面、仮釈放された受刑者が仮釈放期間中に起こした重大再犯事件の被害者から仮釈放処分によって被害が生じたとして提訴されるといったことがあります。過剰収容を緩和する為には仮釈放が必要であり、これに何らかの「科学的な」基準を明示して後のタイプの訴訟にも備える必要があるのです。いずこも同じ「箱物」の都合とは言え、「医療観察法」では、わざわざ「箱物」を作って、それを埋める都合なだけに、実際の運用に関心を持ち続ける必要があると考えるのは、筆者だけではないと思います。

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連載第5回「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田 公子

○揺らいでもいい(?)
 私はかつての職場では、職員間の人間関係でどんなに悩んでも、憤っても、「感情的になったら負け」という想いで自分の感情を押し殺してきた。また作業所では「完璧な」責任者であろうとしていた気がする。私を信頼してくれていたあるメンバーから、「欲を言えば、もっと隙を見せて欲しかった」と評されたこともあった。当時のそんな私は今から思えば揺らぐことのない、弱さを見せることのない、メンバーによっては冷たくさえ感じる職員だったかもしれない。またそこには、職員(=支援する側)は的確な判断のもとに「支援方針」を考えたり「課題を把握したり」するもの、という福祉の領域での一般的な意識が背景にあったと思う。そんな私が、スタッフ会議で自分の発言が伝わらないもどかしさのあまり号泣したり、利用者とのかかわりの中でも泣いてしまうことがある。

 ある日、Bさんと職員の間でトラブルがあった。私はBさんの担当職員であり、私とのトラブルもかつてあったが、私も謝るべきことは謝りBさんも謝ってくれた。そんなこともあり私とBさんとの間にはある程度の信頼関係が出来ていると私は思っていた。そして何よりやさしい絵と文章を書くBさんを信じたかった。だからBさんの行動には何か理由がありそれをまず聞きたいと思って声をかけた。しかしBさんは「私をこれ以上責めないで」とうずくまり、話し合う時間をもつことを拒否した。「責めるのではなくその時の気持を聞きたいのだから」と何度言っても頑なに拒否するBさん。私は「なぜ?」という想いがこみ上げ、泣き出してしまった。ひたすら拒否して顔さえ上げてくれないBさんに向かって私は泣きながら、「これまでいろんなこと話してきたじゃない、私の言うことも聞いてよ」と声をふり絞って言った。その途端、Bさんはキッと振り向いて私の顔を見、「分かった」と言ってくれた。私はBさんと気持が通じ合ったことに安堵したと同時に、自分自身に驚いた。そしてきちんと向き合えば、揺らいでもいいんだ、と思えた。一緒に悩み、時には揺らいでもいい、と。

 また私自身が今に至るまで回復してこれたのは、誰かが「的確な支援方針・page001方向性」を示して対処してくれたからではなく、「職場を辞めたい、いやもう少し続ける」と何十回となく繰り返し続けた揺れにパートナーや友人たち、主治医などが一緒に悩みつき合ってくれたからこそなのである。(つづく)

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投稿 スッパ抜き!私の東京精神病院入院体験事情

老川哲美

<1990年代の長谷川病院>
 急性期病棟(閉鎖)は若い患者が多く、個室と2人部屋のみで大部屋はない。レク室でカラオケが出来たり、風呂掃除やコップ洗い等が当番制になっている。
 慢性期病棟(半開放)では、カラオケとして月2回位の頻度で、病棟内のレーザーディスクで行う。喫茶レクでは他病棟の患者と思われる白衣を着た男性数名が来て、ジュース券を配り、数種のジュースを注ぐ。3時のお茶には、いつもカフェインレスコーヒーが出る。というのは、カフェイン摂取で患者が眠れ(ら)なくなるのが困るから。連絡通路付近の1病室がリハビリ組になっており、リハビリ組のみがトイレ掃除当番を受け持つ。外国人(白人、アジア系)のセラピストが、ごくたまに来てダンスセラピー等を行い、見学もしてゆく。集団旅行があったり、小遣いについては各自あるだけ使え、自由である。
 個室にはトイレ、洗面台と覗き窓が付いている。外に面した窓ガラスには鉄格子があり、その丁度下を職員が通り、煙草の吸い殻等を見てまわる。患者のベッドの上部に“約束事”という紙が貼られる。例えば「○○さんへ、・・・をしたら抑制です」といった内容のもので、患者はサインを命じられる。
 野川周辺にある“散歩コース”には、絶えず私服の職員が居り、少しでもコースから外れた場合自転車で追いかけてきたりする。外出から帰るとボディチェックがあり、主に看護者がポケットの中などを見たりするが、靴の中などまではチェックしない。
 生活保護の患者は施設に行くか、多くの年配患者は余生を病院で過ごす様になる場合もある。

