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斎藤病院が弁護人を面会拒否―風化している現場の人権意識―

東京精神医療人権センター 小林信子

 東京都内には、今日でも医者が代理人の弁護士を患者に面会許可しない病院がまだありました。同類の病院はまだあるのでしょうか。
始まりは3月下旬。いつものように電話相談からの患者さんに面会しようと府中にある斎藤病院に出かけたところ、主治医による「医療上の理由」で面会拒否をされたのだ。この病院は日精協の会長もしたことがある斎藤茂太氏が名誉理事長で、“有名”病院である。しかし、入院者から「人権センター」への電話は初めてだったのでリキを入れて出向いたのだった。
弁護士なら面会は保証されているので、相談者の患者さんと直接連絡を取ったうえで、2週間後に永野弁護士と共に再訪した。また待合室で40分ほど待たされ、今回は「保護者の同意がないと面会は不可」という時代錯誤の理由での拒否だった。医者と弁護士の押し問答の末「センター」は、法解釈に都の担当者の見解を求めたが、これが混乱に拍車をかけた。この間都の機構改革で精神病院を含むすべての病院の入退院の苦情や立ち入り検査は医療安全課という課が担当している。その担当者は、「通信は絶対制限できないが、面会は時によっては制限することもある・・・」というお粗末な応答で、病院側は勢いづいた。1988年4月8日厚生省告示第128号の第3項には、《都道府県及び地方法務局その他の人権擁護に関する行政機関の職員並びに患者の代理人である弁護士及び患者又は保護者の依頼により患者の代理人になろうとする弁護士との面会の制限》は「どのような場合でも行うことの出来ない行動制限」の事項として記載されている。事務局会議でことの深刻さが確認され、都の医療安全課への申し入れを決定し、5月23日に永野、内藤両弁護士と共に出向いた。事実経過確認のあと、都医療安全課としての対処は、4月12日と4月26日に病院に対して事情聴取を行い、そのときに病院側が日精協の資料について言及したので、日精協へも事情聴取を行ったとのこと。その上で、「5月12日における都側からの永野弁護士に対する通信・面会に関する電話回答は誤りであった」「保護者同意がなければ面会させないということも法的に不適切である」そして、「いかなる場合も弁護士や代理人になろうとする弁護士と患者の面会は制限してはならないものである」と確認した上で、謝罪があった。
 「センター」は特に入院中の患者さんの法的権利擁護を主として行う団体であり、今回の出来事を深刻にとらえている。かつての報徳会宇都宮病院事件をきっかけに精神保健法へと改正された現場に、「センター」の内藤・永野の両弁護士は直接関わっており、当時厚生省で立法に携わった小林秀資課長から、通信・面会に関する法律家の関わりをきちんと確認してきた経緯がある。刑事事件と同様で、弁護士との面会は決して制限されないということは確認されている。これは現在も当然変わっていない。最近は世代交代などで現場や行政も弛緩してきて、法の基本理念がともすれば忘れられがちになっていることに大きな危機感を持ったことを伝えた。都はそれらを承知し、今後は齋藤病院に対して指導を行うとした(罰則なし)。同時に、法の原点に注意を喚起する意味で都内の精神病院全体に注意文書を配布してもらいたいと要望した。
 後日、医療安全課の担当者からFAXで連絡があり、齋藤病院に指導を行ったとのこと。だが、齋藤病院は納得したのかどうかは不明だった。というのは、当日の面会拒否を正当化するために「代理人が面会要請を文書で行わなかった」という1988年の厚生省課長通知16号というものを後付理由として持ち出してきて、都としてもそれ以上何もいえなかったとのこと。こんな通知は「精神保健福祉法詳解」にも記載されていない。
 さて、気を取り直して5月下旬に今度は委任状を持参しての再訪問。またしても1時間ほど待たされた。理由は「主治医が患者と面談中」とのこと。その後、主治医に弁護士が呼び出され、主治医はその委任状の件を「都に確認するから待ってくれ」といわれさらに待つこと20分余。これは主治医が面会に納得していないということだろう。都は何を指導したのだろうか。
そして、やっと依頼人と面会することができた。「今日の主治医との面談は、予定されてはいなかった」とは依頼者の説明。この依頼者も「センターなどに連絡すると退院が遅くなる」と主治医から言われて動揺した時期もあったが、ともかくも本人の頑張りで面会はやっと実現できた。が、その要望―退院に即答えられるかどうかは、また別のこと、という現実に直面している。
 人権意識などは常に監視していなければ、すぐに19世紀にもどってしまうのだ。監視団体の必要性を改めて痛感した。

