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一市民として精神病院訪問調査に参加して

村田京子

 気後れもありましたが、私のような素人一般市民が「もし自分が病気になって入院するとしたら」、そんな素朴な視点で見ることも意味があろうかと考えました。
私が心の病になったら、まずもちろん個室希望だろうと思います。しかし、保護室以外のいわゆる個室のある病院は少ないようです。具合が悪い時はツライのだから、できるだけいい環境、いい看護を望みたいと素朴に思います。が、一番ひどい時にひどい目に遭う(引き受けてくれる病院が見つからなかったり、無理やり連れていかれたり、身体拘束されたり…)のは、やむを得ないこと(精神病の宿命?)なのでしょうか。具合が悪い=自傷他害の怖れ、だから保護室、しかもああした保護室というのが必要、適切ということなのでしょうか。また、保護室モニターというのは、どう考えても嫌だし、患者には説明していないなどと聞くと憤りも感じます。ただ、逆にモニターされていると説明されたら、とてもそんな部屋にはいられない!しかし、見守られず事故死する方が怖いとも思うと、どんなものさしをあてればよいのかわからなくなりました。
ある病院では、新薬に切り替えて劇的に治療が変わり、長期入院者が退院していったという話をお聴きしました。感心する一方で、それまでの治療は何だったのか!?と尋ねたい気持も起こりました。また臭気の全くない、明るく広々した病棟のホールに患者さんたちが全く無言でうつむき点在している光景は、綺麗なだけに一層侘しさを感じました。その他、二人部屋が案外多かったり(二人というのは人間関係ストレスをもっとも感じやすいのでは?)、公衆電話が大きなテレビの横にあったり、季節の飾りつけの子どもっぽさ、観察室や静養室という名称等々、細かい違和感は多々覚えました。また、20年以上も、あるいは40年も入院している人がいるというここは何処なのかという大きな疑問もあります。
確かに訪問調査を受け入れてくださった病院は、それぞれの方針を掲げ、変わりつつある精神病院という印象を強く受けました。アメニティは相当に改善されつつあり、ここまで綺麗にしなくてもというくらいの病院もありました。また急性期治療主体で長期入院者を減らす(病院らしい病院へ変化する)傾向も見られ、退院促進の動きも少なからずありました。ただ、これは地域や行政の受け皿、マンパワー不足を考えるとそうは進まないのではという気もしました。また病院があまり積極的に受け皿を作ると、結局は病院の抱え込みになるとも思われました。一体どこがどう動くと良い形で実現されるのでしょうか。
また、病院の主たる役割である治療についても、新薬や電気けいれん療法の扱いも含めて、統一見解はあるのかないのか。即ち、これといった治療ビジョンが見えず、正直不安を感じています。それだけ精神疾患とは複雑で難しいということなのでしょうか。例えば統合失調症という病気の治療モデルはあるのでしょうか。また個々の違いに応じたケアを受け、生き方を選択していけるためには、どんな医療福祉システムが構築されればいいのでしょうか。
もちろん治療(薬物他)も看護もアメニティも、更には地域福祉もどれも大切で、より良くなって欲しいです。しかし、上記のようなさまざまな疑問や違和感を思う時、何かもっと土台に歪みや困難さがある気がしました。それは歴史的問題、また精神科医療の実情、社会のあり方や制度、人々の偏見、さらに病院経営等々の問題も絡んで、当然複雑なのだとは思います。しかし、どうにも「精神病院のあるべき姿」というようなものが見えてこないのは、ものさしを持てない素人の哀しさもあるでしょうが、精神病院が抱える課題の厄介さ、もしくは闇の深さでもあるような気がしています。

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