« 2004年5月 | トップページ | 2004年7月 »

救護施設あかつきにおける近況について

あかつき地域生活支援係勤務 大櫛重光


十数年前、ピチピチの新任職員として社会復帰係に配属され、その後施設内の全てのフロアをひと通り異動して勤務し、昨年、名称も新たにした「地域生活支援係」に戻ってきました。

 この間個人的には、地域ではなく「職域」における精神保健の分野での仕事に比重があり、職場でも職員研修担当(新任職員研修・スーパーバイザー養成研修などの職階層別研修その他)や、労働安全衛生の実務担当(衛生管理者)の立場から、援助者である職員自身がくたばってしまわず、より良いサービス提供ができるための側面からのサポートに従事してきました。
 よって今回久しぶりに 「地域」 に関するレポートを書いているという現状です。

 さて、あかつきにおける地域生活支援の現状ですが、対象となっている方は、主にあかつきを退所され地域生活を送っている方で、小平市、東大和市、立川市在住の方が多いのですが、近年では長らく音信不通だった、やや遠方の方が、高齢・傷病・孤独といった理由などで急遽、アフターケアを求められるというケースも何件か出てきています。
 
 そのような中、我々も積極的に傍聴に参加している厚生労働省・社会保障審議会福祉部会に設置された「生活保護制度在り方に関する専門委員会」の議論に、職能団体である全国救護施設協議会を経由する形で我々の考え方を反映させようとしていますが、何分、精神障害に関する理解や、地域生活支援を本腰で考えている救護施設がまだ少なく、地方の救護施設で一部積極的な施設もありますが、求める内容が地域性によって相当異なり、例えば、あかつきでは東京23区内から入所されるケースが多いのですが、社会復帰の際はあかつき周辺を希望される方が多いことから、どうしても三多摩地域の自治体が財政困難をしきりに訴え、できるだけ元の自治体所在地(23区)に戻って社会復帰を促して欲しい、といった要望が出てくるわけですが、一方、地方では施設を退所する方自体がいないとか、通所する交通手段がそもそも無く通えない、といった地域性の違いがあり、全国版で集約することは困難で、むしろ違いを主張することの方が有意義といった現状です。

 なお厚労省・保護課は昨年、これまでの救護施設通所事業を「保護施設」通所事業と改正し、更生施設にも通所事業を求めたり、今年度の重点項目として、精神障害者とホームレス問題の2点を挙げ、うち救護施設関係では「サテライト型救護施設」「居宅生活訓練事業」「退院者等居宅生活支援事業」など新たな目玉事業を創設しました。いずれも「精神障害」の方への支援をかなり想定して作られており、ある意味で画期的なものではないかと思っています。

 その具体的な中身として、まず「サテライト型救護施設」に関しては、本体施設の設備の兼用も可とし、施設入所の受け入れ人数を減らすことなく、現在の入所者の一部がサテライトに引越しすることで、現在ほとんどが4人部屋である今の居室を、2人部屋あるいは完全個室として利用できたり、未だはっきりと決まっていませんが、あかつき近くのアパートをサテライトとして認可してもらえれば、あかつき在籍のまま「居室替え」というより気楽な感覚で、より地域に近い生活が出来るというメリットも生まれてくるのではないかという希望を持っているところです。

 「居宅生活訓練事業」では、現在、あかつき内に「地域生活体験室」という、以前は社会復帰訓練室と呼んでいた2人部屋が複数ありますが、これを全く「外部化」させる形で運用していこうというもので、本体施設に近接したアパート、借家等のより居宅生活に近い環境で、地域生活に向けた準備・体験が可能となるというものです。この事業に常駐職員は不要の予定で、緊急時対応のための電話設備の設置を代わりに義務付けする方向のようです。

 さらに「退院者等居宅生活支援事業」では、精神保健福祉施策における「退院促進事業」に対する、生活保護施策バージョンでの受け入れ態勢を整備していこうといった感じのもので、家事・服薬援助・地域住民との交流・創作活動・軽作業の場の提供等といった、これも既にあかつきでは実施している内容ばかりではありますが、他と異なりこの事業は施設の所在する「市区町村」の承諾と拠出が無いと、都や国もお金を出さないといった、いわゆるありがちな補助金事業であり、われわれとしては少し使いづらい事業となっています。

 いずれにしても東京で唯一「精神障害」の方を主に専門として対象としている「救護施設」として、随時、あかつきが果たすべき機能・役割とは何かを、広い視野から検討し実践していかなければならないと考えているところです。

| | トラックバック (0)