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一市民として精神病院訪問調査に参加して

村田京子

 気後れもありましたが、私のような素人一般市民が「もし自分が病気になって入院するとしたら」、そんな素朴な視点で見ることも意味があろうかと考えました。
私が心の病になったら、まずもちろん個室希望だろうと思います。しかし、保護室以外のいわゆる個室のある病院は少ないようです。具合が悪い時はツライのだから、できるだけいい環境、いい看護を望みたいと素朴に思います。が、一番ひどい時にひどい目に遭う(引き受けてくれる病院が見つからなかったり、無理やり連れていかれたり、身体拘束されたり…)のは、やむを得ないこと(精神病の宿命?)なのでしょうか。具合が悪い=自傷他害の怖れ、だから保護室、しかもああした保護室というのが必要、適切ということなのでしょうか。また、保護室モニターというのは、どう考えても嫌だし、患者には説明していないなどと聞くと憤りも感じます。ただ、逆にモニターされていると説明されたら、とてもそんな部屋にはいられない!しかし、見守られず事故死する方が怖いとも思うと、どんなものさしをあてればよいのかわからなくなりました。
ある病院では、新薬に切り替えて劇的に治療が変わり、長期入院者が退院していったという話をお聴きしました。感心する一方で、それまでの治療は何だったのか!?と尋ねたい気持も起こりました。また臭気の全くない、明るく広々した病棟のホールに患者さんたちが全く無言でうつむき点在している光景は、綺麗なだけに一層侘しさを感じました。その他、二人部屋が案外多かったり(二人というのは人間関係ストレスをもっとも感じやすいのでは?)、公衆電話が大きなテレビの横にあったり、季節の飾りつけの子どもっぽさ、観察室や静養室という名称等々、細かい違和感は多々覚えました。また、20年以上も、あるいは40年も入院している人がいるというここは何処なのかという大きな疑問もあります。
確かに訪問調査を受け入れてくださった病院は、それぞれの方針を掲げ、変わりつつある精神病院という印象を強く受けました。アメニティは相当に改善されつつあり、ここまで綺麗にしなくてもというくらいの病院もありました。また急性期治療主体で長期入院者を減らす(病院らしい病院へ変化する)傾向も見られ、退院促進の動きも少なからずありました。ただ、これは地域や行政の受け皿、マンパワー不足を考えるとそうは進まないのではという気もしました。また病院があまり積極的に受け皿を作ると、結局は病院の抱え込みになるとも思われました。一体どこがどう動くと良い形で実現されるのでしょうか。
また、病院の主たる役割である治療についても、新薬や電気けいれん療法の扱いも含めて、統一見解はあるのかないのか。即ち、これといった治療ビジョンが見えず、正直不安を感じています。それだけ精神疾患とは複雑で難しいということなのでしょうか。例えば統合失調症という病気の治療モデルはあるのでしょうか。また個々の違いに応じたケアを受け、生き方を選択していけるためには、どんな医療福祉システムが構築されればいいのでしょうか。
もちろん治療(薬物他)も看護もアメニティも、更には地域福祉もどれも大切で、より良くなって欲しいです。しかし、上記のようなさまざまな疑問や違和感を思う時、何かもっと土台に歪みや困難さがある気がしました。それは歴史的問題、また精神科医療の実情、社会のあり方や制度、人々の偏見、さらに病院経営等々の問題も絡んで、当然複雑なのだとは思います。しかし、どうにも「精神病院のあるべき姿」というようなものが見えてこないのは、ものさしを持てない素人の哀しさもあるでしょうが、精神病院が抱える課題の厄介さ、もしくは闇の深さでもあるような気がしています。

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第19回東京精神医療人権センター総会報告

事務局 内山智絵 

 今回で19回を数える総会が5月25日弁護士会館にて開催された。センターが発足して20年を迎えようといている今回の総会では、「事業縮小」というさびしい方針が確認された。
 2004年度の活動報告として、まずは第5刊「東京精神病院事情」出版の準備(病院調査と解析作業)を行ったことが挙げられた。ほかに、精神病者が拘置所で自殺した事件の国家賠償事件の支援をした以外は、電話相談でも事件につなげられる案件もなく、総体的に波乱を感じない一年であった。他機関との協同作業についてもほとんど進展はなく、審査会の代理人についても条件が合わないなどの理由により引き受けるケースはなかった。障害者自立支援法案・医療観察法・精神保健法改正案など激動の社会情勢にセンターとして追いつけていない現状があった。
 センターは2006年度から補助金事業から撤退し、事業を縮小していくことを決定。事務所を閉鎖し専従スタッフをおかず、発足当時の完全ボランティア体制に戻して活動をおこなうこととなった。2005年度は、事業縮小に向け、諸々の整理・これまでの活動全般をまとめ記録として残すという作業につとめることとする。

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連載第2回 「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田公子

