追悼 山本真理さん

おりふれ通信編集部  木村・石井

長く入院、療養されていた山本真理さんが、先日亡くなったとの報がありました。毎日のように真理さんからメールでいろんな情報を受け取っていた時期から随分の時が過ぎ、「とうとう…」という感じです。心からご冥福をお祈りします。

 おりふれ通信として、山本真理さんを振り返ってみると、19853月号巻頭、長野英子さん名での「宇都宮病院事件の本質は何かー患者の立場からー」の寄稿が初回でした。その後は2000年代に入ってから、全国「精神病」者集団や権利主張センター中野の集会や学習会、出版物のお知らせを主に、時には記事を読んでの批判的意見を投稿してくれたり、年に34回は真理さんの文を掲載してきました。

 訃報に接して、何人かで真理さんを偲び語るひと時をもちました。

根間さんは10年ほど前、減薬の勉強会で初めて真理さんに会い、世評と異なりやさしい人だなぁという印象を持ったそうです。

石井は、20代の頃、同じ病院に入院した人に誘われ、当時京都で月1回開かれていた「病」者集団の定例会に参加したのが、真理さんと初めて会った時。この頃から眞理さんは、仲間に対して「来るもの拒まず、去るもの追わず」の姿勢が徹底していたと思う。これはちょっと素っ気なくも感じたが、精神病院に入院させられ、逃げることや自分で選択する自由を奪われた体験をした私にとって、何より安全な場や関係を与えてくれた。でも当時は「精神病院を燃やせ!」など、過激なメッセージや主張におののいたり、しんどくなっちゃう時もありました。ただ、「病気になってごめんなさい。病気が良くならないの全て自分のせいだ。」でいっぱいになっていた世界にヒビを入れてくれたのも、そんな眞理さんの暴力的な言葉や態度のもつパワーだった。

木村もやはり初めての出会いは20代、松沢病院のワーカーとして駆け出しの頃で、大野萌子さんと山本真理さんの二人に、「あなたは持っている鍵で、今すぐ松沢病院の全閉鎖病棟の扉を開けなさい!」と言われ、怖かった。その後は敬して遠ざけるように過ごしてきたと言いました。

藤井雅順さんは、精神保健福祉士養成コースの病院実習の頃、山本真理さんに初めて会い、真理さんの語る理念と、現実の精神病院での患者さんの境遇のあまりのギャップが衝撃的だった。真理さんから「あなたは敵になるの、味方になるの?」と問われたことも印象に残っている。その後ギャップを自分なりに埋めるべく、松沢病院の資料館に皆で通ったり、模索してきているという話でした。

 真理さんが言っていたこと、「清潔なシーツ、布団の寝床でゆっくり眠り、休養できることが大事」ということから、休養入院という言葉はあるが、入院はいろいろ気も使うし、環境も休まるとは言いがたいよねという話。真理さんは入院より温泉行った方がいいって言って、デトックス(?)みたいな温泉・断食旅行してたよ。

 真理さんの未来図は何だったんだろう?「クライシスセンター」のことはよく言ってた。入院でなく、認定調査、支援区分などの時間のかかる手続きをしないと使えないショートステイでもなく、そういう手続きは飛ばして、緊急時、必要な時にすぐ泊まれる場。「ご飯を一緒に食べるってことも大事」に思ってたと、真理さんとご近所だった石井が、真理さんに肉団子の鍋を作ってもらったことなど、いろいろな思い出を話した。真理さんは怒ってるイメージが強い人だったけど、「こわいんだけど、こわくない。真理さんの前ではなぜか仏頂面でいられた」

 精神病院と闘う一方、自らの地域生活にホームヘルパーや、外出時約束の時間、場所に着くためのガイドヘルパーが必要なことも明らかにし、自治体への批判や交渉の経過も発信して世に問うた人。保安処分・医療観察法を許してはいけないという一貫した強い思い…、真理さんをめぐる話は尽きず、時間となりました。

 

 

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半世紀ぶりの政策転換の“チャンス”を   確実に活かすために(前編)

氏家憲章 

 

1.精神医療政策の特徴

 わが国の精神医療政策は、①精神科病院への入院中心の精神医療、②精神科病院を一般病院と区別し差別扱いの2つを基本としています。そのため医療で最も重要な職員は、一般病院(医療法)には認めない職員が少ない「精神科特例」です。精神科病院の入院料は、一般病院の3割と「精神科差別」です。そのため日本は、世界最大の“精神病床大国”でも、国の財政を圧迫しない「安上がりの精神医療」です。「入院中心の精神医療」と「安上がりの精神医療」(精神科特例と精神科差別)は“表裏一体”です。ここにわが国の精神医療が抱える問題の大本があります。精神医療を改革するためには、この時代後れで間違った精神医療政策の解消が課題です。

