« ある民間精神病院で その1 | トップページ | 自由人権協会の「宅間被告人精神鑑定医のメディアへの発言と報道に関する提言」 »

キューバからの便り  Nさんへ

作業所勤務  宮城ゆみ子

Nさんがこの「おりふれ通信」にキューバのハバナ精神病院見学報告をしたあのキューバ旅行から約1年9ヶ月、今回は一緒に行けず残念でしたが、私は職場のヒンシュクも顧みず年休全部を使って3度目のキューバを旅してきました。
 今回もあの友人Tと。今回の旅行は、できればという程度の目的として、いつものような街中で演奏されてるキューバンミュージックもいいけれど、ちゃんとしたステージでのライブを聴きたい。
 特に大きな理由があるわけではないけれど、諸事情を考えるともしかしたら最後のキューバになるかも知れない、やっぱりあのチェ・ゲバラの遺骨が納められているサンタ・クララへ行っておきたい。
 前回、Nさんのハバナ精神病院見学の報告にも書かれていたと思うのですが、キューバは入院、治療費の無料化はもちろん食事、日用品、衣料も配給と言う中、アメリカの経済封鎖は国全体に物不足をもたらしていて、この病院でも「なかなか衣類にまでは」という話を聴いて大きなことはできないけれど、モノ余り状態の日本で衣類を集めて送ることくらいははできるのではないかと、キューバから帰った私達は職場の仲間や友人知人に声をかけ、昨年春、第一便を船でキューバの友人宛に送りましたよね。届くかなと心配だったけれど、なんとか届いたらしいあの荷物と今回持っていった衣類を病院へ届けること。この三つぐらいは実現したいと考えていました。
 3度目などといっても、Nさんも知ってのとうり、計画的な動きの苦手な私達としてはいつもの旅行社に航空チケットと、前回一緒に泊まったあのホテル・テハジージョに12泊全部とお願いし、ただアメリカのイラク攻撃に怒ってる私達としては、あのヒューストンのジョージ・ブッシュ空港だけは、いくら安くても経由したくない旨(こんな時旅行することと矛盾してるでしょうか?)もう一つ軟弱な注文なのですがエレべータのないホテルでしたので部屋は2階へ、などとわがままも言ってみました。
 まあそんな訳で飛行機はエアーカナダ、トロントへ1泊し、そしてキューバへ、ホテルの部屋は2階予約OKと一応順調な旅立ちの予定ができあがり、やっと成田でチエック・インという時の荷物検査で、なんとこの20年近く一緒に旅をしてきた私のスーツケースが壊れてしまったのです。
 詰め込み過ぎもあったでしょうが、酷使されくたびれてしまったのでしょう。成田で捨てるには忍びなく、まるで包帯のような白いガムテープでぐるぐる巻にされたバッグと共に旅立つことになったのです。痛々しさこの上ない姿は写真に納めましたので是非観て下さい。
 「汚くて国内じゃ恥ずかしくて持って歩けない」などと悪態をついていたことが悔やまれる事件でした。
 このアクシデントに象徴されるトラブル続発の旅がここから始まりました。
 機内で読むCUBAガイドはあのいつもの旅行会社がくれるキューバ大情報(大はいらないような気がします)と、こりもせず「地球の歩き方」そしてこれは優れもの大お勧め、「旅の指さし会話帳キューバ」御存じのとうりキューバはスペイン語、でも私達には、キューバは「キューバ語」なのです。とにかくページを開いて、指差しながら会話ができてしまうのです。前回も大活躍でしたよね。
 信じられないほど英語もできないし、スペイン語にいたっては知ってる単語の数は両手の指の数程と言う私なのですから。でもそんな私達でも旅ができると言うのがキューバと言う国なのかも知れませんね。
 成田を飛び立ちバンクバー乗り換えトロントに泊まり、飛行機に3時間ほどでハバナのホセ・マルティ空港へ到着。入国審査も無事通過、「さあ荷物を」というところで停電!当然荷物も止まる。えーっとは思うがここはキューバだと実感させられる。余談になりますがガイドブックに有るトラブル例はほとんどキューバで体験しましたね。
 明るい時間に到着するのは初めてなので、空港からのタクシーはもうキューバンミュージックがんがんですし、1泊2日かけてたどり着いた安堵感とでも言うのでしょうか、疲れているのになぜか気分はハイ!そんな気分のまま整然とした新市街、革命広場を横目に街全体がちょっとセピア色に変わりはじめると、そこはオールドハバナ。1704年に建てられたというバロックスタイルのあのカテドラルの尖塔が見えてくると、車1台がやっとのテハジージョ通りに入りホテル・テハジージョへ到着です。Nさんとの時も確か真夜中に到着でしたよね。