○発病の頃
 私は、8年間働いてきた作業所を疲れ果てて辞めた。だから、退職したときの気持は、様々な葛藤・壁・重たさからいったん離れて解放感でいっぱいであった。趣味として長年続けてきた焼き物と織物(これらは私にとって、仕事に使われていくエネルギーを補う不可欠のものであり、仕事のエネルギーが多くなればなるほどこれらの趣味に使うエネルギーも多くなるといった具合で、全体としてみると自分がもつエネルギーの限界を越えてしまっていたのだが)、に集中できる喜びでいっぱいであった。学校にも通い始め、予定していた引越先も決まり、体の疲れは引きずっていたが日々嬉々として過ごしていた。だが数ヵ月後の引越の直後、その疲れもあってか、あるいは環境の変化も重なってか、私は体調をくずした。3週間も続く微熱、3分と立っていられないほどの異常なまでの疲れ、リンパ腺のはれ等々で、ことさら暑かった夏の最中、2ヵ月間入浴することも出来ず殆ど寝たきりの生活を送った。その間内科などで診てもらったが何の異常も発見されず、また精神的な不安定さも感じていたため、私は心身医療科を受診した。そして身体症状に出るうつと診断され、私は「うつは心身の疲れですからね」ということばに納得し、安堵し(私は発病する1~2年前からキリキリし、イライラすることが多くなり、自分が情けなく、この分野での仕事をしていく自信もなくし、自分の性格さえも変わってしまったのか、と悩んでいた)、抗うつ薬を飲むことを了解した。実は、退職する少し前に、職場の友人たちから精神科受診・服薬をすすめられたが、私はその時抱えていた問題や心身の状態を、医者にかかって薬を飲むことで解決出来るようには全く思えなかった。それは、私がかつて劣悪な精神病院で働いていたことから、精神医寮・精神科医に不信感をもっていたからでもある。そして自分が「患者」となることへの抵抗感も残念ながらあったと言わざるを得ない。
 その後私は、紹介をうけてあるメンタルクリニックに通院してきたのだが、当初は特に薬が効いた。それも身体症状によく効いたことで、私は体と心のつながりを改めて強く感じた。こうして2ヵ月くらいで身体症状は楽になったが、今度は精神的なうつ症状(おっくう感、意欲が出ない、一人でいられない淋しさ、死んでしまいたい気持、家事が出来ない、今まで好きだった音楽も聴けない─不思議なことにライブという、人がいる場なら聴ける─等々)に悩まされることになった。そして、これまで患者さんやメンバーから「今うつなんだ」といったことばを幾度となく聞いてきた私だが、こんなにつらいものだということを初めて知った。と同時に、「自分はこんなに弱かったのだ」と気づき、誰もが弱さを持ち合わせており、誰もが病いになりうるのだということを実感した。

○「精神障害当事者」と書かれて
今の職場に就職して数ヵ月経った頃だったろうか、地域の社会資源等を紹介するガイドブックが出来上がった。早速自分の職場の紹介ページを見ていたら、職員数の箇所に「精神障害当事者O名」と書かれた文字が目に飛び込んできた。まぎれもなくその内の1名は私のことであった。私はギョッとし、そしてショックを受けた。「精神障害当事者」‥‥。
(医療の対象からようやく他の「障害」をもつ人たちと同じく福祉の対象としても考えていくという流れの中で「精神障害者」ということばがあたりまえのように、良いことのように使われているが、私は以前から違和感を持っていた。「身体障害者」「知的障害者」とともに、「精神障害者」も「精神分裂病」や「人格障害」「痴呆症」と同じく、人間としての尊厳を否定するかのような響きを持ったことばであるように思う。)
 私は発病して1年余り経ち、回復し始めた頃、病いをオープンにして働くことが出来、これまでの経験プラス病いの体験を生かして働けるという想いから、たまたま縁もあって今の職場を選んだつもりだった。「当事者主体」「障害種別を問わない」を理念として掲げる運営母体においては、「当事者職員」と「健常者職員」とにはっきり立場が分かれている。それゆえ運営側からすれば「精神障害当事者」と記すのも至極当然のことだったのだろう。だが私にとっては思いもよらぬことであり、「当事者職員」と呼ばれることさえも違和感があった。このことはNo.217にも書いており、悩んだ末の結論として『1年半経った現在、私の「当事者職員」としての立場は次第にあいまい化されているように感じられる。利用者からは「半分当事者だから」などと言われることもある。回復するにつれて当事者意識が希薄になってきているのも事実である。でもこのあいまいさが、私にとってはありのままの姿であるように感じている』と締めくくった。しかしやはり立場性がはっきり分かれている職場にあっては、どちらかの立場に立つのか否応なく決断を迫られた。しばらくまた悩んだ末、私ははっきりと「当事者職員」として働くことを選択した。まず病状の悪化も経験する中で、以前のようには、また他の「健常者職員」と同じようにバリバリ働くことは出来ないと思ったことが理由の一つ(少し話はそれるが、病状が悪化した際、一時的に通常通りの業務が出来なくなり周りに負担をかけたことがあったが、「健常者職員」から、身体の病気や「障害」をもつ人に対してとは、違った受けとめられ方をされたように感じた。そして当事者職員としての意見を言っても、「そのような時期があったにもかかわらず何を…」といった形の反発をかってしまう現状に悩んでいる)。さらに大きな理由として抑うつに至
った原因と密接に関係していると思われてならない医療・福祉の現場がもつとされる側との関係性の偏り・ゆがみ・あり方を、「当事者職員」という立場にこだわって掘り下げて考えてみようと思ったからである。

