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連載第2回 「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田公子

○発病の頃
 私は、8年間働いてきた作業所を疲れ果てて辞めた。だから、退職したときの気持は、様々な葛藤・壁・重たさからいったん離れて解放感でいっぱいであった。趣味として長年続けてきた焼き物と織物(これらは私にとって、仕事に使われていくエネルギーを補う不可欠のものであり、仕事のエネルギーが多くなればなるほどこれらの趣味に使うエネルギーも多くなるといった具合で、全体としてみると自分がもつエネルギーの限界を越えてしまっていたのだが)、に集中できる喜びでいっぱいであった。学校にも通い始め、予定していた引越先も決まり、体の疲れは引きずっていたが日々嬉々として過ごしていた。だが数ヵ月後の引越の直後、その疲れもあってか、あるいは環境の変化も重なってか、私は体調をくずした。3週間も続く微熱、3分と立っていられないほどの異常なまでの疲れ、リンパ腺のはれ等々で、ことさら暑かった夏の最中、2ヵ月間入浴することも出来ず殆ど寝たきりの生活を送った。その間内科などで診てもらったが何の異常も発見されず、また精神的な不安定さも感じていたため、私は心身医療科を受診した。そして身体症状に出るうつと診断され、私は「うつは心身の疲れですからね」ということばに納得し、安堵し(私は発病する1~2年前からキリキリし、イライラすることが多くなり、自分が情けなく、この分野での仕事をしていく自信もなくし、自分の性格さえも変わってしまったのか、と悩んでいた)、抗うつ薬を飲むことを了解した。実は、退職する少し前に、職場の友人たちから精神科受診・服薬をすすめられたが、私はその時抱えていた問題や心身の状態を、医者にかかって薬を飲むことで解決出来るようには全く思えなかった。それは、私がかつて劣悪な精神病院で働いていたことから、精神医寮・精神科医に不信感をもっていたからでもある。そして自分が「患者」となることへの抵抗感も残念ながらあったと言わざるを得ない。
 その後私は、紹介をうけてあるメンタルクリニックに通院してきたのだが、当初は特に薬が効いた。それも身体症状によく効いたことで、私は体と心のつながりを改めて強く感じた。こうして2ヵ月くらいで身体症状は楽になったが、今度は精神的なうつ症状(おっくう感、意欲が出ない、一人でいられない淋しさ、死んでしまいたい気持、家事が出来ない、今まで好きだった音楽も聴けない─不思議なことにライブという、人がいる場なら聴ける─等々)に悩まされることになった。そして、これまで患者さんやメンバーから「今うつなんだ」といったことばを幾度となく聞いてきた私だが、こんなにつらいものだということを初めて知った。と同時に、「自分はこんなに弱かったのだ」と気づき、誰もが弱さを持ち合わせており、誰もが病いになりうるのだということを実感した。

○「精神障害当事者」と書かれて
今の職場に就職して数ヵ月経った頃だったろうか、地域の社会資源等を紹介するガイドブックが出来上がった。早速自分の職場の紹介ページを見ていたら、職員数の箇所に「精神障害当事者O名」と書かれた文字が目に飛び込んできた。まぎれもなくその内の1名は私のことであった。私はギョッとし、そしてショックを受けた。「精神障害当事者」‥‥。
(医療の対象からようやく他の「障害」をもつ人たちと同じく福祉の対象としても考えていくという流れの中で「精神障害者」ということばがあたりまえのように、良いことのように使われているが、私は以前から違和感を持っていた。「身体障害者」「知的障害者」とともに、「精神障害者」も「精神分裂病」や「人格障害」「痴呆症」と同じく、人間としての尊厳を否定するかのような響きを持ったことばであるように思う。)
 私は発病して1年余り経ち、回復し始めた頃、病いをオープンにして働くことが出来、これまでの経験プラス病いの体験を生かして働けるという想いから、たまたま縁もあって今の職場を選んだつもりだった。「当事者主体」「障害種別を問わない」を理念として掲げる運営母体においては、「当事者職員」と「健常者職員」とにはっきり立場が分かれている。それゆえ運営側からすれば「精神障害当事者」と記すのも至極当然のことだったのだろう。だが私にとっては思いもよらぬことであり、「当事者職員」と呼ばれることさえも違和感があった。このことはNo.217にも書いており、悩んだ末の結論として『1年半経った現在、私の「当事者職員」としての立場は次第にあいまい化されているように感じられる。利用者からは「半分当事者だから」などと言われることもある。回復するにつれて当事者意識が希薄になってきているのも事実である。でもこのあいまいさが、私にとってはありのままの姿であるように感じている』と締めくくった。しかしやはり立場性がはっきり分かれている職場にあっては、どちらかの立場に立つのか否応なく決断を迫られた。しばらくまた悩んだ末、私ははっきりと「当事者職員」として働くことを選択した。まず病状の悪化も経験する中で、以前のようには、また他の「健常者職員」と同じようにバリバリ働くことは出来ないと思ったことが理由の一つ(少し話はそれるが、病状が悪化した際、一時的に通常通りの業務が出来なくなり周りに負担をかけたことがあったが、「健常者職員」から、身体の病気や「障害」をもつ人に対してとは、違った受けとめられ方をされたように感じた。そして当事者職員としての意見を言っても、「そのような時期があったにもかかわらず何を…」といった形の反発をかってしまう現状に悩んでいる)。さらに大きな理由として抑うつに至
った原因と密接に関係していると思われてならない医療・福祉の現場がもつとされる側との関係性の偏り・ゆがみ・あり方を、「当事者職員」という立場にこだわって掘り下げて考えてみようと思ったからである。

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