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コーディネーター日記2004.12

東京精神医療人権センター 小林信子

―病院訪問途中経過
2004年も終わろうとしています。今年後半の「センター」の活動を振り返ると、目下進行中の精神病院調査訪問の準備に精神的なエネルギーを使ってきたと感じています。今回の調査は、苦情が相次ぐ向精神薬の点滴と身体抑制、保護室の使用を調査するための急性期病棟と、長期在院者の退院と処遇の2つに調査を絞っています。その関連で、「保護室を空っぽにする」道立緑ヶ丘病院の実践を突撃インタビューしてきました。でも東京では、依然として精神病院の門戸は硬く、訪問受け入れ病院の数が伸びていません。「センター」が行うからダメなのかどうか、理由はわかりません。質の高い病院は日本医療機能評価審査を受けているので、評価には慣れていてほとんど受け入れてくれています。これら調査結果は請うご期待ですよ。

―痴呆療養病棟は増加している
それにしても、精神医療の先行きは暗いですね。国は10年間で7万2000ベッド削減といっていますが、その一方で病床が増えていることをご存知でしょうか。医療法のベッド策定数に余力がある地域の話ですが、埼玉県でも精神病院が出来ていますし、宮城県では、ここ1年間で精神科ベッドが1000増加。ほとんどが痴呆療養病棟だとのことでしたが、精神病院であることには間違いなし。本当に痴呆病棟がそれほど必要なのでしょうか。これは精神病床削減施策とどう関連するのでしょうか。これらの人々への権利擁護手段は全くありません。「センター」は誰と、何をどうすべきなのか、大きな課題です。

―歴史から学ぶこと
 来年7月に施行される「心神喪失者等観察法」に対し勉強会を続けています。国立武蔵病院では特別病棟建設の地ならしが始まったとのこと。10月末に神戸で開催された国際社会精神医学会で、このテーマでのシンポジストに招かれました。私の意見は単純に言えば「法になってしまったが、世界一の精神科ベッド数にさらにベッドを増やすこの法に反対」というもので、何の新鮮なものでもありません。この法の持つ曖昧さによる危険性は、私と考え方が異なる多くの人々でも共有されていることがわかりました。日本の司法病棟で働く予定の専門家がトレーニングに送られているイギリスで、司法精神科医であるガン教授が「日本の細かいことはわからないが、始め300ベッドを建設するというその根拠は何から来たのか」とフロアーから質問したところ、司法病棟建設病院となっている肥前病院の村上医師は答えられないままでした。これだけでなく、根拠なき1年半での退院目標、予算計上での誤算からの計画変更、病棟建設と地元との問題などのトラブルそして、何よりも退院後の確たる計画が全く不透明ということ等が、予測されていたこととはいえやっと人々に知られてきたことは、もう手遅れでしょうか。そのガン教授の報告で、イギリスの精神病者と法律の歴史を知りました。イギリスでは1800年にハトフィールド法が制定され、これは王の殺害を企てた人が精神病者で、一般の精神病者とは“別に処遇”された最初のものだとのこと。さらに、今日に至る200年の歴史の積み重ねが紹介されました。雑談時に、私が先進国の司法病棟設立の契機になった事件について調べたいと口を滑らしたら、教授は「歴史を知ることは重要だ。歴史を理解しないとそれがサブリミナルのように現れて、実践や制度に密かな影響を与えるのだ」とおっしゃっていた。そう、歴史といえば、「センター」の創設者の一人、広田伊蘇夫先生の大著作である「立法百年史」(批評社)は、この分野で働く多くの人々にはぜひご一読をお勧めします。過去を知ることで、現在の社会の動きをよく理解できることも多いのです。負の遺産が多いこの精神医療分野では特に必要なのではないでしょうか。
 私にはまだ理解できていない「グランドデザイン案」関連でヒートアップしている32条削減問題も、その出自は1965年の法改正で、医療中断を防ぎ患者を管理する目的だったもの。その大恩恵を受けている診療所関係者が大騒ぎしているのはかなり恥ずかしい。でも、ユーザーにとって起源はどうであれ、恩恵も受けていて背に腹は代えられない、という現実は十分に理解できます。しかし、この予算は精神福祉法からのもの。悲願の三障害統合施策という目標と、法32条の存続を訴えていることに、方針としてどう折り合いをつけていこうとしているのでしょうか。精神保健法改正とリンクさせているのかどうか、私にはわからないのです。法と実践がかけ離れ、行政不信が血肉化している私には、混乱の極みです。ともかく、もっと議論を重ねるべきですね、拙速な立法化には絶対反対します。