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“People Say I'm Crazy”と私

本紙前号において広報した『日米精神保健秀作ドキュメンタリー上映会in練馬』での最初の上映作品“People Say I'm Crazy”のこの国への紹介に渾身の労を傾注された上村君代氏は、当日カナダから飛来され、舞台挨拶の後、最前列で最後まで熱心に観入られた。ここに私たちの懇請に応えられた氏の見事な寄稿を掲載し得ることを心底から光栄とするものである(岡本省三)

在ヴァンクーヴァー 上村 君代

5月30日夜、練馬区大泉学園ゆめりあホールで催された「日米精神保健秀作ドキュメンタリー上映会in練馬」は、日加精神保健交流協議会の岡本氏はじめ、多くの方々のご尽力で大成功に終わった。
 “People Say I'm Crazy”は、字幕を読むという労働にもかかわらず、170席余の全員が観入っているのが感じられ、初めての一般公開にこれだけの方々が雨の中を来てくださったことも含めてうれしい限りであった。
 大スクリーンやその他の設備の整ったホールでの上映は、この映画を初めて観た時の感動を甦らせた。
 これ程自分を真向から見つめ、心の「闇」の中までさらけ出して、それをカメラで記録することがどんなに難しかったことか、と感服する。「正直に」と言うことがいかに難しいことであるか、この映画を観るたびに思い知らされ、作者と彼の家族の勇気に頭が下がる。

 病気の治癒は受容から始まる、とどこかで読んだ気がするけれども、真の受容には「闇」の部分が必ず含まれ、それがどういうことなのかが、両記録映画によって描かれていると思う。「べてるの家」は七本ある予告編の第一部であったが、今、カナダで見直しが行われている「地域精神医療」の行く先ー光ーが見えたような気がした。カナダでは当たり前の「地域精神医療」とはいっても、基本的に「プロ」が「病者」を治療するというスタンスに変わりはない。故久良木幹雄氏がよく言っておられたが、ものさしをどこに置くかで「普通」の基準が変わる。ということは、「べてるの家」のようにもっと各個人の「普通」を大切にしなければいけないのではないかと思った。
 6年前に発症し、美大の3年まではどうにか進めたものの、薬物に頼りすぎる北米の治療で副作用に悩まされてきた我が娘は、今、バイトをしながらアパートでの独り暮らしをしている。彼女の発症から家族とし
てともに闘病してきて─と言うと彼女に怒られるかも知れないが、“People Say I'm Crazy”にも描かれているように、家族の支えは最も、と言って良い程重要だと思う。

 昨年、カナダで国が出した統計によると、躁うつ病を持つ成人の70%近くが就労し「普通」の生活をしており、その二大要因は適切な服薬治療と家族の支えだそうである。
 ヴァンクーヴァー地区精神保健サービス(公共)では、家族を治療チームの一員に加えることを公的にシステム化しようという方向で検討中である。これまで個人の権利を重んじるがあまりの不祥事(殺人も含めて)がおこり、見直しが始まっていた。当事者の「普通」を一番良く知っているのは家族である。SSRIの抗うつ剤が引き金になった亜躁状態をうつ状態の悪化と診た娘の主治医は、娘の「普通」を知る私に耳を貸さず、服薬量を2倍に増やした。娘は3週間後に措置入院となった。それから数年経ち、二年前のヴァンクーヴァー国際映画祭に選出された“People Say I'm Crazy”を観て、私は何かに突き動かされるように「日本語字幕を付けさせてください」と、招かれていた作者と制作者の一人である作者の姉に申し出た。80年代後半から通訳という仕事で関わるようになった精神保健分野、そして、故久良木氏の支援で交流が始まった日加精神保健交流協議会を通して広がった人の輪を通じて取り組んだ日本語の字幕付けだったが、今年初めにはインターネット(http://www.peoplesayimcrazy.org)で購入できるようになり、教材用として何度でも使うことができる。できるだけ多くの方に観ていただき、病気の正しい理解とそこから始まる治癒の手だてになればと思っている。
 この映画はヴァンクーヴァーで去年から始まった、“Frames of Mind”精神保健映画祭の初日にも上映された。5月に二回目を迎えたこの映画祭は、ブリティッシュ・コロンビア大学精神医学部www.psychiatry.ubc.ca/cme/film/schedule.htmと会員制映画館の共催で行われ、世界各国の映画から選出される。土・日は午後に数時間のワークショップも組まれ、中・高校生対象のものまである。ことしの最終日は、短編アニメーション部門でアカデミーを受賞した“Ryan”と、“Out of the shadow”(米2005)であった。精神分裂病の母親を題材にしたこの記録映画も、又、「字幕を付けたい!」と思わせる秀作であった。来年初めにでも完成できればと思っている。

