« 投稿 重ねて「意見書」の即時撤回を要求する | トップページ | キューバからの便り  Nさんへ »

ある民間精神病院で その1

病院コメディカル職員  東野みどり

 開放的で長期入院患者の退院に取り組むという病院ではなく、かといって管理、管理で患者さんを締め上げるという病院でもない、よくありそうな病院から一職員として感じることをお伝えしたい。なぜならどこかの似たような病院で働く誰かに読んでもらいたいし、立派な病院で十分経験を積んだ人がいたら、こういう病院で働いてほしいと思うから。
 前にも一度書いたので読んでてくれた人には悪いけれど、たぶん私にとってはずっと残る実感なのであらためて。開放的な病院では、勤めた初日から患者さんの職員への悪口をたんまり聞いた。私の悪口も含めて。名前を「収容所」とした方が中味に合ってる病院では、3年は勤めたが、どの患者さんからも一言も職員または病院についての、悪口、批判、非難はもれてこなかった。私の方は、職員・病院への怒りは初日から退職するまでずっと沸点にあったのだけれども、患者さんたちは賢明にも悪口を、どの職員であってももらしたらいずれ院長に伝わり必ず怖い目にあうと確信してたのだと思う。今の病院では1年くらいして、ようやく職員や病院のグチ、悪口をつぶやいてくれるようになった。こちらを少なくともチクリ屋ではないと踏んだのだろう。いずれ私が施設に世話になる時がきたら、入所者が職員の前で平気でブーブー悪口をたれている所にするぞ、と思う。
 この病院では、私が見るに(私の目が正しいかどうかはおくとして)退院して単居して良いような人が多々入院しているし、「当然開放病棟でしょう!」と思う人が、多々閉鎖処遇だったりするわけだが、ともかく最初の1年間は私は患者さんにとって試用期間だったらしく、「退院したいって思いませんか?」「生活保護の制度もあるし、作業所というところもあるしね。働かなくても退院できるよ」と誘ってみても、退院して単居できそうな人からの単居願望は聞かれなかった。
 しかたないのでまずは施設退院という方向で見学会を何回か重ね、「本当だったらこの人なんかは一人暮らしできる人だよね」と思ってはいても、本人が望まず、かつ必要な一定の外来生活を支える機能を全く持たないこの病院では、ムリとあきらめて数名を施設退院へとすすめていった。
 一定がんばる病院は、自分たちの所でケアできる患者さんは外来その他で(もちろん作業所などの通所福祉施設の力も借りてだが)単身生活を支えていくから、けっこうな数の外来単身者群が病院の周りに住んでいる場合が多い。50、70、100人くらい。そうしてカバーできない一部分を都立のセンターなどに依頼し、その上で適応の人々に救護施設や老人ホームを勧めてみるというのがパターンであろう。
 当院では、最初の部分が欠落し、センター依頼はそれなりに行い、施設へは今回少しばかりすすめたというところなので、送った先の施設職員からは「最近どの病院からも送られてくるのは、気力体力ともに『うーん・・・』という人が多いのに、そちらの病院から来る人はしっかりしてる人が多いんだよね!」と言われる。情けないが事実。しかしその施設は当院よりは単居生活促進機能があるところなので、オネガイシマスと思ってるしだい。
 こうしたことを行っている中で、患者さん達が私達に見せる姿が少しずつ変わってきた。心の中のあきらめていた願望が少し
ずつ首をもたげてくるといった感じ。一人、二人とそれまで長年生活をともにしてきた、職員なんかより互いによくわかっていた同居者が「退院」して目の前からいなくなっていく現実に、長年「ガンバコ退院だよ!」と明るく言い放っていた人たちが考え込んでいる。何年か一緒にいただけで、職員だってその人がいなくなってさみしいのに、患者さん同士ならさらにその思いは深いだろう。
 そんな中で、ついに「一人暮らしをしたい」と声をあげた入院生活およそ30年、年齢約70才の患者さんが現れた。この人については、次の機会に。

|

« 投稿 重ねて「意見書」の即時撤回を要求する | トップページ | キューバからの便り  Nさんへ »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/19973/1657116

この記事へのトラックバック一覧です: ある民間精神病院で その1:

« 投稿 重ねて「意見書」の即時撤回を要求する | トップページ | キューバからの便り  Nさんへ »