People Say, I'm Crazyを見て

福祉ショップわくわく 東谷幸政


 金色に輝く熊の像をシンボルに戴くカリフォルニア大学バークレー校の正門から延びる道をまっすぐに歩くと、すぐに自立生活センター運動の総本山であるCILがある。映画「卒業」で、ダスティンホフマンが熱心に恋人をまちわびたあの大学は、重度身体障害者が施設を出て普通に暮らすことを求めはじめた当初から、全米の自立生活運動の拠点でもあり、学生運動の拠点でもあった。サンフランシスコ郊外の街であるバークレーにある障害者用アパートに、今はこの映画の撮影者は住んでいる。
 差別や偏見を取り除く為の教育映画ではなく、キャンペーンの為のプロパガンダ映画でもない。ナーシングホームに暮らしていた版画家の作者と家族、友人、ガールフレンドとの心あたたまる日常的な交流の様子も描かれているが、具合の悪くなったガールフレンドの様子や、それを、なんとかしようと思いながら、どうしようもなくうろたえている様子や、精神症状があらわれて苦しんでいる自分の様子も隠さずに表現されている。もちろん、編集段階でカットされた、表現されない・できない現実も多々あるのだろうが、ある病者の生の現実をくりぬいて、優れた映像作品に仕上がっていると感じた。鑑賞後、感想を聞くと、当事者の方からは、予備知識無しに市民がこれを見ると、差別を解消するのでなく、拡大するのではとの懸念が多く聞かれた。ラストシーンで、サンフランシスコのホームからバークレーのアパートへ入居が決まり、本人は大変喜ぶのだが、それは精神障害者だけを集めた、地域での隔離であるから、許せないという声も出た。医療関係者からも、学会などでの研修用に用いるのなら良いのではとの声があった。
 僕は、そうは感じられなかった。むしろ、ある病者の現実として、多くの市民に見てもらったほうが、誤った予断や偏見から解放される早道であると思う。「べてるの家」のビデオのような、底抜けの明るさやユニークさはない。だが、現実にある、影の部分を薄めた映像に、本当に市民への説得力がもてるのだろうか。むしろ、包み隠さずに、人間としての生活の中での喜びも病苦も表現した方がより真実性があり、共感できるのではないかと感じた。当事者の方の言われるように、この人の現実が、全ての精神障害者の現実であるように市民に誤解されないような注釈は必要かもしれない。しかし、そうだとしても、多くのメディアから垂れ流される偏見報道や市民のなかに流布する誤解に満ちた「語り」より、はるかに優れているということは言えるのではないだろうか。
 また、私たちとは違った社会制度のなかで精一杯生きている病者が、よりアメニテイの優れた住宅へ移行できたことに、反対することにも頷首できない。もちろん理想を言えば、普通に市民として分け隔てなく暮らすのが良いに決まっている。それが現実に困難ななかで、安くて広い公営アパートに障害者が集まって住むことが、彼の選択肢として間違っているとなぜ断罪できるのだろうか?
 私が「あかつき」を出て街に暮らす人々の支援をしていたころ、施設を出る一人一人に聞いた。この施設を出た人が集まっているアパートと、住んでいないアパートの、どちらが良いですかと。答えは半々くらいだった。当事者にも当然ながら多様な価値観が存在するのだ。それを認めようではないか。
 「カッコーの巣の上で」「普通の人々」や、「ソフィーの選択」、最近では「ビューティフルマインド」など、精神障害を描いた劇場映画は数多いが、ドキュメントで劇場用に作られたものは、少ない。カナダのMPA精神病者協会が作った、ドキュメントもある。殺人を犯した病者とリーガルサポートするソーシャルワーカーとの対話が描かれていて、非常にすぐれた作品だが、残念ながらまだ日本では公開されていない。バンクーバーでの精神医療改革の歴史も映像の中に入っているので、研修前の学習用にも適していると思われる。(見たい方は筆者までご連絡を。英語版・字幕なし)
 このように、評価が割れた映画であるが、10月の病院・地域精神医学会で上映される見通しであるとのことなので、興味のある方はその際ご覧になっていただきたい。なお、この映画の日本語字幕はバンクーバー在住の上村君代さんが担当された。日本とカナダの当事者交流への協力や、医療・福祉関係者の研修に多大な寄与をしていただいた恩人だが、この映画への思い入れは並々ならぬものがある。すでにアメリカやカナダでは劇場で公開されているが、日本でも多くの人に見てもらいたいとの希望を持っておられる。自主上映など、できるだけ協力したいと思った。
 (4月17日・大泉金杉クリニックにて)

| | トラックバック (0)