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精神保健福祉法改訂について

編集部 木村朋子

 障害者自立支援法の国会審議が始まった。「応益負担」、「障害程度と必要なサービス基準」の設定と、その基準に当てはめる「審査」、審査結果によって「訓練給付」される「自立訓練」や「就労」など、そういう発想に立つこと自体が間違いなのではないかという根本的問いがどこまで討論されるのか、されないのか・・・
 自立支援法により、精神保健福祉法の社会復帰施設についてと外来医療費公費負担(32条)の条文が削除になることは知られているが、それ以外にも改訂される部分があることに遅まきながら気づいた(厚労省がネット上に次々に繰り出す色つきの図表多数を含む膨大な資料はとても読み切れるものでなく、目くらましを浴びているような気分になってくる)。権利に関わることもあるので、この稿ではそれについて。
 精神医療審査会の1グループ5名の委員構成を、現行の精神保健指定医3名・法律家1名・その他1名から、医師2名以上・法律家1名以上・他1名以上と柔軟にする。(14条)これは歓迎すべき変更だが、国際法律家委員会の勧告にもあるように医師・法律家・その他各1名の計3名でよいと思う。
 厚労大臣・知事は改善命令に従わない精神病院を公表でき、改善しない病院に入院制限を命令した場合は公示しなければならない。(38条の7)現状では情報公開されてもほとんど墨塗り状態の立ち入り検査や実地指導の内容も公表してほしいものだ。
 知事は、前記改善命令・入院制限命令を受けた精神病院に入院中の任意入院者の症状等の報告を求めること、入院の要否について精神医療審査会の審査を求めることができる。(38条の2、3) 報告を求めることができる精神病院の範囲と任意入院者の基準は省令(年内に素案提示)で決めることになっている。名ばかりの「任意」入院にチェックが必要なことを認めた規定ではある。
 一定の要件を満たす病院で、医療保護入院、応急入院について、緊急やむを得ない場合、精神保健指定医以外の一定の要件を満たす医師の診察で、12時間に限って入院させられる。(33条の1、4) 夜間・休日当直医の指定医不足を乗り切る策だろうが、精神保健法成立時、指定医制度反対論に対して、あんなにも強制的医療を資格ある医師が行うことの必要性を強調したのに、現状に妥協して安易にゆるめてしまうことに危惧をおぼえる。特に応急入院を受ける指定病院まで指定医不在とは深刻な事態である。それでなくても精神保健法成立から時間が経ち、風化・逆戻りを表す事例が後を絶たない。最近でも都内の有力病院とされる斉藤病院で医師が保護者の不同意を理由に、患者の希望する弁護士との面会を拒否する事件が起こっている。指定医の質・量ともの養成策なしに認められる改訂ではない。
 前述の38条関連の改訂でも法定の最低基準さえ守らず、改善を命じられてもしない・できない病院の存在が明らかになっているわけで、これまでの数次にわたる法の手直しではどうにもならないところへ来ている。権利の問題はやはり条文づくりのみではだめで、院内の患者さんのそばで権利行使を手伝うマンパワーの配置がなくては実効性があがらない。おりしも「障害者虐待防止法」の議員立法化が論じられており、精神病院内での虐待と放置を見張る仕組みとして制定された米国のアドボカシー法的な性格を持たせたいものと思う。
 市町村の、これまでの精神障害者の福祉に関する相談に応じる努力義務が、義務にかわる。また都道府県同様、障害者相談窓口に精神保健福祉相談員を置くことができるようになる。(47、48条) 身近な自治体での福祉計画、相談、事業という一連の方向は全うなこと。各々が自分の地域でどれだけきちんと情報を得、物申していけるかが課題となることでもあるけれど。
 一方都道府県の地方精神保健福祉審議会の必置義務が、置くことができる規定に変わっている。他障害と統合、市町村中心となればそれほど必要なくなるものなのかどうなのか。しかし少なくとも精神病院について、都道府県行政が持つべき責任は大きく、今後どういう形で検討していくのがよいのかが課題。

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献体登録したわけ

水村伊織

 お久し振りです。水村伊織です。4月で30歳になりました。発病して10年目を迎えます。今回は少し重い内容になるかもしれません。
 私はある病院で献体の登録をしました。でも死にたいわ訳ではありません。献体とは自殺、でき死、交通事故等では対象外で、天寿を全うした人のみが対象となります。なぜ献体しようと思ったのか?それは以前から考えていたことですが、私にはユニークなタイプの知的障害があり、私と同じ様な人も障害認定をしてもらいたいと思っているからです。そのためには○○病または○○症候群という病名を発見してもらいたいからです。今まで生きてきて人の役に立つことをしていないし、反社会的行為を繰
り返してきたので、もし死んだらその時に
社会貢献をしてプラス・マイナスゼロで天国に行きたいとも考えているのです。
 話は変わりますが、今、週2回知的障害のある人の施設に通っています。吸引が必要な人や、鼻から胃にチューブを入れている人、ミキサー食の人、刻み食の人、車椅子に乗っている人、ストレッチャーに乗っている人、お話できる人・・様々ですが、みんな一生懸命に生きています。そこには看護婦さんが常勤しており、その人と話しをしていると、親の気持ちというものが少しは理解できて、親を責める気持ちがほとんど消えていきました。私の状態が悪かったときの話を聞くと感謝が出来るまでになりました。時が経ち歳を重ねるにつれ替わっていくものでしょう・・・。精神障害1級という現実は変わらないけれど。

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続・北海道の医者から見た東京の精神科事情ー合併症医療について

