« 水野国賠裁判一審は勝訴、でも闘いは高裁へと続く | トップページ | 柏木診療所での仕事 »

精神病院調査に参加して

コミュニティサポート研究所 狩野晴子

 私は精神障害についてはまったくの素人であるが、「治療」を目的とする病院という生きにくい場所でどのような暮らしをしているのか、そこでの問題は何かということを知りたいと思い、今回初めて病院調査に参加させていただいた。いわば市民の目で見た精神病院の感想を以下、思いつくままにあげてみる。
1 精神病院は入所施設である
「わかりきったことを」と思われるかもしれないが、私の最初の驚きはやはりこれであった。「病院」という言葉から連想する「病気が治るまでの一時的な場」ではなく、生活の場としての精神病院を目の当たりにして、ここは他の障害でいうところの「入所施設」なのだと実感した。入所施設であれば、アクセスの悪い山の中にあることも納得できるし、外出が制限されることも(悪い意味で)納得できる。しかし、入所施設にしてはその人らしい生活を実現する努力がなされていない。入所施設と病院の狭間にあるのが精神病院だと実感した。
2 熱心なスタッフでも違和感があるのは何故?
精神病院のおどろおどろしい話を耳にしていたので、どんなに恐ろしい鬼や悪魔のような医師や看護師がでてくるのかと思っていたら、意外にも普通の人ばかりであった。しかも優しく熱心に仕事に取り組んでおりいい人達の様である。しかしよくよく話をきいていると、気持ちは伝わるけどなんだか腑に落ちない、という感じがしてくる。私はどこがおかしいと指摘できるほど鋭くもないし知識もないので、「なんかヘン」「なんか違う」という表現になってしまうのだが、3箇所訪問したどの精神病院でも違和感を抱く。これは知的障害者の入所施設の職員に対して感じる違和感と同じものだ。私がもし入院している立場だったら「あなたの為を思って…」などと言われたら、正直やりづらい。巧妙なやり方に違和感を覚えながらも「自分の方がおかしいのかな」という気になってしまいそうだ。本当に怖いのは鬼や悪魔ではなく、普通のいい人の中に潜む疑いのない善意や思いやりだったりするんだろうなと思う今日この頃である。
3 精神病院の中の知的障害者
精神病院が行き場のない人たちの受け皿になっている実情はこれまでも耳にしたことがあったが、知っているのと実際目にするのでは雲泥の差がある。ある精神病院で、長期に保護室を利用している理由について質問したところ、「知的障害のある人なので」と一言で回答されてしまった時は、知的障害が保護室利用の立派な理由として通用してしまうことに衝撃を受けた。保護室に入れざるを得ないシビアな状況ではあるのだろうが、かたや知的障害者福祉法に基づく施設では保護室は設置されておらず、障害特性を考慮したアプローチが行われている。どこに所属するかで本人の生活が大きく変わってしまうこと、そしてその決定権を本人ではない他者が握っていることに恐れを抱かずにはいられない。
 病院や施設を訪問する時は、自分がそこに住みたいと思うかどうかを基準にして考えている。一つとして入院したいと思う精神病院はなかったが、住まざるを得ない人がいる現実を前にすると、私の言っていることは稚拙で世間知らずの戯言に思える。しかし、そんな一市民でもお役に立てたのならば参加した甲斐があったというものである。

|

« 水野国賠裁判一審は勝訴、でも闘いは高裁へと続く | トップページ | 柏木診療所での仕事 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/19973/3558202

この記事へのトラックバック一覧です: 精神病院調査に参加して:

« 水野国賠裁判一審は勝訴、でも闘いは高裁へと続く | トップページ | 柏木診療所での仕事 »