 全体的には、「重症患者でも受け入れている」とされる病院で、中庭に自動販売機数個、ベンチ、喫茶室があり、入院時CDデッキ等の持ち込みも可能(ただしコードは不可、電池のみ)で、患者一人につき担当ワーカー1人、特に若い患者には受け持ち看護者がつく。面会時にはソファーのある処でも面会できるが、面会時余った菓子等は持っていることが赦されず、捨てられる。煙草は一人当たり1日1箱位で、好きな銘柄をリクエスト出来る。またコンタクトレンズ等が必要な場合、ワーカーが業者を呼び、院内で調節して購入できる。散髪やパーマもできる。女子手入れ室(毛剃り等)は、看護室の中の仕切りカーテンがある洗面所で行う。危険物を貸し出したりもする。
 他科(内科、皮膚科等)の診察は、看護室の中で行われ、これは月数回希望者のみとされる。歯科(患者間では「腕が悪い」との評)がこぢんまりと併設されて在るが、看護者若しくは体格のいい男性職員が患者に付き添い、病棟に帰るには看護者等が迎えに来る迄待たねばならない。その間絶えず職員が散歩中の患者などを見張っているという状態だった。理不尽なことをした看護者が、内科病棟に回されたりしたことはあった。
 入院患者の間では「もうお金がない」という声が多く、差額ベッド代として個室は1日1万円、大部屋で5千~7千円かかった。
 ナースコールは全ベッドに付いている。拘束の場合、大抵は尿カテーテルを使用するが、男性職員の前で女性患者がオムツをさせられたとの声も聞く。拘束の度毎に、天井に付いているマイクロフォンで看護室にすべて聞こえるよう、スイッチを入れ替える。自殺未遂の患者には、ベッドから半身を起こすような少し変わった拘束の仕方も見受けられた。また拘束の際、男性職員が必要な場合には、電話連絡で別の階からすぐ来るようになっている。拘束の際には、特にヒモ抑制の場合、両手足首に入らねばならない間隙は指2本位とされていた。患者からは、拘束と投薬量の多さが特に云われていた。
 警察というよりは民間警備会社からの委託を受ける。長谷川病院が、家族等に警備会社を紹介していることもあり得る。また家族が望んでも、なかなか退院させて貰えないケースも多い。退院時にも、「器物破損、大量服薬等の自傷行為、家庭内暴力のいずれかが出た場合、再度入院することをお約束します」などの再入院の契約書にサインをさせられる。この契約書に患者がサインしなければ退院は出来ないと言い渡されていた。大抵の患者は再入院の繰り返しである。
 特色としては、看護者が頑張り、医者はおまけに付いている様な病院と言える。

<1990年代の関東中央病院>
 1980年代末に、白壁から薄ピンク壁の病院に新築され、広い中庭を持つ総合病院となった。他科の病棟だが、当時流行した安達祐美主演のドラマの舞台にもなった。
 男女混合の開放(午前6:00~午後9:00)病棟で、実習の学生も多く来ていた。外食、買い物も自由だった。週間プログラムとして、毎日様々な療法が組まれていた。砧公園や馬事公苑への集団散歩もあり、砧公園内の世田谷美術館にも出向けた。個別に患者と看護者、或いは患者と医師が私服で一緒にお茶をしたりする自由な雰囲気もあった。また看護者からの差し入れが患者に振る舞われることもあった。
 長谷川病院と連携プレーをしており、交互に再入院する場合もある。そうした場合、警備搬送会社を患者の家族に伝え、自宅から病院へと患者を移送する。
 PICU(精神科集中治療室)→個室で身体拘束することもよく行われていた。週1、2度清拭といってお湯で絞ったタオルで身体を拭いてくれたり、看護者が本を読んで聞かせてくれることもあった。拘束される期間が半年くらいになると足が立たなくなる。病室内に畳を敷いてもらい、その上に座ってラジカセを聴いたりした。別棟の理学療法室に通いリハビリをしていた。
~事件として~
 いわゆる思春期病棟だが、当時の若手の男性医師3人(今現在は3人とも居ないー1人は死亡、2人は開業した)の患者に対する全面的な暴力が絶えなかった。首を片手で締め上げる、押さえ込み口をふさぐ、バットで身体を打つなどである。若い男性患者が医者に歯をへし折られた。入院の際、患者が職員に殴られた後注射をされ眠った現場を目撃した他の患者に、看護師が「見たくないでしょう」と告げていた。中高生の患者は我慢し、というか事態の大きさに怯え交番に行か(け)なかった状況である。知的障害を併せ持つ若い女性患者も入院していたが、この人も顔面を殴られ鼻血を出したり、他の若い女性患者も顔面打撲の怪我をさせられた。私自身も、顔を机に数回ぶつけられたり、うつ伏せにされ背中に乗られて、頭を床に打ちつけられたり、首を片手で掴まえられて棟内を引きずり回されたりした。看護師長が「哲美(私)を殺さなきゃ」と変な注射を打たれそうになった際、他の看護師と主治医が止めてくれたこともあった。(自分の体験を語るのは辛いものです)。またこれら医師の1人が自分の受け持ち患者の胸を触るとか、男性患者から女性患者へのセクハラ等も見えない処で多々あった。