 ボーイさんが不思議そうな顔であの痛々しいバッグを運んでくれて、さあチェクイン、いつもなら遠いところようこそと明るく迎えてくれるはずなのに、なにか変!電話でなにかやりとりしてるふうなのです。
 そのうちにフロントマンがやってきて「部屋がダブるブッキングしているらしい、手配しているのでバーで待っているよう、もちろんフリードリンクで、おこっているか?」というようなことを言っているらしい。仕方がないのでNさんも、かって知ったるホテルのバーへ。
 ちなみにキューバでは小さいホテルにもバーが有ってバンドが入っているのです。
Tはというと、入った途端「踊ってくる」とやけのようにバンドの前の狭いスペースで踊り始める、ノリのいいキューバ人もちょっとびっくりしながら歓迎している。私はというとウエルカムドリンクのキューバビール、クリスタルを飲みながらヤケのように彼女の踊りに大笑いをしていました。
 そうこうしているうちにホテルマンがやって来て、有無を言わせずというか言っても通じないと言うか、すでにホテルの前にはタクシーが、まだ明るいとは言え夕方6時「明日12時に迎えの車が行く」ということで送りだされる。一応は何が基準か知らないがテハジージョよりランクが上とのこと。外見は植民地時代のお屋敷風で重々しい建築物だがホテルの顔のようなフロントの時計もロビーの大きなのっぽの古時計もやっぱり時を刻んでいませんでした。(キューバの時計は止まっているのが多いですよね)
 ホテルのベランダに出ると道路をはさんでハバナ湾・・とはいえあの新市街に続くマレコン海岸とは大きく違い、工場地帯。船はというと貨物船が行き来している。それでも8時近くに海面を照らし貨物船に影を落としながら沈む夕日は疲れて沈む私達の心をも照らし、美しかったです。
 キューバ2日目。 
 3度目ともなると、いくらものぐさな私達でも少しは街の様子が分かっていたようで、朝になって落ち着いてベランダからあちこち眺めまわしていると、どうも観たことが有る風景。そうなんですNさんあのハバナクラブ博物館がこのホテルの隣のとなり、とは言っても大きな建物なのでワンブロック先というのでしょうか。転んでもただでは起きないというのが合ってるかどうかはわかりませんが、とにかくハバナクラブを買いにくる手間は省けたとばかりに、迎えの車の着く前ににハバナ2日目にしてのハバナクラブをゲット。博物館のロビーでラムたっぷり入ったオレンジジュースを飲み、ちょっといい気分でホテルに戻るが、12時約束の車が着いたのは待ちくたびれた、1時すぎでした。
 でも明るいタクシー運転手と笑顔のホテルマンに迎えられ、あぁ~我が家に帰ったような気がするテハジージョでした。
 部屋は2階の207、荷物をほどき、さあ待っているキューバの友人達に連絡でもというときホテルのカウンターから持ってきたちらしを見るとなんと思わず二人で「うっそー」と言ってしまったのですが、ハバナの代表的ホテル、ナシオナル・デ・クーバであの”ブエナビスタ・ソシアルクラブ&アフロキューバン・オール・スターズ”のライブがあるというのです。しかも、今夜。
 そりゃあやっぱり行きますよね。もう入れないかなと思ったけれど二人ということで予約OK。一流ホテルのディナーも一度くらいと、ふんぱつしてみましたがディナー&ライブで一人日本円5000円弱と日本じゃ考えられない値段でした。ライブは言葉では語れません。ただ9時から始まり12時すぎまで休憩もなく繰り広げられる演奏とダンスは客席も踊り出し一緒に歌い、、広いホールがステージと一体となって終わ ってもなかなか立ち上がりがたい、みんなそんな気分のようでした。
 成田を発ってまだ3日。いろいろあったけれどやっぱりキューバはいいとしみじみ想う夜でした。Nさんまた一緒に来たいですね。
 私達のハバナ滞在はまだまだつづきます。またお便りします。

|

« ある民間精神病院で その1 | トップページ | 自由人権協会の「宅間被告人精神鑑定医のメディアへの発言と報道に関する提言」 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/19973/1657117

この記事へのトラックバック一覧です: キューバからの便り  Nさんへ:

« ある民間精神病院で その1 | トップページ | 自由人権協会の「宅間被告人精神鑑定医のメディアへの発言と報道に関する提言」 »