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普通の市民の目で精神病院を見る-その②

コミュニティサポート研究所 齋藤明子

歩くモノサシ
 調査に必要なものは公平性と客観性だ。それを担保するものは何だろうか。実は完全に公平で客観的な調査などあり得ない。にもかかわらず、公的機関やマスコミの調査は「これこそ真正な評価だ。信じるべしまたは基準にすべし」という姿勢で対象に君臨してくる。
 東京都地域精神医療業務研究会(地業研)と東京精神医療人権センターの調査は違う。自らの限界や立場を明確にした上で、参考にして欲しい、と謙虚に述べている。数字が表すもの(東京都の精神病院調査の数字の読み込み)と訪問調査(調査員が目にしたこと)を組み合わせて一面的な判断になる危険性も排除している。
 この調査はどこからもお金をもらっていない。だから調査員も交通費の実費補填以外、すべてボランティアである。しかし、だれでも調査員になれるわけではない。必要なのは専門性や資格ではなく、研修に参加することと、「調査員として機能できる」とこれまで調査に携わってきた中心的な人々から判断されることである。さらに調査は原則3人以上のチームで構成され、班長には長年、精神医療分野で働き、多くの患者さんや病院を見てきて、以前もこの調査に参加した人がなる。だから私は安心した。新入りの私の意見がそのまま報告書に出てしまったら恐いが、自分の見たり感じたりしたことは経験豊富な人や一緒に見た人の事実認識や意見とすり合わされ、十分な議論を経て報告書に書かれると知り、初心者の私でも自分に即した貢献をすれば良い、と納得した。
しかしいざ「○○病院の調査に行ってください」と言われたときは緊張した。先入観を持たず、決めつけず、事実を目に焼き付けるようにしようと、棟方志功の真似をして「わだば、歩くモノサシになる」と決心してでかけた。

そして感想。
(以下の文章は個人的な想いであり、病院訪問調査の評価とは全く関係ありません)
 これまで5病院を訪問した。五つのうち四つの印象は、私的に言えば「殻ごと胡桃が入ったマシュマロ」である。ゴシックロマン小説に出てくるような外観の病院は私が訪問した中にはなかった。入口やロビーは他科(内科や外科)の病院とほとんど変わらなかった。しかしさらに踏み込んでみると、コツンと納得できないものにぶちあたる。一つは他科とは比べ物にならない超長期入院者の存在だろう。高齢者が内科や外科に入院すると「ここは病気を治す場で生活施設ではないんですよ」と家族は申し渡される。退院後の生活設計を早くしておきなさい、という警告である。反対に精神病院には出口がないことを受け入れてしまっている雰囲気がある。“ここが病院なら治して!”“生活施設ならもっと自由に、快適にして!”と私だったら叫んでしまうだろう。
 ど・しろうとの発言を許してもらえば、精神病と精神障害の切り分けがないことが、だらだら医療につながっていると思う。身体障害者の場合、脊髄損傷や脳梗塞、脳出血で入院すると治療があり、リハビリがあるが、ある次点で普通の市民の生活に移る。マヒや障害を持ったまま医療を卒業するのである。そしてマヒや障害はその人に付随する新しい個性となって本人も周囲も受け入れて、必要な社会的支援を受けつつ会社の社長になったり、優しい親になったりして人生を歩んでいく。もちろん障害者も病気をする。しかし病気が治れば退院する。障害がなくなるまで入院している人はいない。障害部分と病気部分が切り分けられるからである。精神疾患の世界でも、みんながその必要を痛感すれば切り分けられるはずだ。
 同時に障害を持ったまま社会で暮らすためには量や種類が選択できる多種多様な社会的支援(福祉サービス、社会サービス)が必要である。さらに支援を受けることがスティグマ(差別の根拠)に繋がらないような保障がなければならない。
 二つ目は病院スタッフ、特に医師の意識の違いが病院によって極端と言ってよいくらい違うことだった。「殻ごと胡桃」でなくちゃんと殻を割って中身を出してあるな、と思った病院の医師は白衣を着ていず、失敗についても話してくれた。「何か変えるべき点はないですか」と質問してきた。他の病院が評価の良し悪しに神経を尖らせ、中身についてあまり興味を示さないのとは対照的であった。
 三つ目は患者さんである。精神病院では患者さんが医療サービスの消費者、あるいは利用者とは考えられていない、という気がした。いくら呼称を「患者様」にしても、扱いは銀行で慇懃無礼に扱われる小口預金者ほどにも尊重されていない。病院にはまだ「江戸時代のような身分制度がある」と思った。いかなる組織でも地位や立場、権限には違いがある。しかしそれが人間としての部分は侵食しないのが民主主義である。『釣りバカ日記』のように釣りに行けばダメ社員も社長もない。しかし病院のように完全クローズドの環境ではスタッフも患者も人間に還ることがない。精神病院の息が詰まる感覚はこの辺にあるのだろう。
 最後に、訪問調査を受け入れた病院はそのことだけで「精神病院が社会的な存在であり、故に開かれたものでなければならないということを自覚しており、そして権威でも権力でもない主体の評価を受け入れることにより、謙虚さと寛大さという、あらゆる市民がたぶん心の底で真に精神医療に期待しているものに応えている」と思った。この世のモノサシは行政や科学や利害だけではない。