「6.9障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動」に参加してきました。

高田 眞澄

 2003年から導入された支援費制度により、日本の福祉システムは大きく変わりつつあります。措置から利用契約へ変わることで障害当事者の主体性が高まり、選択の幅が広がり、これまでサービスの届かなかった知的障害者や障害児にもサービスが届くようになったのです。(まだ、不十分ですが)
 しかし、ニード予測と予算確保の見込みを誤り初年度から財源不足の事態を引き起こし、その政策責任者である厚生労働省は予算確保を行う方向でなく、介護保険への統合へ向けた論議を進めてきています。障害者団体から指摘された問題点や懸念についての具体的回答や対応は明らかにされていません。
このことについて、DPI日本会議、全国自立センター協議会、ピープルファーストジャパン設立準備委員会,全国ピアサポートネットワーク設立準備会が呼びかけ団体となり、
この集会が開かれました。当日日比谷公園には全国から900人の人々が集まり、集会で6項目の要望書を読み上げ、厚生労働省周囲を一周するデモ行進を行い,財務省前と厚生労働省前でビラ配りをしました。代表団が厚生労働省に要望書をもって話し合いを求めたのですが、単に要望書を受け取るのみという厚生労働省側の態度でした。そのため、再度、話し合いを申し入れ22日にやっと実現しました。しかし、そこでも具体的な回答は出ず、何とでも取れる「玉虫色の回答」がなされたという事です。
 6.9には身体、知的障害当事者とともに精神障害当事者もこの集会には多く参加していました。要望書読み上げは、こらーる台東の加藤さんが行いました。その時の加藤さんの言葉「身体、知的の皆さん!私たち精神障害者が共に行動する中で、足を引っ張るのでは・・・とは考えないでください」といっていたのが心に残っています。精神障害当事者がやっと声を上げ始めました。介護保険への統合やむなし、まず統合ありき、の声の多い精神保健福祉の分野ですが、反対している人、団体も多い事に力づけられました。今後、選挙をはさみ、この夏には大筋の方向が出される様子です。情報に敏感になって、声を上げていきましょう。

| | トラックバック (0)

国立武蔵病院に「心神喪失者等医療観察法」拘禁施設をつくらせない5・22集会

作業所勤務 星岡匡史


 5月22日(土)国分寺労政会館で集会が行われた。主催者挨拶、岡田先生の話「治療ガイドラインから見えてくるもの」、八尋弁護士の講演と続いた。

八尋さんの話;
ハンセン病の問題は劇的な解決ではない。悪魔の実が腐って落ちただけ。何もしないで腐って落ちるのをまっていただけ。小泉首相も坂口厚生労働大臣も、本当の意味を分かってないからこういう法律(心神喪失者等医療観察法)が出来ちゃうんです。
ライ予防法を存続させたことに対して法曹は自分等の責任を感じていない。謝罪すべきなのにしていない。福岡で精神の相談を受ける弁護士の当番制を作った。日弁連に何年も言っているのに作ってくれない。
ライ予防法は、ハンセン病者が誰もいなくなって、やっと無くなった。精神病者が誰もいなくなれば法律も変わるだろう。でもそれでは遅すぎる。ハンセン病から何も学んでいない。
私は、いかなる隔離も反対です。伝染病だろうとなんだろうと正しく伝えることが大切。
隔離されることは、時間を1年2年取られただけのことではなく、人生を棒にふることになる。想像する以上にその人の家族にも影響を与える。
初めてハンセン病の療養所に入所者の話を聞きに行ったとき、「今まで弁護士は一度も来ていない。何やってたんだ。」と怒られた。弁護士が行っても本当のことは言ってくれず、法廷で初めて自分の子を埋めた話や断種をさせられていたことを話した。
3人の知的障害者が被告になった事件ではなかなか本当のことが言えず、他の人の裁判で証人になって初めて自分もやってないと言えた。日本の今の法廷は、聞いているふりはしているけど聞いていない。馬鹿にしている感じを持っている。弁護士事務所にも精神障害者からの相談があるが、大抵の事務所では聞いたふりをするか、「来る場所が違う」と突っぱねてしまう。こんなのがまかり通っているのが日本の現状。