伊東 隆雄

本誌1月号に東京での差別、偏見について書きました。それじゃあ、北海道では差別がないのか、という声が聴こえてきそうなので、当然どこにでも差別はあるよということと、若干の補足をふくめて書いてみたいと思います。もちろん、私個人の限られた経験から、東京はなになに、北海道はこれこれなどと一般化して偉そうなことは言えず、あくまでも個人的かつ主観的な印象だということをご理解ください。北海道にも差別や偏見がありますが、おおらかで開放的な土地柄のせいか、ミゾは浅いようです。

一般科の医師の対応
私は北海道では、総合病院2ヶ所、単科病院2ヶ所で勤務しました。総合病院では、他の科の医者との間にはなんの垣根も感じませんでした。精神科の患者さんの診療を頼めばすぐに対処してもらえました。差別的な対応をされたことはほとんどありませんでした。どんなに精神症状の強いひとでも、ふつうに治療してもらいました。なにか困難があればいっしょに相談しながら対応できたので、おたがいそんなのもだと思っていました。
単科病院のときも、近くの総合病院に患者さんを依頼すると、たいがいすぐに受け入れてもらえました。そのかわり、こまめに電話で相談したり、ときに往診したりと、意思疎通をはかりました。拒否されなかった理由は、いずれも田舎の小さな街だったので、総合病院は一ヶ所しかなく、そこの医師たちの意識が高かったことと、医者同士が顔見知りになってしまうからという理由が考えられます。なにごとも、知り合いから頼まれると断りにくいということがあるかと思います。しかしそれだけでは説明がつきません。
一般科の医師も、何度か精神科の患者の治療に関わることで、偏見が薄らいでいくのでしょう。じっさい、精神症状がかなり激しいひとでも、からだの治療をするときには落ち着くことが多いものです。台風の目に入るように、嵐のなかでもすーっと落ち着いてしまうことがあります。そういう姿を眼にした内科医や外科医は、「精神障害者怖れるに足りず」と学習するようです。あらためて偏見は無知から生じるものなのだと実感しています。

都の合併症事業のナンデ?(続編)
前回も合併症事業のことにふれました。たしかにありがたいシステムです。医療砂漠の東京では。何度かお世話になりました。お世話になりながら文句をいうのも恩知らずですが、ひとつだけ。受け入れ病院に転院するとき、なぜか医療保護入院にさせられます。こちらで任意で入院しているひともです。法の精神は、なるべく任意入院にするようがんばりましょう、ということだったはずです。私も、任意にする要件のない場合のみ医療保護になるものと理解しています。患者さんに判断能力があり、合併症治療のため転院することを了解しているのに、医療保護にしなければならない根拠はなんでしょうか。身体的治療にともなう行動制限を合法化するためでしょうか。(だとしたら医療上安静を必要とするすべての病人や怪我人は、指定医の診断が必要でしょう。蛇足)
自発的な非自発的入院、(ボランティア活動の強制みたいで)やっぱ変ですね。
ひとつだけといいながら、もうひとつだけ。ある病院での合併症治療が終了して、こちらに戻るときの話。家族が迎えにいくだけでいいか、こちらの病院から看護者も迎えに行ったほうがいいか、担当医に聞いてみました。すると「それは判断しないことにしています」といわれました。家族が希望すれば看護者も来ればいいし、要は家族に聞いてくださいというわけ。こちらとしては医学的に判断したいから尋ねたわけです。すたすた歩ける任意入院なら病院からお迎えにいく必要はないのです。なにか症状が残っていれば看護が必要で、それくらいは判断してくれてもいいのにと思うのですが、「判断しません」と取り付く島がありませんでした。たぶんマニュアル道理の答えなんでしょう。

おまけ
つい最近、またまたとんでもないことがありました。当院に通院中の患者さんが、自殺目的で大量服薬してある病院に搬送さ
れました。家族が精神科のことをしゃべっちゃったんですね。すると、まだ昏睡状態の命も危ない状態なのに、こちらの病院に電話が来て、ベッドがないからそちらで引き取れ、さもないと帰宅させるぞという、オドシをかけてきたというわけです。ほんとにベッドがないのかどうかはわかりませんが、死にそうなひとを家に帰すぞとはどんな顔して言ってるんだろうかと、開いた口がふさがりません。北海道では、なんていいませんが、やっぱ、なんかが狂ってるとしか思えません。
それともうひとつ。前回紹介した内科から回されたケースは、脳梗塞でした。

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書評『自分らしく街で暮らす』ー当事者(わたしたち)のやり方(オリジナル「 PACE 」ローリー・アハーン、ダニエル・フィッシャー 斉藤・村上訳)