(1)病床利用率70%台目前

 入院中心の精神医療体制は、在院患者の大幅減少によって‘崩壊の危機’に陥っています。それを端的に示しているのが、精神科病院の「病床利用率」(行政から許可されている定床に対する在院患者数比)です。一般病院は病床利用率80%が採算ライン、精神科病院は90%で80%台になると経営は「危険ライン」です。2024年1月の精神科病院の病床利用率は80.9%です。内訳は、80%台は24都道府県(51%)・70%台は21県(45%)・60%台2県(4%)です。

(2)在院患者大幅減少の背景

 精神科病院の在院患者は、入院2~3ケ月で退院する「新入院者」のグループと年単位で入院している「長期入院者」のグループと“二極化”しています。この両方で減少しています・・・

 

<全文は、おりふれ通信435号(2024年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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『死亡退院 さらなる闇』の感想  ―都立松沢病院についての素朴な疑問―

堤 幸彬(NPO法人オメガ・プロジェクト設立準備会)

 

「堤さん、僕を見捨てないでください。松沢送りにしないでください!」グループホームの入居者に唐突に言われて、正直、僕は面食らいました。

僕は約30年ほど前に、東京のT市という町でグループホームを始めました。冒頭の利用者は、東京都多摩総合精神保健福祉センターから来た人でした。皆から自分が嫌われているという思いが高じて、こんな訴えになったのでした。これは被害妄想ではありません。事実、そうでしたから。その後も彼は、ことあるごとに、「僕は松沢送りですか?」という言葉を向けてきました。グループホームの運営委員であり、ピアカウンセラーでもあるYさんに聞きました。「当事者の間に、『松沢送りという言葉があるの?』」すると、Yさんはタバコの煙を吐き出して、こともなげに言いました。「うん、ありますね。」松沢病院に対する疑問が、ムクムクと立ち上がりました。

さらに昔、10年以上前。まだ、僕がお兄さんと呼ばれていた頃の事です。その頃の僕は、主に身体障害の方の介護に入るボランティアをしてました。学生の頃の延長であてどもない活動でしたが、気になることが一つありました。それは、アルコール依存症でした。介護に入っている当事者に酒浸りの人がいました。回りにいる介護者集団も酒飲みでした。アルコール依存症一直線であることは、僕にも見て取れました。これは、ヤバい、なんとかしなければいけない、と思いましたが何の知識も経験もない、ただのお兄さんです。70年代後半には、AAが日本にも入って来ていたようなのですが、そんなことなど知りませんで、ひたすら病院探しをしました。そこで上がってきたのは、まず、国立武蔵、小林病院(現駒木野病院)、都病院(現多摩あおば病院)、成増厚生病院でした。そこには、松沢病院の名はありませんでした・・・

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ギャラリーカフェ禾菜(カナー)訪問記

侘び寂びおじさん 

 

 目的地は、富士急行線の禾生(かせい)駅。高尾駅から大月駅までは、ボックスシートの車両でした。おかげでちょっとした小旅行の気分が味わえました。斜め向かいに、パンクな格好の若者がペコッとお辞儀をして座った。そのいで立ちと礼儀正しさのギャップが可笑しい。ははぁ、昨日は新宿あたりで遊び呆けて日曜の昼にご帰還かぁと、意地悪おじさんは思うのでありました。さて、大月まではトンネル、またトンネルでした。山あいに集落が立ち並ぶのどかな風景を眺めながら大月に到着。大月駅で富士急行に乗り換え。電車内は日曜ということもあり、完全に観光列車でした。英語と中国語が飛び交いなす。そうか、富士山なんだ…。気づくのが遅い!

 さて、大月から三つ目の禾生(かせい)駅で下車。思ってたよりも開けている。もっと田舎かと思っていました。行動沿いだしね。小学校もあります。ちなみに余談になりますが、この禾生駅から海上保安庁の新人が、羽田空港の特殊救難基地までの100キロを24時間以内に踏破するという行軍があるそうです。しかも速い隊員だと13時間で着くそうです。すごいですね!

 国道139号線を西に歩いていると、前方に見覚えのある二人の姿が。久保田公子さんと、先に着いていたおりふれ編集長の木村さんでした。久保田さんは20年前、おじさんが立川の自立支援センターに通っていた頃の担当職員だった方で、おりふれ通信につなげてくれた人でもあり、今はお連れ合いの北原さんと一緒にギャラリーカフェ禾菜(カナー)をされています。15年?ぶりの再会でした・・・

 

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伊藤裁判が結審を迎えて

精神医療国家賠償請求訴訟研究会会員 成ヶ澤真紀子

 

 2024年6月18日は悪天候に見舞われましたが、伊藤さんの第16回口頭弁論には、全国から62人の方がお集まりでした。皆さん、被告国側の最終弁論を聞きたかったのではないでしょうか。私も、リーガルドラマで見るような激しいやり取りを想像していたのですが、実際は、原告被告ともこれ以上の主張がないことを確認しただけで結審となりました。開廷からものの3分と経っておらず、傍聴席には、拍子抜けした空気が流れました。