 講演終了後フロアからのメッセージで、ハンセン病回復者の鈴木さんが隔離の恐ろしさを語り、オープンスペース・街が歌に託してメッセージを送った。精神病者集団の3人組は、1人がBGMとして歌ってる間に2人が話した。さっぱり分からなかったが大うけしていた。発起人の1人が決議文を読み上げて終了。前では逆立ちした人が足で拍手していた。
 多くの法律家の人たちに、人権の観点から精神障害者のおかれている立場について、特に入院中の処遇に対して、そもそも監禁されていることについて感心を持ってもらえれば大きな力になると感じた。

| | トラックバック (0)

第18回東京精神医療人権センター総会報告

東京精神医療人権センター 事務局  内山 智絵


 5月26日(水)東京精神医療人権センターの総会が弁護士会館で開かれました。参加者は13名。
 昨年から代表になった永野さんの「センターは古くなってきているがなかなか発展せず望ましくない状況ではあるが、昨年は活動活発だった。」というあいさつで始まりました。
 事務局長の小林さんからの2003年度活動報告は「相談数は減少傾向にあるが、いろいろと結果の出た一年」と、①上妻病院で知らない間に借金ができていたため退院できなかった人が無事多摩センターへ移ることができた。②狭山ヶ丘病院の長期在院者が他院へ転院して現在は援護寮へ移る予定。③友部病院の看護師の性的虐待事件は逆転勝訴し病院と県への申し入れも行った。④松沢病院でのセンターの訪問面会拒否も、申し入れの結果、面会自由などの基本的な権利の見直しがなされ、新しい病棟案内が作られたこと、以上4つの事例の報告がありました。
 昨年度の活動方針の検証をふまえ、2004年度の活動方針は「基本的に前年度の継承」ということで、
 1.弁護士会への働きかけ:医療観察法が来年3月施行に向け着々と準備されている状況。弁護士との関わりは今年の大きなテーマである。
 2.松沢病院への関わりを続ける:病棟案内は新しくなったが、「主治医の…」との併記もあるので今後とも監視が必要。D40棟の隣に建設中の急性期病棟へ風穴を。今後ともオンブズマン導入など積極的に働きかけたい。 
 3.カルテ開示請求の奨励:カルテ開示の相談が続いた時期があった。都立病院はコピーOKだが、私立(国立武蔵もそうだった)はカルテを見せるだけ。事例を通して追求していきたい。
 4.審査会へ弁護士ではない代理人を:当センターが受任することの実践も引き続きおこなっていきたい。
 5.都の急性期医療について:墨東病院での拘束、警察からの移送の問題。苦情はいくつか来ているがアクションできていないので、今年度は積極的に取り組みたい。
 6.5年ぶりの「精神病院事情」出版:東京地業研と共同で、都内の精神病院調査と「精神病院事情」出版をおこなう。病院調査を秋から開始。事前に勉強会やロールプレイなどをおこない、前回よりも調査員のトレーニングを念入りにすすめる。
 7.センターの将来の見極め:センターも、あと2年で20周年。リニューアルしたい。世代交代できれば…。東京都の組織改革があり福祉局と健康局の合併により、現在もらっている福祉局の外郭団体からの補助金が継続してもらえるかどうかがわからない。そうなれば資金的にも難しいため、2006年の創立20周年を機に人心の一新を図りたい。
 と、7つの方針が挙げられました。

 討議では、5番目の方針「急性期医療」について、センターに寄せられた3件の苦情の報告を受け、「マニュアルの入手・実態をつかむ努力」を行うことが確認されました。
 
 「センターの将来ついて。。。」という問題は、ここ数年ずっと継続して語られてきた問題で、資金・人事ともにこの先維持できるかどうか見通しがたたないと言われてきました。 メンバーは発足以来の体制で、それは永野さんの「センターも古くなった」のあいさつにあらわれています。小林さんや飯田さんの「若い人が現れれば…」という言葉を聞くたびに、私は思わずまわりをきょろきょろしてしまうのですが、右を見ても左を見ても私よりも新人がいるはずもなく、何とも重いものを肩のあたりに感じてしまうことも…(ちょっとだけ)。ともあれ、せっかく創立したメンバーと一緒に活動することができるわけですから、「生の声」が聞けるうちに(私にとっては「戦争体験を聞く」ということと同じような感覚かもしれません…)、センターの歴史をいろいろと聞くだけでも価値があることだなぁと思っています。一緒に「生の声」を聞く新しい仲間を探さねば。


【人事】運営委員は昨年の20名全員が留任となりました。 事務局:永野(代表)・飯田(代表)・小林(事務局長)・内藤・吉沢・木村・尾 藤・梅林・内山 監 事:岩田

| | トラックバック (0)

