「心身喪失者等医療観察法」成立、1年が過ぎて
七瀬 タロウ(精神医療ユーザー)
2003年7月10日に、医療観察法が、衆議院で可決、成立して、丸1年が過ぎた。その後も、医療観察法をめぐる、ガイドラインの問題、社会復帰施設や小規模作業所の予算削減の問題、障老介護保険一本化の問題等、わたし達をめぐる様々な問題が生じた。
本稿では、今後、肯定的に捉えていけるような、歴史の大きな流れのようなもの、あるいは、筆者がそう感じたことを中心にまずは述べてみたいと思う。
まず、私は昔のことはほとんど知らないのだが「精神障害者運動」内部での、風通しは、一時期よりずいぶん良くなったのではないかと思う。私は80年代に大学に入学したのだが、70年代に入学された方々、あるいはそれ以前の方々と「用語法」、「運動スタイル」のようなものに関して、若干違和感を感じることも、少なくなかった。わたしより、もっと若い世代の方など、違和感がさらに強いのかもしれないし、大学に進学されなかった方たちにとっては、一部「異星人の会話」のような面さえあったかもしれない。
しかし、この間、いわゆる「地方」の方を含め、多くの当事者と直接顔あわせる機会がこの間大変多かった。私を含め、さらにもっと若い世代で、積極的に発言、表現する人が少しずつ増えてきたことは、率直な事実である。
また、1年4ヶ月間の間の、幾度にも、わたる集会に、JDやDPIの方や元ハンセン氏病の方達、部落解放同盟の方々が足を運んでくださり、障害者運動、ハンセン氏病者「隔離・収容政策」問題、被差別部落問題といったものから、私たち自身学んだものは大変大きかった。
現在「支援費・介護保険問題」の集まりに、「精神障害者」が、各種集会に参加し、また私たち自身もこの問題等での、学習会等で各種障害者の方と会う機会も相当ふえた。
また原理的、理念的な議論(例えば「強制医療一般」の是非等)は、運動内部で、常にあったが、一方で理念を追求し他方で、現状から出発するという観点は一応共有されてきたように思う。また諸外国の先進的な事例も十分とはいえないまでもの間運動に徐々に吸収されてきた。
むしろ、精神科医や社会復帰施設関係の人々のほうが、とりあえず「政府塩崎修正案」で「少しでも、現状がましになるのなら」と考えた、甘い期待感を日々裏切られているのが、実情ではないだろうか。
現在、「介護保険」という、新しい制度に、甘い期待感を上記の方々は抱いているようだが、結局のところ、原理的、理念的な議論抜きに、なにがしかの「財源」がつけば、なにがどうなるという性質の問題ではない点に、精神障害者家族の団体や、精神障害者の全国組織といわれる団体も、いい加減気づいて欲しいと思う。
なお、私が国際廃案要請行動のために、2003年2月のメルボルンでのWFMH(世界精神保健機構)の会議に持参した本は以下2冊です。
「火」以後 / 渓さゆり. 六法出版社,1994.8精神医療ユーザーのめざすもの/ メアリー・オーへイガン 解放出版社,1999.10
後者から、一部引用しておきたい。
「わたしたちが自分の経験を自分の思想と結びつけられなかったり、自分の思想を自分の実践と結びつけらたられなかったら、もはや変革への強い力を持つことはできなくなります。それどころかわたしたちの運動は、自分たちの人間性を奪った体制の模倣をしてしまうことすらあります。運動は最初は過激で思想的にも強いのですが、成長すると穏健になり明確さを失っていく傾向がよくあります。成長し様々に変化するわたしたち自身の運動においても、基本的な問い掛けはかつてに比べると失われてきたようです。
本書全体でわたしが勧めることはただ一つ、私たちがこの基本的な問い掛けに戻ることです。」(P.216-217)
これは、まさしく万人に当てはまる言葉ではないだろうか?
むろん各種「制度改革」は重要だろう。しかし、「革新」厚生労働省官僚に「過剰」な期待をかけたり、率直に言ってお金がいまだ落ち続ける仕組みの家族会や精神科医の組織の「代弁主義」に、いつまでも、しがみついていても仕方がない面も、現状、多々あると実際思う。
この1年4ヶ月で、「政治の世界」の力学は、自分なりに、痛いほどわかったとも思うが、「基本的な問い掛け」が、いまだ圧倒的な「力関係」の中で失われてしまわないよう自戒の言葉の意味も込めて、あえて長文を引用させて頂いた。
My Journey Begins(わたしの旅は始まる)〔上記M.オーへイガン引用書P.17より〕
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