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キューバからの便り Nさんへ  No2

作業所勤務  宮城ゆみ子

 今回驚いたのは朝食に野菜が並んでいた事です。1年半前Nさんと来た時、野菜が食べたくてオーダーしても透けて見えそうなきゅうりと、3人じゃ喧嘩になりそうな量のトマトが出てくぐらいでしたよね。
 アメリカの経済制裁の続く中、今や年間2,000室の割で観光客用のホテルが増えているという観光立国をめざすキューバ。観光客のニーズに応えてということでしょうか。とにかくホテルの朝食にはキャベツとハム炒めや、生野菜が毎日有り、時々卵は切れていると断られましたが、全体に前回より充実したメニューでした。
 キューバ3日目にしてやっと落ち着き、待っているだろう友人へ電話。明日の夕食はリカルド宅でとなりました。
 キューバの夕食は8時過ぎくらいと遅いらしいのですが、私たちに合わせてくれて6時頃から始まりました。一緒に住んでいるリカルドのママと私達のために来てくれた、ジャクリーンのママと4人で食卓を囲み、キューバの代表的な料理コングリス(まめごはん)、トストーネス(青バナナのフライ)豚肉のソテー他、そしてなんと生野菜のサラダが並び、全くのキューバ語のお二人とアイコンタクト&笑顔だけが頼りの食事となりました。(狭いからか全員で食事をしない、部屋も別でしたよね)
 食後は近所の人も含め、あの甘くて濃いコーヒーをいただきながら、今後の予定が話題になり、チェ・ゲバラの遺骨が納められているサンタクララへ行きたいと話しました。
 ホテルのツーリスト・カウンターで聞くと、サンタクララ見学&トリニダ1泊ツアーになるということで、料金も結構します。路線バスは、あのキューバ映画「バスを待ちながら」を観た人はわかると想うのですが不安。と、そんな中、リカルドが車を持ってる友人がいるというので、値段の交渉など連絡してもらうと、明後日OKとの返事でした。自分達も行ってよいかとリカルドに聞かれ、一般のキューバ人はなかなか旅行などできないと聞き、長いドライブなので定員以内ならかまわない、と答えながら嫌な予感がチラッとよぎりました。

 4月4日 明日のサンタクララ行きに備え、キューバ3回目にして、やっと革命博物館へ行きました。スペイン・コロニアル様式のかなり立派な建物で革命に関する資料や武器が展示されています。1階にはゲバラのコーナーがあり、'67年ボリビア山中で銃殺されるまでの軌跡が展示されていました。中庭を抜け裏手の広場にはカストロ議長が反革命軍の船を沈めたという戦車があり、そしてバチスタ政権を倒すためカストロ、ゲバラをはじめとする82名の同志が乗り込みメキシコからキューバへ向った、あのヨット─グランマ号がガラス張りの建物の中に収められていました。ガラス越しのグランマ号は大事な役割を果たし今や静かに休んでいるように見えました。
 また'97年ゲバラの遺骨がキューバヘ帰った追悼式典のビデオが放映されています。その前で、くいいるように観ている子供達と一緒にBGMのHASTA SIENPRE (「さようなら」という訳でいいのかな?)を聴きながら、ちょっと真面目にキューバ革命を考える時を過ごしました。
 明日はいよいよサンタクララです。

 4月5日 朝6時半、ホテルの前にはやたら大きな'50年代アメリカ製のクラシックカーが。ちょっと嫌な予感。次々降りてきて朝の挨拶をかわす。リカルド夫妻と次男の3 歳になるアルバロ、甥のホセ、ダビッド夫妻そしてママ、チーノと呼ばれてる中国系キューバ人運転手、私たちを入れ総勢10人。車が大きいとは言え、どうみても定員はオーバーだ。文句も言えずギュウギュウ乗り込み出発。全開の窓から初夏のキューバといっても、早朝の冷たい風が吹き込む。どうも窓は閉らないらしい。
 ハバナからサンタクララまで車で3時間ほどという、道路は幅も広く真直ぐで、時間の早いせいか車はほとんど走ってなく、ギュウギュウ詰をのぞけば快適に飛ばしていました。30分も走ったでしょうか、「バァーン」という嘘のような大音響で車はよろよろと路肩に止まり、パンクでした。タイヤを見ると信じられないほど裂けていてTは「絶対重量オーバーが原因だ」と言っていました。スペアに取り替える間、非常時には滑走路となるという広い自動車道を寒さしのぎにみんなでマラソンをしていました。そんなアクシデントもあったけれど11時過ぎにはゲバラ廟の有る広場に到着。
 紺碧の空に銃を持ち前進するゲバラの像がそびえ建ち、それを囲むように革命戦士やゲバラの「別れの手紙」などのレリーフが並ぶ。みんなから離れ一人像を見上げながら「あーやっとこれたね」と独り言・・とその時ビデオカメラをポロリとコンクリートの床に落っことしてしまったのです。そんなわけでNさん、このサンタクララをお見せする事はできなくなってしまいました。気を取り直しこの像の下、半地下に有る納骨堂と博物館へ下ってゆき、係りの人の案内で納骨堂へ入る、薄暗い中、正面の壁中央にゲバラの顔が刻まれ、この奥に彼の遺骨が眠る。両側に同志38人の彫像が並んでいる。
 3歳のアルバロをはじめ誰も声を発せず静かに黙祷している。奥を見るとカストロが納骨の式典で点火したと言う「永遠の火」が暗闇を照らし燃えていました。出口に向い、最後に振り向くとリカルドのママが正面のゲバラの顔を愛し気になぜているのです。多分ゲバラと同世代のママは、革命そしてその後の苦しい時代を共に生きた同志なのでしょう。それを見て、ギュウギュウ詰定員オーバーにちょっとムッとしていた私達も許せてしまいました。
 その後はサンタクララ郊外の革命戦争中サンタクララ攻略のカギとなった列車襲撃の現場へ案内されました。今は巨大な尖った何本もの石柱がそびえ、その間に赤茶の本物の列車が散乱と言う感じに並び、トレイン博物館と説明されました。その石柱群を眺めながら昼食となったのですが、車のトランクの中は、彼等の自宅の食卓がそのまま運ばれてきたように、先日御馳走になったような食事がトランクの中のお鍋からお皿に盛られて出てきたのです。食後、やはりここまできたら、しばらく会っていない親戚に会って行きたいという、車の点検もした方がいいとも言う、もうこうなればなんでもどうぞ、車で半時間程走り、町の名前もわからない親戚の家へ着きました。 挨拶もそこそこに、疲れているだろうから休めと、半ば強引にベッドルームに案内される。有り難いのだけど、おしゃべり好きのキューバ人としては言葉のわからない私達は邪魔だったようでした。ベッドルームとはいえ板壁1枚では大声のおしゃべりは筒抜けで眠る事もできず、あたりを見回す。いつも感心するがキューバ人はきれい好きだ。建物は質素だが本当に工夫してきれいに使っている。見知らぬ人のベッドも清潔でキチンとしていて、気にならないのです。そっと抜け出して裏庭へ出ると納屋の軒にタマネギが吊るされ、並んだ鳥かごにカナリヤが飼われ、放し飼いの鶏がおり、生まれたての子犬が子供達に抱かれていました。ふとここはどこだろうと考えてしまいそうな、ハバナとは違うキューバがありました。この日ハバナへ戻ったのは深夜でした。またお便りします。

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