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「本当に困った人のための生活保護申請マニュアル」(湯浅誠著 同文館出版)を読んで

精神医療ユーザー  石井真由美

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<編集部から> この8月に出た同書は、「おりふれ」にも再三登場している野宿者支援グループ「もやい」事務局長、湯浅さんの著。多くのホームレス状態の人達に付き添って、福祉事務所の厳しい対応を見てきた体験に基づく、最悪の福祉事務所員を想定し、生活保護をどう闘い取るかのリアルな指南書である。

 8年前、突然母から電話があった。「まみちゃん、お父さんの現場が潰れて仕事がなくなったの。もうお金を送ることができないの。ごめんね」「私の生活費、あとどのくらいあるの?」「1ヶ月分くらいはあるかしら。とにかく先生(カウンセラー)に相談してね。ごめんね」母は何度も私に謝った。私は母をいたわる余裕も、責める余裕もなく、速やかに闘いに挑むしかなかった。ものすごく重くて黒い絶望と疲れを引きずり、目がチカチカしたけれども、まずは当時通っていたカウンセラーに電話をした。
 カウンセラーは、ケースワーカーの経験もあったので、「すぐに生活保護を受ける準備をしましょう」と、てきぱきといくつかのアドバイスを与えてくれた。結局、間違った指示も少しはあったが、私は最低限の武器は身につけて、生活援護課に挑んでいたのだと、この本を読んで確認できた。
 私の場合、まず電話することにした。生活費ギリギリで飛び込むという案も与えられたが、医師も素早く協力してくれたため、診断書がすぐに用意できたので出来る限り丁寧に段取りを踏んでいくことにしたのだ。ひどい対応をとられる可能性もあることを想定した。でも、私の病気の症状にとても強い対人恐怖と閉じこもりがあったので、想定しすぎると非常にまずかった。死にたい気持ちがバンバン出てくる。最悪だった。あんまりひどい状態になったので、友達に一晩中付き添ってもらったりした。入院も考えたが、精神医療、特に精神病院入院生活によるPTSDがある私は、どうしても入院を選択することはできなかった。「入院したら死んでしまう」と思った。だから泣いたり、喚いたり、震えたりして、でも闘うしかなかった。
 生まれて初めて生活援護課に電話した。初っぱなから「水際作戦」(=相談に来た人に生活保護の申請をさせずに、窓口で追い返すことをいう。本書P37)を浴びる。これは耐えた。「どこに住んでんの?」「いくつ?」「なんで働かないの?」という責めを帯びた男性職員の質問が次から次にきた。特に「なんで働かないの?」の質問に私の思考はヒートした。働かないのではなく、働けない。なぜ働けなくなったかを本当に聞きたいのなら、私は2時間かけても話し足りない。でもこの人は、そんなことを聞きたいのではない。ものすごい拒絶。お仕事だと理解していても、最も困っている時にこんなあからさまな拒絶を人から受けたら、私は倒れてしまう。電話を始めて間もなく私は何が何だか分からなくなってしまった。パニック状態になってしまった。そして訳の分からぬまま必死で応答しているうちに、私は武器を出したらしい。「診断書」のことを伝えたのだ。とても印象に残っている。診断書を持っていることを伝えると、明らかに職員の態度が変化した。私はこの日のうちに、初めの個別相談日の予約と、手続きの際持っていくものを聞くことができた。

 生活保護に1年半ほどかかってから障害年金を取り、遡及分約500万円をもらったので、保護を打ち切って暮らした時期がある。打ち切る前、担当さんは、私の場合戻るのは簡単だしまた手伝ってくれると優しい言葉をかけてくれた。でも1年半後生活援護課に行った時、もう担当さんはいなかった。この時説明をしてくれた人は、何か偉そうな役付きの人だった。正直言って感じ悪かったし、私の質問にはぶっきらぼうな答え方しかしてくれなかった。
 ようやく話しが終わり、とっとと帰ろうとしたところへ、私の場合もう30代後半で、女性で、病歴も長いし、先々のことを考えて都営住宅に応募するといいと勧められた。完全に私には明るい未来がないと言っているようだった。この時点で私はとても疲れていた。チックと手の震えも出ていた。後で考えたかったけれど、どんどん都営住宅の話が進み、「今応募用紙持ってくるから」と待たされた。早く却って横になりたかった。結局、応募用紙は手元にないので、もっと上の階の何とか課にあるから、そこで用紙をもらって来てと言われた。もう抵抗する気力もなかった。私は力尽きるとこうなってしまう。自分の意志や感覚が閉じていく。言われるがままに動く。頭はぼーっとして、疲れ切り、フラフラしながら指示どおり用紙をもらって、ようやく帰宅できた。
 私のような身の上の人間は、とにかく応募しなくてはいけないのかと思った。今度はそういう努力を見せないといけないんだと思った。で、たまたま仲間にこの話をしたら、仲間は怒って「そんなの余計なお世話ですよ。イヤだったら応募しなくていいんですよ」と教えてくれた。すっごくホッとした。なんか呪いが解ける感じがした。ちゃんと制度のことを知らないと、やらなくてもいいことや、行きたくないところへ誘導されることが本当にある。私は自分の症状を踏まえ、特に用心しなくてはならないと、本書を読みまた確認した。

 それから、この本を読むまで「宿泊所」のことはちゃんと知らなかった。ホームレス状態から生活保護の申請をすると、管理が厳しく、狭い相部屋の劣悪な仮住まいに誘導され、いつまでたってもアパートに転宅できないというのだ。ここを読んでいる時、20年前に入院していた閉鎖病棟のことを強く思い出してしまった。そして「宿泊所」と「閉鎖病棟」とどっちがマシか、本気で考えていた。どっちが少しでも自由か、どっちが少しでも休めるかと。
 私は生きていく中で、路上生活が一番つらい環境だと思っていた。よく分からないけど、どんな施設でも雨風がしのげるだけマシだと、そう思いこんでいた。生活保護が通らなかった時の不安をおびえながらカウンセラーに相談した時、カウンセラーがきっぱりと「あなたを一人で道端に放り投げたりしない」と言ってくれた。この言葉が、当時を乗り切る一番の支えになっていた。何度も一人でこの言葉にすがった。でも・・・あるじゃん。もっと生き難い環境が。っていうか、私が生活していた閉鎖病棟だって、よくよく考えれば本当に路上生活よりマシだったのだろうか?
 私は、この部分だけは当時知らなくて助かったと思った。知っていたら、もっとパニックに陥っていたかもしれない。知らぬが仏だった。でも今は苦しくても知ることができた。というか、知ってしまった。
 自分の未来のためにも、私には何ができるかな。

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