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水野国賠裁判一審は勝訴、でも闘いは高裁へと続く

東京精神医療人権センター 小林信子

 「おりふれ通信」234号で紹介した「水野国賠訴訟」(交通事故の裁判で東京拘置所に収監された水野憲一さんが、拘置所の精神科医によって、長年服用してきた精神薬(リタリンという覚醒剤に似た薬を含む)を切られ、不調の訴えを聞き入れられないまま自殺。母水野寿美子さんが国家賠償を求める裁判を起こしたもの)の判決が去る1月31日東京地裁であり、完全勝訴した。
 当日の傍聴席は満員。裁判長が入廷し、判決文を読み上げたが聞き取りにくい声だったため、3、4分間傍聴席は静まり返ったままだった。弁護人も「勝った」というアクションを控えたらしく、私も「勝訴」の早とちりかと思って周囲を見渡しているうちに閉廷。廊下に出てから弁護士が「皆さん、勝訴ですよ・・・」と周知をし、支援者は遅まきながら「おめでとう、よかったですね」と喜びの言葉を交わしたのだった。
 その後、弁護士会館に場所を移して報告集会が行われた。原告である水野憲一さんのお母さんと弁護士が司法記者クラブで会見を行っている間に、会見に同席しない弁護士が入手した判決文の解説をしてくれた。 それは原告の主張をほぼ全面的に取り入れたもので、原告側が強調していた以下の3点
①東京拘置所職員(精神科医)が10年以上にわたり憲一氏が処方を受けていた投薬を打ち切った
②医師や職員が憲一氏への適正な自殺防止措置を怠った
③被告の公権力行使に当たり、未決拘留者である被拘禁者の生命・身体の安全を確保すべき義務の懈怠がある
を裁判所もほぼ認め、国に三千数百万円の賠償金を支払うことを命じていた。
 報告集会に合流した原告である母水野寿美子さんはじめ、支援者からの意見表明があった。原告も支援者も強調したように、この裁判はお金の問題ではなく、憲一さんの苦痛を理解しなかった国の非人間的な処遇に対する異議申し立てである。精神障害者に関わる裁判の困難さを私も体験してきているので、一審での勝利は、「日本の民主主義もまだ少し見込みがある・・・」と嬉しがっていたら、弁護団から、「国は、どこをどう争うかはわからないが、何があっても控訴するでしょうから、支援者の皆さんもそのつもりで、気を長く持ってください」と現実的な指摘をされ、一同気をひきしめた。
でも、私はとりあえず地裁で勝利したことを今日一日でも味わいたいと思った。
 控訴期間は14日間で、気になっていたが、予期したように14日目ぎりぎりの2月14日国は控訴してきた。一審判決のどこを争うというのだろうか。あきれてしまうが、地裁判決が高裁でひっくり返ることは日常茶飯事なので残念ながら予断は出来ない。
 原告側が主張する、例えば②については、自殺の危険性があり、いろいろなものを片付けたといいながら雑巾が残されていたという事実がある。また、③の救急救命処置のお粗末さは、憲一さんが意識を失っているのを見て、職員が予断でてんかんのみを予想し、救命処置が適切に行われなかったし、そのトレーニングも欠如していたことが明らかになっていた。また、裁判傍聴で明らかになったことだが、東京拘置所には、職員に准看護師の資格を取らせて配置していて、看護職という専門家の配置ではなかった。
 先の「おりふれ通信」でこの裁判に大きな関心を寄せている上野豪志医師が専門家の立場から①の事項に関わる幅広い批判や解説をしてくれた。その部分がやはり争点になるのだろうか。拘置所の精神科医の証
人尋問を傍聴して私の中に強く焼きついた印象がある。その医師は、証言の中で医者の立場から来たものなのか「リタリンなど飲んでいる人間は罰するべきだ」という思いが隠そうにも隠せなかったようだった。確かに、「僕だってリタリンだったらすぐに切るな・・・」という精神科医の意見も複数聞いている。だが、それは「医療的観察下でのことだけれどね」という条件がついている。亡き憲一さんは、リタリンに出会うまでどんな向精神薬も効果が無く、無気力で寝てばかりいたとの母親の証言があった。リタリンとの出会いにどのくらい医学的必然性があったのか、私の素人考えではわからないが、まだまだ精神病というのはブラックボックスだな、というのが感想である。
 今後、国はどこを争点に裁判を行うのかわからないが、闘いは続く。みなさんも今後のご支援をよろしくお願いします。