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大阪ピアサポートグループ訪問記

<編集部から>東京でピアサポートに関わる当事者達が研修旅行で大阪のピアサポートグループを訪問し、訪問記を寄せてくれました。

「すいすい」とピアサポート
 11月18~19日に大阪研修旅行で、NPO精神障害者地域生活支援センター「すいすい」に行きました。そこでピアサポートに関するお話を聴かせていただきました。「すいすい」の名前の由来は、水 すなわち生命の根源・源源(すいすい)からきているそうです。階段をあがりいくつかの部屋の前の廊下を通り、奥の広めの会議室に案内してもらい、名刺交換をしたあと理事の芦田さんからピアヘルパーの育成状況など諸々お話がありました。その後実際にピアサポーターとして仕事をなさっている当事者のHさんとSさんの体験談を聞かせていただきました。お二人の誠意のこもった話には思わず引き込まれていきましたが、退院したいけど不安がいっぱいでなかなか退院できない患者さんにとって同じようなつらい体験をしてきた当事者の退院促進活動は真の励ましになると感じました。ただ社会的入院をされている患者さんを外に連れ出すことは簡単ではないようで、少しずつ少しずつ時間をかけてその方と仲良くなっていくようです。同席していた私の仲間の人が、自分に自信が持てなくて不安な気持ちをSさんに訴えかけていました。Sさんは「そんなん私だって不安はあるう(中略)患者さんと私は障害の種類は違うけど辛いんはいっしょ。そこで共感できるん。めいっぱいやわ」と話されていました。また「私にもできる 前進している」と歓喜のことばも聞くことができました。一生懸命に話されるSさんに私はとても好感がもてました。「そうや これがピアやわ!」と私まで大阪弁になってしまいましたが、その後の交流会ではおいしい551の豚まんと東京のたこ焼きとはひと味ちがう大阪のたこ焼きをおいしくいただきました。すいすいの皆さん、ごちそうさまでした。そしてこれからもがんばられることを期待しています。            さとりん

大阪研修の感想          ピアサポートグループりらく立川・神山久
まず最初に行ったのは、玉造駅のそばにある「すいすい」という地域生活支援センターだった。この施設は、ピアヘルパー事業のために三菱財団から350万円の助成金を受けて、それを有効に使っているとのことだった。僕達もこのように様々な財団から助成金を受け取ることができたらいいのにと思ったが、やはりお金がないから最低限の人を集めるのもままならない状態だ。ひと通りお話を聞いた後、豚まんとたこ焼をごちそうになった。とてもおいしかった。
翌日行った阪急の池田駅にある「咲笑(さくら)」という地域生活支援センターでは、長期入院していたある利用者が、保証人である妹さんから「退院するな」と言われてしょげていたところ、大阪市の退院促進事業の対象に選ばれ、所長さんに何度も訪問してもらって1ヵ月後には晴れて退院できたという素晴らしい話を聞き、感動した。やっぱり、僕達よりも進んだところがあると、いい勉強になった。
それに、その日出してくれたコーヒーとうどんは安いし美味しいし、とても素晴らしかった。以上食い倒れの大阪旅行だった。

