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続・北海道の医者から見た東京の精神科事情ー合併症医療について

伊東 隆雄

本誌1月号に東京での差別、偏見について書きました。それじゃあ、北海道では差別がないのか、という声が聴こえてきそうなので、当然どこにでも差別はあるよということと、若干の補足をふくめて書いてみたいと思います。もちろん、私個人の限られた経験から、東京はなになに、北海道はこれこれなどと一般化して偉そうなことは言えず、あくまでも個人的かつ主観的な印象だということをご理解ください。北海道にも差別や偏見がありますが、おおらかで開放的な土地柄のせいか、ミゾは浅いようです。

一般科の医師の対応
私は北海道では、総合病院2ヶ所、単科病院2ヶ所で勤務しました。総合病院では、他の科の医者との間にはなんの垣根も感じませんでした。精神科の患者さんの診療を頼めばすぐに対処してもらえました。差別的な対応をされたことはほとんどありませんでした。どんなに精神症状の強いひとでも、ふつうに治療してもらいました。なにか困難があればいっしょに相談しながら対応できたので、おたがいそんなのもだと思っていました。
単科病院のときも、近くの総合病院に患者さんを依頼すると、たいがいすぐに受け入れてもらえました。そのかわり、こまめに電話で相談したり、ときに往診したりと、意思疎通をはかりました。拒否されなかった理由は、いずれも田舎の小さな街だったので、総合病院は一ヶ所しかなく、そこの医師たちの意識が高かったことと、医者同士が顔見知りになってしまうからという理由が考えられます。なにごとも、知り合いから頼まれると断りにくいということがあるかと思います。しかしそれだけでは説明がつきません。
一般科の医師も、何度か精神科の患者の治療に関わることで、偏見が薄らいでいくのでしょう。じっさい、精神症状がかなり激しいひとでも、からだの治療をするときには落ち着くことが多いものです。台風の目に入るように、嵐のなかでもすーっと落ち着いてしまうことがあります。そういう姿を眼にした内科医や外科医は、「精神障害者怖れるに足りず」と学習するようです。あらためて偏見は無知から生じるものなのだと実感しています。

都の合併症事業のナンデ?(続編)
前回も合併症事業のことにふれました。たしかにありがたいシステムです。医療砂漠の東京では。何度かお世話になりました。お世話になりながら文句をいうのも恩知らずですが、ひとつだけ。受け入れ病院に転院するとき、なぜか医療保護入院にさせられます。こちらで任意で入院しているひともです。法の精神は、なるべく任意入院にするようがんばりましょう、ということだったはずです。私も、任意にする要件のない場合のみ医療保護になるものと理解しています。患者さんに判断能力があり、合併症治療のため転院することを了解しているのに、医療保護にしなければならない根拠はなんでしょうか。身体的治療にともなう行動制限を合法化するためでしょうか。(だとしたら医療上安静を必要とするすべての病人や怪我人は、指定医の診断が必要でしょう。蛇足)
自発的な非自発的入院、(ボランティア活動の強制みたいで)やっぱ変ですね。
ひとつだけといいながら、もうひとつだけ。ある病院での合併症治療が終了して、こちらに戻るときの話。家族が迎えにいくだけでいいか、こちらの病院から看護者も迎えに行ったほうがいいか、担当医に聞いてみました。すると「それは判断しないことにしています」といわれました。家族が希望すれば看護者も来ればいいし、要は家族に聞いてくださいというわけ。こちらとしては医学的に判断したいから尋ねたわけです。すたすた歩ける任意入院なら病院からお迎えにいく必要はないのです。なにか症状が残っていれば看護が必要で、それくらいは判断してくれてもいいのにと思うのですが、「判断しません」と取り付く島がありませんでした。たぶんマニュアル道理の答えなんでしょう。

おまけ
つい最近、またまたとんでもないことがありました。当院に通院中の患者さんが、自殺目的で大量服薬してある病院に搬送さ
れました。家族が精神科のことをしゃべっちゃったんですね。すると、まだ昏睡状態の命も危ない状態なのに、こちらの病院に電話が来て、ベッドがないからそちらで引き取れ、さもないと帰宅させるぞという、オドシをかけてきたというわけです。ほんとにベッドがないのかどうかはわかりませんが、死にそうなひとを家に帰すぞとはどんな顔して言ってるんだろうかと、開いた口がふさがりません。北海道では、なんていいませんが、やっぱ、なんかが狂ってるとしか思えません。
それともうひとつ。前回紹介した内科から回されたケースは、脳梗塞でした。

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