精神医療ユーザー 七瀬タロー

 多くの精神病者は、初めて、精神科病院やクリニックを、訪れた際、内心かなり強い「抵抗感」があったはずだ。自分から、受診した場合、周りから勧められた場合はもちろんのこと、まして(半)強制的につれていかれた場合など、「肉体的抵抗」をされた当事者さえ多いことと思う。
 そして、とりあえず、医師の質問に答える形で「症状」を話す 。病名はしばしば「告知」されず、薬の処方箋を渡され、それを、飲むように指示される。そして、2週間に一度の診察で、決まりきった質問(食欲はありますか、良く眠れますか、何か変わったことはないですか等々)を受け、症状(例 いらいらする 、不安がある)を、訴えると、新しい薬が、新たに処方され、調子が良いですと答えると、じゃあ徐々にお薬を減らしていきましょう、というのがほとんどのパターンだと思う。
 いわゆる、「精神病」に関する、「医療/リハビリテーションモデル」は、「精神病」を基本的に脳の科学的不均衡と捉え、薬と専門家の提供するケアを一生受け続けることによって、時に永久的に「精神病」から、「回復」しないものとみなされ、「精神病」のレッテルをはられた自分自身もその診断と指示に従わざるを得ないとされてきた。
 さて本著では、「精神病」に関する、エンパワメントモデルが、提示されている。P.21の対比にあるように、「あなたは精神病にかかっている」のではなく「コミュニティで生活しづらい深刻な感情的苦痛を経験している」のであり、その苦痛は「喪失、心的外傷、及び支援の欠如によるもの」だとされる。必要なのは専門家より信頼出来る仲間や友人のサポートであり、本人中心の自発的な自己によるコントロール、回復のペースの進め方、服薬に関しても、自分で選んでセルフ・マネージメントの技術を獲得し、深刻な感情的苦痛から「回復」するための、助けになる、手段といちづけられている。
 セルフ・マネージドケア(自己管理ケア)という概念は、本著のキーとなる概念であり、「回復」のための技術として、具体的に述べられている。
 まず、感情のレベルで人とかかわることの重要さが、不快な気持ちを表現することも含め、本著では非常に強調される。「世間では、『唇を噛んで』耐えなさい。感情、特に悲しみ怒り、恐怖を表に出してはいけないと言われてきた。これらの感情を表現できることは、回復に不可欠である。」

 私は、作業所と病院(デイケア)と家のいわば「三角形」の間を、往復している精神病者が、不必要なほど、「笑顔」を浮かべているケースによく遭遇する。精神障害者の「役割演技」をさせられているのではないか、と思うこともしばしばである。最近の感情に関する社会学的、歴史学的研究(「感情社会学」「感情の社会史研究」)によっても、感情自体が、社会的・歴史的な産物でもあることが、論証されているが、感情を表現すること、感情レベルで人とかかわることが、重要であるという主張は、「あなたはコミュニティで生活しづらい深刻な感情的苦痛を経験している」という、本著での「精神病」理解から みても、「回復」のうえで、極めて重要だと思われる。なお最近流行のSST等には、このような観点は、ほとんど欠けているようにおもわれるが、専門家の方のご意見はいかがなものであろうか?

 セルフマネージドケアには、具体的なテクニックとして、縫い物や書き物、絵を描くといった気分を良くすることの発見、瞑想 、体、ヨガ、鍼、栄養といった、ホーリスティックヘルスの採用等もあげられている。また、よくなるためには困難や「回復」に関して部分的であっても自分で責任を取ることが重要だともされる。
 またその一方で自分を許すことも、同時に強調される 。そして責任を果たすことに伴う潜在的な危険は、問題に関して自分自身を非難しすぎることであり、これは、自己懲罰につながりやすい。本著は、「失敗も繰り返しながら、学んで成長していく」という「自立」の考え方と、同様の発想の「回復」観にたっている。その上では、自分に少し寛大になること、あなたを許してくれる友達がいれば、より容易に自分を許すことが出来る、とある。そして心から安心し信頼出来る人、体験を分かち合える人、そして人間的な人の存在が「回復」にとって、何よりも重要だと本著では主張されている。そして、またユーモアは重要なファクターであり、ある人は自分のケア提供者について「彼と会うと私は笑いっぱなしだった。彼がいると笑えた」。そしてインタビューされた人の大半は、専門家的なよそよそしさは「回復」への妨げであると述べている。

 最後に、私が、若干気になった点を二~三述べてみたい。
まず「精神病」理解、そしてそれにもとづく「回復」概念が、通常の精神医学とはかなり異なっている。その点を考慮せずに、この本を読んだ各種「専門家」が何かのヒントを得ること自体は良いことだと思うが、「自分で自分の『回復プラン』を立てなさい」等と言い出したら、これは本末転倒であろう。
 基本的には、ピアサポート、自助グループの方々が参考にすべき本だと思う。またこの「回復」概念が成立するには、各種社会的・経済的サポートも、当然必要とされる。しかるに、昨今の情勢を考えると、様々な困難も当然予想される。また特に「回復」の概念を、かなり慎重に理解しないと、「回復」の強迫神経症になりかねないとも思う。
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投稿 障害者自立支援法についての声明文

呼びかけ人 統合失調症当事者 佐野卓志(ルーテル作業センタームゲン)

