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「医療安全確保のための看護人員体制とアウトカムに関する日米セミナー」に参加して

大塚病院看護師 佐藤 朝子
 2月19日に行なわれたセミナーに参加した。一般の方に「看護師配置」と「安全」を理解してもらうことが目的で参加者の中にはマスコミ関係者もいたようだが、ほとんどは看護師で管理者の立場の方が多かったようだ。
 医療関係者にはなじみの深い医療法の話から入り、看護師の必要人数から触れられた。ここで日本と他国との違いが話題になった。日本では日勤も夜勤もならして看護師の数を計算するため、日勤は看護師が多くても、夜勤になると看護師が少なくなるというのがあたりまえと思っていた。ところがアメリカのみならず他国では、夜勤でも患者対看護師の比率は変わらないように配置されているというではありませんか。入院者数が増えた場合は「フレックスシフト」の看護師を呼び出して勤務するというアメリカの報告に会場は思わず「うーむ」というためいきとも驚きともつかない声が響いた。
 また勤務の組み方も日本は三交替が定番で、1週間の間に3種類の勤務があるが、アメリカでは1週間の間には2種類の勤務形態しかないということだった。「首都圏の急性期病棟における看護管理者の認識」の調査では夜勤の間に全く休憩がとれない、あるいはとれても15分以内という職場が40%あったという報告もあり、人員が増えれば医療事故も防げると思うと感じている看護管理者が67%もいるのに対し、経済的理由で人員を増やせないでいる病院が60~70%もあった。
 勤務時間の複雑さに加えて、休憩時間の短さ、在院日数の短縮、人の命を預かる仕事ゆえのストレスやいまだに変わらない医師との主従関係という意識などが看護師の労働環境を悪化させ、燃えつき症候群へと発展させているのだろうか?
 ところで、カリフォルニア州看護成果連合では『患者のアウトカム(成果、効果)に与える看護師配置の影響』について研究されており、多職種チームとのコミュニケーションが良くなると死亡率が低下したとか、看護ケアが5%手厚くなると転倒が10%減少したという結果が出ているらしい。
 看護ケアを5%アップさせるというのは抽象的で具体的に何をどうするという答えはないが、感染症にかかったり、予防できたはずの合併症で死亡することのないように、データによって改善するきっかけを作ることが目的だという話があった。
 とはいえ、日本のほとんどの看護師は「研究」というものが苦手で、データをとるのも得意ではない人が多いと思う。日々の仕事で手一杯のところへ持ってきて、データを取るためにさらに別の動作が追加されるわけだ。忙しくてチェックできない場合はそれを覚えていなければならない、いや覚えていようと思っていても患者優先なのでどうしても忘れてしまう。カリフォルニアからわざわざ来日してくれた講師は、こういう状況だからこそデータソースにより分析が異なってはいけないので、標準化したデータの構築が必要だといっていた。
 カリフォルニア州看護成果連合での調査には170もの病院が参加しており、コンピュータでそれぞれの患者データ、転倒率、褥創発生率、拘束具使用率などを見ることができるそうだ。患者データや病院名は全てコードに変更されており、自分の病院のコードはわかるが他病院のコードはわからないようになっているらしい。同規模の病院と自分の病院を比較し、看護師人員体制の有効性や患者の安全を改善することに活用できる。
 日本でも(というより、私の勤務する病院では?)どういう効果があるのかわからないまま導入する看護診断やモジュール看護方式より、もっと先にやることがあるように思うのだが・・・。