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第48回日本病院・地域精神医学会に行ってきました

にしの木クリニック 北原真樹

10/7~8、この時期にしては暑い福岡だったが、この学会も熱かった。当事者や従事者の垣根を超えた数々のその議論の中で、個人的に印象に残った発表でのエピソードを2点紹介させていただきます(詳しい内容については学会のホームページ等を参照なさってください)。
ひとつは、いわゆる医療観察法について、その是非を問う2つの発表。反対・賛成それぞれの見解が出され(ちなみにこの学会では反対撤廃派が圧倒的のようですが)ました。反対意見として出された発表は、この法律・制度の不備や人権の侵害を整理して述べられてました。これに対して、当事者が鑑定中に調子が悪くなったときの配慮はどうするのか、という質問があり、現在ガイドラインを策定中のよう、という曖昧な答えには腑に落ちないものがあったものの、概ねフロアが納得する内容でした。一方で、実際に「医療観察」に携わる医師の発表はこの制度を冷静に妥当評価するものでした。環境に配慮されたきれいな個室で、さまざまな職種の支援を受け18ヶ月程度で「社会復帰」させる(1年半後が「たのしみ」ですが)、とのことで、普通の措置入院より待遇がよいのでは?と考えさせられるほど、勉強不足の私にとっては衝撃的な内容でした。この発表に対しては当然ながら(?)フロアから多くの意見が飛び出しました。こんなひどい法律を肯定するような人間を呼んだのは誰だ、1人の当事者に多くの支援者がとりまくのは屈辱ではないのか、この制度のせいで一般の精神医療の財源が圧迫される、全国30万人の入院患者も置き去りにしないでほしい等々・・・。解釈は人さまざまですが、異論も得た上で物事を判断することの大切さを思ったのと、当事者のやり場のない気持ちの強さを感じました。
もうひとつはデイケアの分科会の中での発表。ある若手職員が仕事の重圧につぶされそうになるが利用者との関わりの中で徐々に立ち直っていく、という話。よくある話かもしれませんが、それを公の場で本人が披露するという勇気、他のスタッフもそういう問題をオープンにして解決しようとする姿勢に感銘を受けました。話の中で、若手職員のいじめられ体験を利用者に打ち明ける、というエピソードがあり、こういう援助技法もあるのか、と考えさせられました。きっとそのデイケアのグループ全体もこのことをきっかけに大きく変化したのではないか、と感じました。医療福祉従事者の燃え尽き症候群は、当事者にも、職員への不信感という悪影響をあたえます。またその原因には複合的な問題が考えられ、私自身も取り組んでいきたい課題のひとつとして胸にしまっていたので、大変刺激を受けました。
実をいうと、軽い気持ちで出発した学会でしたが、今後の自分自身の仕事にどう活かしていくか、深く考えなくてはならない「みやげ」を抱えきれないくらい持って帰ってきてしまいました(笑)。

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医療観察法関連の出来事―2題

東京精神医療人権センター  小林信子

 大きな反対運動が繰り広げられ、収容施設も整わないまま、7月15日ついに「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(医療観察法と略す)が見切り施行されてしまった。かなり時間がずれてしまったが、医療観察法に関連する出来事を2つ報告する。