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人権擁護法案再上程へのアピールに賛同

編集部 木村朋子
 「おりふれの会」では、東京精神医療人権センターとともに、監獄人権センターや自由人権協会からのよびかけにより、表記アピールに賛同しました。
 同法は、2002年に国会上程されたものの、(1)法の目的である人権救済機関が、法務省所管では独立性がない、(2)メディアの取材が過度に規制される恐れがある、などの強い批判によって廃案となった経過があります。今回これとほとんど変わらない法案が突然国会上程されることになった背景には、部落解放同盟の積極的な動きがあったと報道されています。
 アピールは、政府・与党、法務省への要求と部落解放同盟への要望からなり、要求で「国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)」(=1993年国連総会決議で、①人権侵害の救済、②立法・政策提言、③人権教育の3つの機能をもつ、政府から独立した機関を各国内に設置すべきであるとした)が公権力自体が人権侵害の主体となりうる認識に立っていること、事実日本でも刑務所や、上記の水野国賠事件にも見るように拘置所、入国管理局等法務省管轄の施設で人権侵害事件が後を絶たないこと、社会問題化している刑務所での暴行事件等については、市民が加わった救済機関を設けることが検討され、提言されていることなどをあげ、人権救済機関を内閣府の外局とするなどして、独立性を保てるよう強く求めています。
 第三者性、外の目によるチェックで風通しを良くすることこそ、人権擁護の第一歩と、私達も考えます。

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病院調査に参加して

病院PSW
 今回病院調査に参加し、まだ2病院の訪問に留まっているが、その中で感じたことをいくつか述べたいと思う。私は今までにも10ヶ所以上の病院に見学に行っていると思う。(ほぼ東京に限定されているし、見学というとどの病院も良いとこ中心に見せることが多い?)その時々でショックは受けてきたが・・・

感じたこと その1
何でこんな山の中にあるの?
 長い歴史の中でこのような立地条件に建つ病院が多いのはわかっているが、ユーザーにとっての大変さ、本人にとっても社会にとっても障壁だと痛感。具合が悪い時に単独ではとても通えない、外出だって面会だって、物理的に厳しすぎる。こんな場所にあったら退院支援だって、支援する人・車と運転手の二人がかかりっきりでないと無理。公的に特別の人員配置でもとらなければ(特にこの多摩地域のはずれの病院から、病院過疎の23区に帰る場合など)社会復帰支援は充足できない。

感じたこと その2
ソーシャルワーカーって何の職種なの? 
 ソーシャルワーカーと病院の管理者とぴったり息が合っている。病院の理念・管理体制・サービス等がユーザーにとって好ましい状況なのか、利用者の尊厳は本当に守られているか。これらに問題がある時、ソーシャルワーカーがしっかりと病院に意見できているのか?訪問した病院では、ソーシャルワーカーがこういった一番重要な部分で機能できていると感じることはできなかった。

感じたこと その3
許せない扱い!
 病棟の中に廊下と食堂を仕切る柵を付けている病院があった。食事時間に患者さんが殺到するから食事前に柵を閉め、患者さんには廊下で待ってもらうためという。本当に悲しい状況。言葉はすごく悪いけど家畜扱い、人として扱っていない。
 その他院内でのさまざまな制約について病院側の言い分がある。病院に都合の良い合理化はたくさん。聞きたくない。

感じたこと その4
 やっぱり医療従事者以外の一般市民(精神医療を知らない人)の視点が重要だと感じた。医療関係者だと、「当たり前のこと」と鈍感になっていることが多々ある。自分も調査員をしていてそこの弱さをあらためて感じた。そう考えると医療機能評価だって、ある意味国が推進しているにもかかわらず、ユーザーや市民が調査員(サーベイヤー)に参加することはないのだからおかしな話である。

