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他人事ではない水野国賠訴訟事件

編集部から:水野事件とは・・・睡眠障害やうつ状態で精神科の治療を受けていた水野憲一さんが、交通事故をめぐる裁判(控訴審)開始をひかえ、2001年6月身柄を東京拘置所に移された。翌日拘置所の精神科医の診察があり、長年服用してきた精神薬(リタリンという覚醒剤に似た薬を含む)を切られてしまった。水野さんの、眠れない、吐き気、耳鳴り、頭痛がするなどの訴えは聞き入れられず、拘置所側は自殺を恐れて房内の危険物を除去するなどしたが、3日後に雑巾を口に詰めて自殺している水野さんが発見されたという痛ましい事件です。遺された母水野寿美子さんが、拘置所が必要な薬を打ち切って憲一さんを死に至らしめた、自殺防止措置を怠った、発見後も適切な救命処置をしなかったことについて、昨年5月国家賠償を求める裁判を起こし、今年水野国賠訴訟を支援する会(連絡先:三多摩法律事務所気付 ℡042(524)4321)も発足しています。
 東京精神医療人権センターの小林が、7月と9月東京地裁で行われた証人尋問、結審を傍聴しました。そこで感じたのは、裁判で“故意による交通事故”という汚名を晴らしたいという水野憲一さんの思いと、その裁判を10日後に控え、拘置所の医師としては何よりも裁判を受ける権利の保障=病状が安定した状態で裁判に臨める最大限の配慮をすべきなのに、突然長期間服用していた薬を切ってしまったという人権感覚の欠如でした。また拘置所全体でもてんかん発作にのみ何とか対応できるという時代遅れの備えや、独房ごとに電灯のスイッチがなく、駆けつけた看守は懐中電灯ももっておらず、発見や救命を迅速に行う態勢もないことなど、あまりにお粗末な状況も法廷で明らかになりました。
 以下は、この事件について意見書を書かれた上野さんに、精神科医としてこの事件から見たことを寄稿してもらったものです。

上野豪志(精神科医)

長い間のんでいた薬を打ち切られ密室で不審死
上で小林さんが事件の紹介と、拘置所の医師としてその人が裁判を受ける権利の保障を考えてしかるべきなのになぜ公判の数日前に断薬したのか、という問題に触れています。拘置所という密室の事件なので、本人の死の真相は所側の資料と主張から推測することしかできません。拘置所側は予測不能の自殺であると主張していながら、医師の処方変更で病状が悪化したとは認めようとしません。死に至る経過については、所側は医師が躁状態を疑うと言う一方で、自殺の恐れありとして常時監視モニターがセットされ一部始終を映し出していたとも言います。顔が鬱血しているように見えたので入室して意識がないことに気がついたとか、自殺を怖れて手ぬぐいなど引き上げていたが残っていた雑巾を自分でのどに詰め込んだのがなかなか分からず手遅れになったと主張するなど、その後の対応も含めて拘置所側の説明には矛盾した主張と不自然・不可解で腑に落ちない謎が多いのです。1月31日に判決が下される予定です。

精神科診療に関連した水野国賠訴訟の争点
法廷では水野さんの死に至る不審な過程も問題にされていますが、今回は触れません。拘置所医務部の精神科医が、これまでの担当医たちが苦心して辿り着いた処方に含まれたリタリンの長期連用を依存と見なして処方を中止します。次いで、処方変更後に本人が訴えた不眠を変更前と勘違いした上にリタリンの副作用と早合点します。さらに、これまでの処方の継続を必死に求める本人を多訴多弁であるとしてうつ病はなかったとする一方、なかったはずのうつ病から躁病に切り替わったのではないかとも言います。本人の訴えを無視し、性格障害を頭に置いてリタリンを含む抗うつ剤の処方を突然打ち切った判断は間違いで、その後に起きた死と因果関係があるというのが原告側の主張です。裁判には、精神科医の対応について別府宏圀氏と秋元波留夫氏の意見書が提出されており、薬物療法と精神医学のそれぞれの権威からの意見は、突然の処方変更は不適切で、その後の死に至る病状悪化を引き出したとする点で一致しています。

水野国賠訴訟には精神科医が教訓とすべき問題がある
わたしは公判を傍聴し、原告側の弁護士から精神科医の対応について意見を求められ細かい点を補足する参考意見を書きました。拘置所医務部の精神科医が犯したミスについて考え、批判以前の粗雑で倫理的な問題の存在とは別に、全ての精神科医が自ら戒めとすべき四つの問題に気がつきました。以下にまとめてみます。

依存症も依存症にこだわりのある医者にも隠れた過剰な不安があり現実を歪曲する
第一に、リタリンという中枢刺激剤を覚醒剤と混同する問題は精神科医にありがちです。リタリンと聞くと医者自身の過剰な不安から依存症を怖れて直ちに処方を打ち切る医者がいます。それは患者がひとりひとり違うという臨床経験を軽視し、あり得る一つの見方に過ぎない依存症という精神疾患の見方を一方的に患者に押しつける医者です。これは患者の病苦の軽減と除去が無条件に治療の第一の目的とされる今日、患者に苦痛の甘受を要求する時代遅れの精神主義です。