大阪で感じたこと考えたこと
   地域生活支援センター当事者職員               久保田公子
 「すいすい」と「咲笑(さくら)」はどちらもピアヘルパーやピアサポーターが活躍しているところであり、その人たちの活動を知ることを主な目的とした。
<ピアヘルパーについて>
「すいすい」では、既存の2級ヘルパー養成講座とは別個の、「共感」と「ありのままの自分を活かせる」独自のカリキュラムを作っている。そしてピアヘルパーを「当事者性を生かしながら相互支援する中で相互にエンパワーメントする」ものとして位置づけ、有償=就労の一形態としている。なおかつ、ピアヘルパーの役割として2級ヘルパーで足りないところ(対等性、ケア内容や場所・時間などの柔軟性)の補完があげられていた。これらの活動に先立って、作業所・グループホーム・生活支援センターのスタッフに当事者同士の支援場面についてアンケートを行なったということも、他にない特色である。
またピアヘルパーの体験から学んだこととして①まず自分の健康管理、②金銭を介することで上下関係にならないように心がける、③病気の体験をしたことで相手のことが全て分かるわけではないことを自覚する等、いくつかあげられていたが、私がこの研修の中で最も印象に残り共感したのは③のことである。
私は、自分が当事者職員として働く意味を、自分の病いの経験を生かしたい、当事者になった立場から「健常者」であったときの自分の支援のあり方・関わり方を点検したい、と考えていた。そしてその前提には当事者でなければ分からないことがある、という思いがあったし、今もそう考えている。しかし、専門家が「専門家としての知識というフレーム」でのみ見て分かったようなつもりになることが間違いであるように、当事者が「自分の体験というフレーム」でのみ見て分かったつもりになるのもまた違うと思う。人は相手が自分とは違うということを前提にするからこそ共感したい、理解したいと努力できるのだし、自分の限界をわきまえることが相手を尊重することにつながるのだと、いまさらながら思う。

<ピアサポーターについて>
ピアサポーターは、大阪市退院促進事業の中で、入院者に地域の情報を提供して退院の不安を解消したり、退院者に寄り添いながら地域での生活をサポートするものとして位置づけられている。養成研修と主治医の推薦を受け、何よりも「自分のことをどれくらい知っているか」を条件に雇用され、雇用先は「すいすい」など数ヵ所の支援センターだったり、財団法人の精神障害者社会復帰促進協会(厚生省・大阪府の認可を受けて設立)であったり、二通りあるようである。
ピアサポーターの役割や効果の根底にあるのは、ピアヘルパーと同じく「共感」であるが、資料によれば、共感のむずかしさについても、①賃金が発生することでうらやましがられたり、嫌味を言われる、②経験から行なう支援なので自分自身の分からないことにぶつかったときに戸惑う、という上記に述べたピアヘルパーの体験からの学びにも通じるようなことがあげれている。さらに当事者が当事者であるピアサポーターからの支援を望まない、という声もあげられており考えさせられる。それは、「精神障害者」に対する社会の差別意識から私たち当事者自身も解き放たれていない現状があるからではないだろうか。
また、退院促進事業によって精神病院も変わってきたということだったが、時間がなく詳しいことは聞けなかった。この事業は長期入院者の退院促進が目的であることは言うまでもないが、そもそも長期入院者を生み出してきた大きな原因は、収容主義的で管理的・閉鎖的な日本の精神医療・病院にある。その反省の上に立って、当事者の力・ピアサポーターの力を活用すると同時に、病院内部の開放化にも取り組んでほしいと思う。私も一員である「ピアサポートグループ・りらく立川」の長期在院者退院促進のための訪問を積極的に受け入れていて、都内でも良いとされている病院でさえも閉鎖率の方が高く、閉鎖病棟内では一律の金銭管理(現金が持てない)がなされていることを知ってショックを受けた後だったこともあり、改めて考えさせられた。
全体的な感想としては、大阪においてはピアとしての意味や役割が整理されており、「すいすい」の運営母体である「ヒット」の理念でもある「当事者」と「健常者」の<協働>が成り立っているように感じた。また、活気はありながらもゆったりとした流れの中で運営がなされているように感じられた。
そして最後に、「健常者」も「当事者」もなく、慣れない大阪の町で時には右往左往しながらも共に研修旅行を終えられたことが嬉しい。

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