終わりに
 今回はどれくらいの病院が調査、見学を受け入れて下さるのか。何とか大阪みたいに100%近くにならないものか。「事情」本の社会的認知度がもう少し上がらないかとも思う。
 調査して問題のない精神病院はまずない。それでも調査を受け入れ、長い時間を説明と見学に費やして下さる病院にはありがたいと思う。反面、調査を受け入れない病院は、どんなに問題があっても数値やアンケートのみの掲載となるわけだからおかしな状況である。
 他の病院を見ると気になることがいっぱいあるのに、自分が勤務する病院については、自分自身のおさえが甘い、見逃し、目をそらしていることがあるとも感じた。自分にも厳しくありたい。

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東京精神病院「トイレ」事情

内山智絵

 本誌でも進捗状況をお伝えしているように、精神病院調査訪問が昨年秋から始まっている。私も調査員の一員としていくつかの病院を訪問させていただいた。同じ「病院」とはいえ、こうも違うものかと、あまりたくさんの病院を知らない私には驚きの連続だった。 今回の調査の主眼である、長期在院者の退院に向ける取り組みと急性期治療についての意識の違いや、病院スタッフたちの患者さんたちへの対応の違いなどにはもちろん思うところは多々あったのだけれど、今回は「トイレ」についてのお話を。
 私が12月末現在、訪れた病院は4つ。その中には、ぱんぱかぱ~んとそびえ立つ立派なビルディング。正面に施された壁画をあんぐり口をひらいて見上げた病院もあった。こじゃれた内装。ゆったりとした病室。アメニティは抜群。そんな病院では、トイレもまた充実した空間で、扉が「ふつう」なんて当然のこと、おしりもポカポカあたたかい洋式便器だった。
 一方、こころも荒むような鉄格子のある病院。すすけた壁紙には茶ばんだ張り紙。ホールにはきらきら輝くクリスマスの装飾が施されていたが、それだけがやけに浮き立っていて空しかった。そんな病院のトイレはどうか。扉は上下が開いているアメリカンスタイル。アメリカは防犯のためにそうなっているらしいけど。かろうじて鍵はついているものの、扉はオンボロ。患者さんが殴って開けたという穴をガムテープで修繕(とは言えないが)してある。でも「いつ貼ったの?」と思うほどそのガムテープも劣化していた。おまけに職員用として使用されている個室ひとつだけが、扉をちゃんとしたもの(上下が開いていない)に作り替えられていた。なぜその時に一緒に取り替えられなかったのか。思わず扉を殴ってしまう気持ちもわからなくてはなかった。せめてガムテープくらいは張り替えてくださいいいっ!
 精神科ではない病院でも、古く汚い病院はいくらだってある。現在、わたしの知人が入院している病院もそんなところで、壁紙は黄ばみ、ベットの間隔も非常に狭く、車いすなど通れず、手を伸ばせばすぐお隣さんのベットである。しかし、やっぱりトイレが違う。古いながらも清潔感が漂うように努力している姿勢が伺える。当然においはない。
 そう。におい。ニオイ。臭い!病院のトイレが臭いっていうのはいかがなものか。せめて消臭剤とか芳香剤くらい設置できないものなのか。私は戌年生まれのせいか非常に鼻が利くもので、病棟に入った瞬間、その臭いにやられてしまった。トイレの内部に入ったときなど、目に沁みるほどの「何か」に襲われ苦しかった。まさに「暗い(電灯が、という意味でなく)」+「汚い」+「臭い」=「3Kトイレ」。 あんなトイレを毎日使わざるをえないみなさんが気の毒でならない。あれじゃ出るモノも出ないじゃないか。
 「ボロは着てても心は錦」という唄があるように、「トイレはボロでも心は錦」ならば良いのだけれど、病院全体の患者さんに対する姿勢とトイレの様子は残念ながら比例していたように思えた。そうではない病院も存在するのかもしれないけれど。
 マイケルムーア監督の映画「THE BIG ONE」で、大量リストラした企業に表彰状を送ったのを見たが、それを真似てトイレのひどい病院に表彰状を送りたい気分である。便利屋をやっている仲間たちと、精神病院トイレ改修特殊部隊を結成して営業にいこうかと思っているがどうだろう。お安くしときますけど。

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