コーディネーター日記

東京精神医療人権センター  小林信子


 2004年ももう半分過ぎてしまいました。
体調を悪くさせる梅雨の季節ですが、いかがお過ごしでしょうか。「コーディネーター日記」を書けという指令ですが「センター」はこの間何をしてきたのか・・考え込んでいます。緊急事態は起きていず、力量に合った淡々とした活動でした。
でも国際、国内社会は大変動、地殻変動が起きているから、それに煽られてうつ的だったような気がします。
 イラクにおける3人の人質事件と週間文春の記事差し止め事件に触発されて思いをめぐらせたことがありました。
 人質事件で出てきた、3人へ向けられた日本社会の妬み・嫉みとフラストレーションには心が凍りました。これらは、犯罪を起こした精神障害者へ向けられるものとそっくりな構造があります。さらに、「自己責任」論が出てきましたね。自己責任というけれど、国家というものは国民を護る義務がある。まあ、在留邦人の多くは、何かあったら日本国政府が自分を護ってくれるとは思ってないでしょうが、国家の義務があるから、パレンス・パトリエ(国父的保護主義)によって、自己決定権を奪われて、意思に反した入院、つまり措置入院をされる人々ー精神障害者がいるのです。人道的活動をしている日本人を危険な事態に巻き込んだ政府の責任は不問。すごく頭にきました。そんなに自己責任というなら、整合性を持つために措置入院は廃止しろ!と一人で叫んでいました。
 最近、日精協の有力者で諮問委員にもたびたび登場して横車を押しているせのがわ病院(広島)津久江一郎院長所有で、自らも乗り込んだプレジャーボートが、呉から小笠原経由でサイパンに向かう途中南硫黄島付近で座礁し、海上保安庁に救助を求めたという記事がありました。この場合遊びに行ったのだし、金持ちだから自己責任を果たし、税金を使う公的救助などしないほうがいいのではないか・・・という意見はないのかしら。(八つ当たりでしょうか)
 「週間文春」の田中真紀子さんの娘の記事自体にどうのこうのという元気はありません。知る権利とプライバシーの権利の相克です。これが憲法に共に明記されているからどちらが優先というか、常に混乱があるとさる識者もいっていました。私達がよく聞くのは、精神障害者の人権擁護の基本の「面会」を妨害する口実として“患者のプライバシーを護る”という憲法の引用?です。でも精神病院の場合多くは、医療者が患者本人に成り代わって勝手に“プライバシー”を判断しているから、先の議論とは似て非なるものなのだけれど、あまりにも堂々と主張されると唖然としてしまいます。ひどい例では患者本人が望んでいても「家族がプライバシーを侵害されるから、他人は面会できない」と主治医に珍説を展開されたこともありました。言葉だけが独り歩きして都合よく使われ、同時にその概念も情報化時代とともに変化をしてくるのが「プライバシーの権利」と「知る権利」ではないかとチョッと考える機会になりました。
 松沢病院定期訪問は今までどおり行っています。D-44棟は4月から病棟担当医が替わりました。松沢病院には新任の医師で、初顔合わせのご挨拶をしました。どうぞ前任者のように1年余で替わるのではなく、じっくりと患者さんに向き合って治療して下さいとお願いしました。こちらも初心に戻って関わろうと思いました。
 良いニュースとしては、埼玉県の狭山ヶ丘病院で、17年間一切外出もないまま閉鎖病棟に入院させられていた患者さんが埼玉県弁護士会人権擁護委員会に属する弁護士さんの3年越しの熱心な努力によって、3月中旬に県内の開放的な病院に転院することが出来ました。その後1ヶ月半ほどして面会に言ったら、同一人物とは思えないほど笑顔が出て、動きもしっかりとしていて一緒に散歩を楽しみました。その病院は1部屋8人でベッド生活(仕切りカーテンはあり)という現在では決して心地よい環境ではないのですが、にぎやかで明るい雰囲気の病棟でした。近くまで買い物に行くという彼女と一緒にバスに乗り合わせた私は、楽しそうに同行の友人とおしゃべりする彼女を眺めながら、閉鎖処遇の犯罪性を改めて思い知らされました。現在彼女は、退院に向けて援護寮への申し込みに意欲的です。
 最後に、「センター」は年々資金繰りが悪化の一途です。活動維持のため皆さまのカンパをお願いいたします。

振込み先:郵便振替
     00170-6-5131
      東京精神医療人権センター

| | トラックバック (0)

« 2004年5月 | トップページ | 2004年7月 »