1)国立武蔵病院・第8病棟外部評価委員会について
 「センター」の小林はこの委員に委嘱されました。かねてから国立武蔵病院の医療観察法の病棟スタッフからその旨の打診があり、「センター」事務局会議で承認された後、人権擁護のために受諾しました。「センター」も私個人もこの法律には反対してきて、その考えは変わりませんが、法が施行された以上収容者の人権擁護は必要である、その機会は逃すべきではないと考えたのです。法の不備で廃案にも・・・という期待もなくなり、覚悟を決めたのでした。9月になれば病棟に対象者の収容が始まるので、8月31日、急遽第1回の会議がメンバー顔合わせを目的として、開催されたわけです。
 国立精神・神経センター武蔵病院8病棟(これが正式名称)は、法には制定されてはいないが独自に?外部評価会議規定を設け、その目的は「8病棟の運営状況や治療内容に関する情報公開を行い、その評価を受ける事で新病棟運営の透明性及び医療の質を確保し、もって円滑な病棟運営を行なうこと」である。構成員は、院長や運営局長(総務部長?級)、他病棟の医師1名、8病棟の担当医3人と看護師長、司法研究所長という“内部”委員に加え、保健所と小平市健康福祉部長という自治体関係者(これは半内部に分類されている)、外部から精神医学の専門家1名(中部センター長)、法律関係者1名(池原弁護士)、精神保健福祉関係者1名(小林らしい・・)となっている。私は外部委員のそのまた外部のようだし、委員会も基本的に年2回の開催を予定しているだけとのこと。これでは、何をチェックできるかわからないので、池原弁護士と協働して、できるだけ病棟内部に入って患者さんの相談及び権利擁護活動をする事を病院に申し入れた結果快く受け入れられた。私は「センター」として、池原弁護士と共に月2回、一緒に出張相談をする事にした。この活動を、一般の精神病院へも拡大していくぞ!という野心もあるし・・・。
 検察は措置入院という制度があることを忘れたかのように、全治1週間の怪我など、軽い傷害事件でもどんどんこの法律を適用している。一方で、審判の実態もわからず、国立武蔵病院が開棟第1号なので(花巻病院が10月始動した)、10床の急性期ウイングはすぐに満床になってしまうだろう。現在は、意識が高く手厚いスタッフと環境のよい病棟で、患者の権利も保障されている8病棟だが、問題は退院審判と退院後の処遇だろう。再犯予測だの何のというより、「センター」の経験から見て、地域社会の厳しさと資源の欠如が退院を困難にしているという精神保健福祉法の現実を踏襲するようになるのではないかと私は悲観的な見方をしている。

2)第1回社会保障審議会医療観察法部会傍聴
 医療観察法第95条では、処遇改善請求ができる事になっていて、96条では、その「処遇改善請求の審査」は社会保障審議会が行なうことになっている。というわけで、社会保障審議会の専門部会とでも言うべき医療観察部会が先日泥縄式に制定され、さる9月21日に第1回部会が開催された。厚労省はかなり防衛的になっていて、この開催日をネット上で知らせた翌日には「傍聴は一杯になって締め切り」となっていたが、実際はガラガラだった。構成メンバーは5人、法律家2人はこの法に賛成した大学教授2人(辻伸行氏・岩井よし子氏)と、社会福祉関係はPSWの教授の寺谷隆子氏、医者2人も大学教授(高橋清久氏・山内俊雄氏)という優雅な?メンバーである。行政が「精神医療審査会をお考え下されば・・・」と説明していたが、メンバーは審査会の内容もよく知らなかった。医療委員が2人で、学者の法律家を2名にして審査会とは違いを持たせた小細工が目立った。いろいろなことが不明瞭なまま、行政からの説明と顔合わせで終わった歯がゆい部会だった。議論の中で、精神医療審査会と異なり入退院
はこの部会では取り扱わず、審判で行う事を確認したメンバーからホッとした?笑いがでていた。各自があまり任務を理解できていないように見えた。
 この部会に審査請求をする具体的連絡方法―ダイアルインの番号―もその場では確認されなかったし、委員も質問もしなかった。またこの日、社会保障審議会は原則公開なので私達は傍聴出来たが、今後具体的な処遇改善の審議では、プライバシーの問題があるので非公開になると思われるが、そのことも話し合われなかった。また、医療観察法部会は目下この一斑のメンバーだけで、対象となる入院施設の一つは国立武蔵病院だが、医療委員でこの部会長も兼ねる高橋清久氏は、武蔵病院のOBで名誉総長である。当事者の排除という規定はないのだろうか。
 「きれいな病棟だし、スタッフは厚いし、まだたくさんの患者が入院しているわけではないから・・・」と、処遇改善申し立ては当分来ないでしょう・・・という“お飾り”的雰囲気で終わった部会だった。拘禁的な法律の中だからこそ処遇改善を保障するという緊張感が全く欠如した、先行き心配の多い医療観察法部会の初回だった。
 今後も、それぞれの立場でこの法律を監視してゆきましょう。