簡便版を使うが原本は読んだことがない
第二に、拘置所医師は症状をアメリカの診断の手引き簡便版の基準に当てはまらないからと言って過去に疑われたナルコレプシーという異常な眠気を特徴とする病気の診断は間違っていると言います。簡便版の日本語訳序文には簡便版にある病気のカタログを当てはめてみることで診断したと考えてはならないと釘を刺しています。このことは今回わたしも、拘置所医師の問題を調べて初めて知り、その限りで同罪であると思いました。原本をきちんと読めとあるので、読んでみました。睡眠の専門家の多くは、簡便版の基準にある症状がそろっていなくても、その人が病的な眠気を示しかつ寝付きに生々しい夢を見る時間があれば、ナルコレプシーの診断を下しても良いと考えると書かれています。さらに、ナルコレプシーの人の40%が他の精神疾患が一緒にあるか今までにかかったことがあり、うつ病が最も多いとされています。診断は簡便版の基準だけで決めつけるべきものではないと書かれていても、序文まで丁寧に読んでその忠告に従う人はなく、実際にわれわれがアメリカの診断に拠ると言うのは大方この簡便版だけに依るものだと思います。

治療指針の乱用
第三に、これまで使って手応えがあった薬があれば、それが治療や薬物療法の指針に優先します。また、訴訟問題においては指針に従ったか否かが個別に選択された治療の当否を決定するものとはなりません。診断手引きの簡便版で病名をつけ、薬物療法の指針に従って薬を出す手順を踏んだからと言ってその治療方針が適切であるとする根拠にはなりません。それだけで良しとするならばマクドナルド化した医者と言われます。そのような医者はマクドナルドバーガーのようにある程度の安全性は保証されますが、医者である必要はなく、医者として使い物にならないと告白するに等しいのです。

抗うつ剤で元気が出るという神話がまかり通っている
第四に、抗うつ剤をめぐるあり得ない勘違いが現実には一部の精神科医にあります。拘置所の医者は躁転を疑ったのでリタリンを含む抗うつ剤の処方を打ち切ったと主張します。躁転とは躁うつ病のうつ状態が躁状態に反転する躁うつ病特有の症状の移り変わりを指し、抗うつ剤の使用はその引き金となることがあるに過ぎません。抗うつ剤を気分障害でもない人がのんでも元気が出るわけでも躁になるわけでもないことは、従来、精神科医には当たり前の事実のはずでした。拘置所側はうつ状態ではないと断定しているのですから、抗うつ剤をのみ続けてきただけで躁転、即ち躁病の発病と思いこみ、抗うつ剤を切っただけで躁が治まると錯覚しているとしか考えられません。この錯覚は躁状態が通常はうつ状態よりさらに重症化した状態であることが理解できず、うつ状態と躁状態の間には平常な状態が挟まっているという根拠のない勘違いも重なっているのかも知れません。あるいは性格障害という診断が頭にあると言うので、抗うつ剤で興奮するという根拠のない思いこみに囚われていたのかも知れません。

水野国賠訴訟が突きつけていること
拘置所など刑務施設は精神病理学者の研究材料の宝庫でした。従来の精神医学理論は刑務施設の精神科医の拘禁を全うする立場に拘束された視点を取り込んで練り上げられました。そのような精神医学理論は拘禁反応と本物の精神病を厳しくわけ、拘禁反応は当たり前だから治療の必要はないとする立場を取らざるを得ず、拘禁反応を正常心理から理解する心因性という病気の見方を作り上げました。そのような精神医学で教育された精神科医は、心因論を捨てて施設収容を否定し地域ケア中心に切り替わったアメリカ精神医学は場違いで批判的に見てしまいます。前に挙げた四点は、日本の精神科医が、脱施設化以前の精神疾患の見方、治療の仕方のままで、お付き合いでアメリカの簡便版診断を使うときに起こり易いミスであることにも用心が要ります。脱施設化前後の精神医学の変化は、薬物療法の経験の一定の蓄積の下で、脱施設化と地域ケアの推進、ベトナム戦争神経症や虐待被害者の経験において被害者の視点から行われた従来の神経症論への深刻な批判などが生み出した時代と文化の産物です。そのような臨床における変化を欠いた日本の現実へのアメリカ精神医学の移入が似て非なるものになりがちなことも考慮する必要があります。簡便版診断の本家であるアメリカで繁用されているリタリンに過剰な不安をもつが故に水野さんに死の転帰をもたらしたアメリカの簡便版診断を重用する医者の今回の過誤は、このことを裏書きしています。水野国賠訴訟は、そのような日本における精神科医の臨床に警告を発していると受け止める必要があります。

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