1.今回の法案は国が福祉の責任を放棄して、税金の再分配から、自己負担の保険で福祉をすまそうとするものです。福祉は生活保護だけにしたいようです。障害者はみんな貧乏で、貯金がないのです。ここが老人と全く違います。だから、介護保険との統合は前提で無理なのです。それに障害者の場合は老人と違って、親(介護者)の方が先に亡くなりますから、介護保険では、親亡き後の心配がつきまといます。この法案は本人の自己負担を増やして、本人が払えないなら家族が払えと言っています。これの何処が「自立支援」なのでしょう?障害をもったことは本人の責任ではありません。普通の人のスタートラインまで引き上げることが果たしてサービスでしょうか?
2.特に32条公費負担の廃止削減は問題です。うつ病、神経症など公費負担からはずされた人が、精神科から足が遠のき、自殺が増えると思います。厚生労働省は自殺が増えてだれが責任をとるのでしょう?また所得証明を確認する手続きの煩雑さを1年ごとに障害者に強いることは、ますます公費負担の敷居が高くなるでしょう。精神障害者全般にわたる唯一の福祉の役割を担ってきた32条の根本的破壊です。
3.住む場所(グループホームなど)の障害の重さ別の分類も問題です。病者は特に居場所が大切です。今症状の落ち着いてる環境から切り離して分類して、遠くの新しい環境に住むよう強制するのは症状の悪化を招くだけです。定員を増やすことも地域から隔離されたミニ施設になり、ホームヘルパーもガイドヘルパーも使えません。そして判定による引っ越しの強制は憲法の生活権の侵害です。
4.作業所も国の補助金が切られます。自治体が資金不足を理由に右にならえをしたらどうするつもりでしょうか?少なすぎる社会資源を増やして、72000人の社会的入院の解消する時なのに、これ以上、貴重な社会資源である作業所を圧迫してどうするつもりなのでしょうか?
 授産施設も下手すると利用者の賃金より利用料のほうが高くなって、金を払って働かないといけなくなる可能性があります。これが仕事と言えるのでしょうか?
5.3障害の法的統合に反対するものではありませんが、3障害の違いや介護、サポートの必要度の議論を積み重ねた上で、障害の特色を生かした統合、細やかな配慮の行き届いた統合がなされるべきで、今のような拙速な統合は混乱を招くだけだと考えます。当事者を含めた議論を時間をかけて十分に尽くすべきで、決して急ぐことの無いよう要求します。
6.この法案には反対です。成立するようなら、年金改革で障害年金を上げることを要求します。そうでなければ、障害者は生活していけません(以上編集部要約)
 4月29日この声明文(賛同者は障害者75名、健常者112名)を送付し終わりました。厚生労働省には内容証明郵便で送り、関係の国会議員にはエラーにならなかった67名にメールとファックスで送りました。

 5月13日障害者自立支援法ができたらどうなるか?という学習会が松山でありました。工賃より高い1割負担を払って、作業所に働きに来てくれとは、とてもメンバーに説明出来ない。第一1割負担より多い給料をとろうと思えば、メンバーは必死に働いて、次々に再発していくことは目にみえています。それに僕は同じ病気でありながら、スタッフだから、メンバーの上前をはねた1割負担を給料としてもらうことになります。そんなことは、そんな金は絶対に受け取れません。みんな再発か負担金を払って働くばかばかしさで来なくなって閉じこもっていくでしょう。
 先行き不安で押しつぶされそうです。頓服の量も限界です。睡眠薬も沢山飲んで眠りました。それでも調子は落ちたままです。昨日も自殺を考えましたので、採決されたあかつきには自殺をするかもしれません。
 作業所指導員会でも他の作業所のみんなも頭をかかえていました。いったいこの法案でどれほどの作業所が潰れるのでしょうか?うちの作業所も生き延びる道を探るとは思いますが、メンバーが自由に溜まれる、癒しの空間という機能がなくなるようであれば、潔く作業所を閉じようと思っています。(5月14日記)
 何もする気がおこりません。うつ気分が続いています。(5月15日記)
 作業所がNPOになれば、メンバーの誰が来てどんなことをして、という細かい把握が必要で、メンバー一人ひとりの1日ごとの個別給付の請求額を計算する専門の事務をする人が必要になります。金をはらって働きにいくということで、大幅なメンバーの減少により、指導員を減らすことが予想される中で、そんな余裕がどこにあるのでしょうか?いままで通りの包括払いではいけないのでしょうか?(5月16日記)
 今日診察がありました。先生はいともあっさりと言いました。政府の腹は自然発生的な作業所をぶっつぶすことだと。そして介護保険と統合して金のある業者に施設をつくらせ、純然たるサービス業にすることだ。福祉だと思うから悩み込むんだ。な~んだ、そうだったのか。深く納得してしまいました。メンバー30名近くをかかえる作業所を失うことが僕は怖かったのです。それでこの「福祉ぶっつぶし法案」に必死で反対した。それで死にたくなった。潰すのが政府の腹なら潰れるしかないじゃないか。たとえ建物は潰れても政府にも介入できないメンバーの絆があるじゃないか。原点に戻って患者会になればいい。ただ、採決の日を「福祉が死んだ日」として記憶にとどめたいと思います。(5月17日記)

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