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WFMH(世界精神保健連盟)カイロ大会とは何であったのか

日本カナダ国際精神保健交流協議会 岡本省三

 お断り:本稿は、カイロ大会を報告すること自体を意図したものではない。それは、私にとってそうである他なかったことをご理解いただけるよう願う。しかしその一方で、今回のエジプト滞在の10日間ほど、多くの稔りを持ち帰った外国体験はなかったことも、お知りいただきたく思う。

一 分析に必要な前提
 街には兵隊が溢れ、ホテル入り口は金属探知器を備えた兵士たちの、24時間監視下にある。この国の東隣は直ちに「イスラエル占領下のパレスチナ」であり、さらには極度にバイアスのかかったイラク報道がことごとく「カイロ発」である事実が示すように、エジプトは今や世界を覆い尽くす「対テロ戦」の最前線としての特殊な位置を占めている。
 加えてこの国は、アラブ世界随一の「親米=親イスラエル国」である。その意味は1981年のサダト前大統領の死を想起することで了解しうる(編集部注:サダト氏は1978年のキャンプ・デービッド合意でノーベル平和賞を受賞したが、このイスラエル・エジプト単独和平は、アラブ世界ではパレスチナに対する裏切りと見なされ、イスラム復興主義の兵士により暗殺された)
 次の大統領ムバラク氏は、以来24年にわたって、徹底した全体主義的恐怖支配を確立する一方で、ネオリベラリズムの優等生として名高い。
二 カイロ大会の本質
 「ムバラク大統領妃殿下の御庇護の下」の今大会が、なぜわざわざ殺人的酷暑の9月上旬という最悪な時期を選んで開かれたのであろうか?
 米大統領ブッシュ氏によって全世界に宣布された「イラクに始まる民主化の拡大」に呼応して、エジプトでは実に24年来初めて行われた(100%八百長の)大統領選挙当日が、大会中日となるように設定されていた。国際的祝賀行事としてのカイロ大会! それは、連盟中枢部を固めていたUSAとURA(エジプトの正式名称)の共同制作に他ならなかったのだと推測する。
三 実態
 渡された豪華美麗プログラムの少なくとも2/3は、架空、デッチ上げであり、現地トップたちの大言壮語と人品骨柄の卑しさ。
 開会式早々、「USAにしてやられたのよ」と喝破し、件のプログラムが見せかけたることを公然と触れ回る旧知のオーストラリア人に、私は「大会そのものが見せかけだ」と早々と同調した。私達は9割方は正しかったと考えている。
 HIV/AIDS、パレスチナ・イスラエル問題、イラク問題など、政治的にセンシティブな都合の悪いテーマは、万一明示されていてもほぼ完璧に予告なしにキャンセルされた。会場が空っぽであったり、また無難なものだけが終わるやいなや閉会されたりなどなど。あとは個人的に知り合った人々からの案内を便りに出席するか、極めて果敢な少数者によりゲリラ的に敢行されたものに、やはり事前に知らされ幸運にも出席するかくらいであったろうか。これらの場合当然会場には人はほとんど居ないが、一見それと判る監視役が必ず臨席していた。
四 例外
にもかかわらず、次の如き例外を挙げることが出来る。
 最大の参加者の中、イラク精神医学会長による、米占領軍の暴虐ーそれは次々にスクリーンに映し出される正視に耐えない写真の数々が証言したーと、そのもとで精神保健システムが完全に崩壊したという悲痛な訴え。
 最終日にまさかの登場をした、N.サルトリウス教授の力と熱に溢れた講演。テーマはDestigmatization(烙印からの解放)。おそらく氏はこのテーマに余生をささげられることであろう。
五 補足
 受付カウンター間近までヒシヒシと押し寄せ、かつて知らぬほどに厚顔に派手な宣伝合戦を繰り広げた製薬ビジネスのブース、と観光業者のデスクの列。
 十指に見たぬニホン人参加者は、未知の人のみであったが、その中で英語で発言する者は私のみであった。幸い多数の親密な友人を各国に持つことが出来た。

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