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普通の市民の目で精神病院を見る-その②

コミュニティサポート研究所 齋藤明子

歩くモノサシ
 調査に必要なものは公平性と客観性だ。それを担保するものは何だろうか。実は完全に公平で客観的な調査などあり得ない。にもかかわらず、公的機関やマスコミの調査は「これこそ真正な評価だ。信じるべしまたは基準にすべし」という姿勢で対象に君臨してくる。
 東京都地域精神医療業務研究会(地業研)と東京精神医療人権センターの調査は違う。自らの限界や立場を明確にした上で、参考にして欲しい、と謙虚に述べている。数字が表すもの(東京都の精神病院調査の数字の読み込み)と訪問調査(調査員が目にしたこと)を組み合わせて一面的な判断になる危険性も排除している。
 この調査はどこからもお金をもらっていない。だから調査員も交通費の実費補填以外、すべてボランティアである。しかし、だれでも調査員になれるわけではない。必要なのは専門性や資格ではなく、研修に参加することと、「調査員として機能できる」とこれまで調査に携わってきた中心的な人々から判断されることである。さらに調査は原則3人以上のチームで構成され、班長には長年、精神医療分野で働き、多くの患者さんや病院を見てきて、以前もこの調査に参加した人がなる。だから私は安心した。新入りの私の意見がそのまま報告書に出てしまったら恐いが、自分の見たり感じたりしたことは経験豊富な人や一緒に見た人の事実認識や意見とすり合わされ、十分な議論を経て報告書に書かれると知り、初心者の私でも自分に即した貢献をすれば良い、と納得した。
しかしいざ「○○病院の調査に行ってください」と言われたときは緊張した。先入観を持たず、決めつけず、事実を目に焼き付けるようにしようと、棟方志功の真似をして「わだば、歩くモノサシになる」と決心してでかけた。

そして感想。
(以下の文章は個人的な想いであり、病院訪問調査の評価とは全く関係ありません)
 これまで5病院を訪問した。五つのうち四つの印象は、私的に言えば「殻ごと胡桃が入ったマシュマロ」である。ゴシックロマン小説に出てくるような外観の病院は私が訪問した中にはなかった。入口やロビーは他科(内科や外科)の病院とほとんど変わらなかった。しかしさらに踏み込んでみると、コツンと納得できないものにぶちあたる。一つは他科とは比べ物にならない超長期入院者の存在だろう。高齢者が内科や外科に入院すると「ここは病気を治す場で生活施設ではないんですよ」と家族は申し渡される。退院後の生活設計を早くしておきなさい、という警告である。反対に精神病院には出口がないことを受け入れてしまっている雰囲気がある。“ここが病院なら治して!”“生活施設ならもっと自由に、快適にして!”と私だったら叫んでしまうだろう。
 ど・しろうとの発言を許してもらえば、精神病と精神障害の切り分けがないことが、だらだら医療につながっていると思う。身体障害者の場合、脊髄損傷や脳梗塞、脳出血で入院すると治療があり、リハビリがあるが、ある次点で普通の市民の生活に移る。マヒや障害を持ったまま医療を卒業するのである。そしてマヒや障害はその人に付随する新しい個性となって本人も周囲も受け入れて、必要な社会的支援を受けつつ会社の社長になったり、優しい親になったりして人生を歩んでいく。もちろん障害者も病気をする。しかし病気が治れば退院する。障害がなくなるまで入院している人はいない。障害部分と病気部分が切り分けられるからである。精神疾患の世界でも、みんながその必要を痛感すれば切り分けられるはずだ。
 同時に障害を持ったまま社会で暮らすためには量や種類が選択できる多種多様な社会的支援(福祉サービス、社会サービス)が必要である。さらに支援を受けることがスティグマ(差別の根拠)に繋がらないような保障がなければならない。
 二つ目は病院スタッフ、特に医師の意識の違いが病院によって極端と言ってよいくらい違うことだった。「殻ごと胡桃」でなくちゃんと殻を割って中身を出してあるな、と思った病院の医師は白衣を着ていず、失敗についても話してくれた。「何か変えるべき点はないですか」と質問してきた。他の病院が評価の良し悪しに神経を尖らせ、中身についてあまり興味を示さないのとは対照的であった。
 三つ目は患者さんである。精神病院では患者さんが医療サービスの消費者、あるいは利用者とは考えられていない、という気がした。いくら呼称を「患者様」にしても、扱いは銀行で慇懃無礼に扱われる小口預金者ほどにも尊重されていない。病院にはまだ「江戸時代のような身分制度がある」と思った。いかなる組織でも地位や立場、権限には違いがある。しかしそれが人間としての部分は侵食しないのが民主主義である。『釣りバカ日記』のように釣りに行けばダメ社員も社長もない。しかし病院のように完全クローズドの環境ではスタッフも患者も人間に還ることがない。精神病院の息が詰まる感覚はこの辺にあるのだろう。
 最後に、訪問調査を受け入れた病院はそのことだけで「精神病院が社会的な存在であり、故に開かれたものでなければならないということを自覚しており、そして権威でも権力でもない主体の評価を受け入れることにより、謙虚さと寛大さという、あらゆる市民がたぶん心の底で真に精神医療に期待しているものに応えている」と思った。この世のモノサシは行政や科学や利害だけではない。

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