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柏木診療所での仕事

医療法人社団東迅会 柏木診療所PSW 樽元 裕輔
                           
 私が精神保健福祉・医療の世界に足を踏み入れて(学生期間も含め)5年目に入りました。精神保健福祉士としての勉強を始めた当初は今までとは全くの別分野だったため、当然といえば当然のことですが見ること、聞くこと全てが未知の世界のもので不安になりこの先ずっと続けて勉強していけるのか?と考えたこともありました。しかし、専門学校を卒業しその後、精神障害者生活支援センター、保健所デイケアと非常勤ながら現場を経験し少しずつ学生時代に学んだ知識が実際とつながっていきました。
 そして昨年4月から柏木診療所に勤務することになりました。入社前に柏木での仕事は精神保健福祉士としての仕事以外のこともやる<何でも屋>という説明を受けました。実際働いてみると本当に<何でも屋>的な仕事内容でした。しかし、なんでもやるということは色々なことを知ることにつながり、ケースワーカーはケースワーカーの仕事のみをやるということよりはるかに得るものは多いと感じました。
 例えば、受付・医療事務の仕事をすることでは患者さん毎の薬の種類・量を把握することができ、この薬を服用しているから身体的にこのような症状が出る可能性があるというようなことを知り、相談の時などに役立てることができ、さらには仕事をしながら色々な薬の薬効まで勉強することができます。その他、通院医療費公費負担制度等、行政上の手続きを覚えることで、そのような手続きの流れ、さらには福祉行政の問題点も見えてきました。
 また診療所は大所帯ではないので医師、看護士等他職種と身近に接触する機会が多く、患者さんの精神・身体の状態をリアルタイムで共有でき、医療的なことを勉強する機会にも恵まれています。そしてこれらのことは全てケースワーカーとして仕事をすることにプラス要素としてつながっていると感じています。
 その他、柏木診療所は東京地業研を母体とすることもあり、実に様々な分野の方々と接する機会があります。このような人達と会って何をどう勉強し吸収していくか、悪い意味ではなくどう利用し役立てていくかを今後考えていくことが必要だと感じています。
 診療所で働き始めてから、仕事で患者さんと接することで、悩み、考え、自分の未熟さを痛感すること、自分自身というものを見直す必要があると感じたことも度々ありました。しかし、その悩み、考えることで沢山のことを得ることができ、他の職種では得られない充実感も感じることができていると思っています。
 その他、毎日の仕事の中で現在の医療の問題点、福祉施策の不備な点等、様々なことが見えてきます。しかし今の自分にはそのような問題の根本を変えていく力はありませんし、変えるためにはどうすればよいのかも見えていません。いずれは問題の解決のための運動、働きかけ等にも関わっていくことになるのかもしれませんが、今自分がやるべきことは診療所のなかで自分のできる仕事を精一杯やることだと考えています。それは、診察の時間の都合で医師の聞ききれない患者さんの相談事等のフォロー、患者さんがより良い生活を送るために利用できる制度等を1つでも多く知り、提案することそして、診療所職員としての基本的な仕事をこなしていくことだと考えています。
 今後、行き詰まり悩んだりすることも多々あると思いますが、診療所の職員、関係者、患者さん、友人達等色々な人と接し、話し合い、考え、成長していければと思っています。

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精神病院調査に参加して

コミュニティサポート研究所 狩野晴子

 私は精神障害についてはまったくの素人であるが、「治療」を目的とする病院という生きにくい場所でどのような暮らしをしているのか、そこでの問題は何かということを知りたいと思い、今回初めて病院調査に参加させていただいた。いわば市民の目で見た精神病院の感想を以下、思いつくままにあげてみる。
1 精神病院は入所施設である
「わかりきったことを」と思われるかもしれないが、私の最初の驚きはやはりこれであった。「病院」という言葉から連想する「病気が治るまでの一時的な場」ではなく、生活の場としての精神病院を目の当たりにして、ここは他の障害でいうところの「入所施設」なのだと実感した。入所施設であれば、アクセスの悪い山の中にあることも納得できるし、外出が制限されることも(悪い意味で)納得できる。しかし、入所施設にしてはその人らしい生活を実現する努力がなされていない。入所施設と病院の狭間にあるのが精神病院だと実感した。
2 熱心なスタッフでも違和感があるのは何故?
精神病院のおどろおどろしい話を耳にしていたので、どんなに恐ろしい鬼や悪魔のような医師や看護師がでてくるのかと思っていたら、意外にも普通の人ばかりであった。しかも優しく熱心に仕事に取り組んでおりいい人達の様である。しかしよくよく話をきいていると、気持ちは伝わるけどなんだか腑に落ちない、という感じがしてくる。私はどこがおかしいと指摘できるほど鋭くもないし知識もないので、「なんかヘン」「なんか違う」という表現になってしまうのだが、3箇所訪問したどの精神病院でも違和感を抱く。これは知的障害者の入所施設の職員に対して感じる違和感と同じものだ。私がもし入院している立場だったら「あなたの為を思って…」などと言われたら、正直やりづらい。巧妙なやり方に違和感を覚えながらも「自分の方がおかしいのかな」という気になってしまいそうだ。本当に怖いのは鬼や悪魔ではなく、普通のいい人の中に潜む疑いのない善意や思いやりだったりするんだろうなと思う今日この頃である。
3 精神病院の中の知的障害者
精神病院が行き場のない人たちの受け皿になっている実情はこれまでも耳にしたことがあったが、知っているのと実際目にするのでは雲泥の差がある。ある精神病院で、長期に保護室を利用している理由について質問したところ、「知的障害のある人なので」と一言で回答されてしまった時は、知的障害が保護室利用の立派な理由として通用してしまうことに衝撃を受けた。保護室に入れざるを得ないシビアな状況ではあるのだろうが、かたや知的障害者福祉法に基づく施設では保護室は設置されておらず、障害特性を考慮したアプローチが行われている。どこに所属するかで本人の生活が大きく変わってしまうこと、そしてその決定権を本人ではない他者が握っていることに恐れを抱かずにはいられない。
 病院や施設を訪問する時は、自分がそこに住みたいと思うかどうかを基準にして考えている。一つとして入院したいと思う精神病院はなかったが、住まざるを得ない人がいる現実を前にすると、私の言っていることは稚拙で世間知らずの戯言に思える。しかし、そんな一市民でもお役に立てたのならば参加した甲斐があったというものである。

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