判決言い渡しは、101日(火)14時に決まりました。奇しくも、裁判提訴したのが2020年の9月30日であったことを思い起こさせる日程ですね。自然と4年間がフラッシュバックしてきます。最初の裁判の日、皆さんと横断幕を持って裁判所の前を行進したこと。伊藤さんの原告意見陳述が、心を打たれる歴史的な第一声であったこと。伊藤さんが40年にわたって「かごの鳥」にされ、人間としての自由を奪われたことに対して、国側の反論は「不知」「否認」であり、裁判でさらに人権を踏みにじられるのかと失望したこと。裁判が結審した今、全体を振り返ると、国側は一貫して、精神医療制度の違憲性や厚生大臣等の不作為について「不知」「否認」の姿勢のまま終わりました。原告が国の不作為を問うている裁判で、国の不作為について触れることもない国の不作為。あぁそうか、と落胆する思いです。損害賠償を請求するには原告が証明しなければならないのが訴訟のルールだから、ということは勉強しましたが、立法の不作為、行政の不作為に続いて、判決において司法の不作為までが行われないことを願うばかりです。

 さて、第16回口頭弁論に戻ると、開廷と同時に、裁判官の交代が告げられました。これは、過去15回の口頭弁論に全く立ち会っていない裁判官が判決を言い渡すということでしょうか。私たちは、これまで裁判官の心情に訴えることを意図して傍聴支援行動を続けてきたのですが、そういった心理的な影響を一切排除して、純粋に損害賠償の法律要件のみに基づいた判決を下すことが裁判の正義なのでしょうか。こういった判決前の裁判官交代は他の裁判でもよくあることなのか?わからなくて戸惑っているのですが、私は、伊藤さんが人生レベルの損害を被ったことについて、事実がいくら非道であっても、それが違法であるかどうかは別問題であるというメッセージを、最後に裁判所から受け取った気がしました・・・

 

<全文は、おりふれ通信434号(2024年7月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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新生存権裁判東京判決

原告 神馬幸悦

 

2024年6月13日(木)生活保護受給減額処分の取り消しや損害賠償を求めた訴訟(新生存権裁判東京)の判決がありました。篠田裁判長は「国の判断には裁量権の逸脱、乱用がある」として処分を取り消しました。(賠償請求は棄却)

判決後私は司法記者クラブでの記者会見に出席しました。記者からは、減額によってどういう影響が出たか問われ、私は食費を3分の1削ったり、集会へ参加する交通費が不足して困ったりしたと答えました。6年にも及んだ裁判の進行中にさんきゅうハウスの原告仲間が何人か亡くなり辛い思いもしましたが勝訴の報告ができほっとしました。

この裁判を通じて意見陳述や署名集め&提出、街頭宣伝、厚生労働大臣への要請書提出など様々な体験ができ勉強になりました。

 

裁判の終わりに大変異例の事ではありますが、篠田裁判長より意見表明がありました。社会が未来に向かって「下向きのベクトルではなく、上向きのベクトルに進まなければいけない」と指摘。そのために行政が担う役割があると述べました。またそうした社会にするため、皆さんが一体となって取り組んでほしいと語りました。

今回の訴訟を含めて地裁段階では原告が17勝11敗と勝ち越し。原告弁護団の宇都宮健児弁護士は行政訴訟では原告が勝訴することが難しく、これほど勝つことは異例だと述べました。

なお原告、被告共に上告し場所を東京高裁に移して裁判は続くと思われますが引き続きのご支援をいただけますよう宜しくお願い致します。

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投稿・学会に行ってきました

みなみ 

 

私は、40代の女性の精神障害者です。かかりつけの精神科医から、「今度、日本精神神経学会で、あなたの症例を、他の患者さん2~3人の症例と混ぜて発表します。見に来ませんか?」と、誘われました。

 第120回日本精神神経学会学術総会は、北海道で開催されるとのことでした。遠かったので迷いましたが、行くことにしました。

 学会の入り口には立派な看板が立っていて、キッチンカーが7台ぐらい来ていました。受付で精神障害者手帳を提示すると、千円で参加することができました。

 かかりつけ医の発表ですが、男性の症例ということになっていて、どこが私の症例なのかさっぱりわかりませんでした。

 私は、患者が自分の意志で、自分の症例発表をすることができるべきと思っています。「ここは公にするが、ここは隠したい」というように、調整できるようにするべきです。

 あと、医者と患者とで、問題意識がずれていたりします。医師だと問題点Xが気になり、患者だと問題点Yが気になるということがあるはずです。症例報告は、たくさんされたほうが、病気に対する理解が深まると思います・・・

 

<全文は、おりふれ通信434号(2024年7月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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滝山病院「かながわ」退院促進実行委員会の実践活動報告 ―2023年3月22日~2024年5月22日までの14か月間―

滝山病院「かながわ」退院促進実行委員会 代表 原 裕樹

『滝山病院に神奈川県民がまだ7名も入院中!』

 

【おい、なんなんだ~】

おい、なんなんだ~。誰か、何とかしてくれないか~。

この映像を観て、私(原)は思わず嘆きわめきました!

 

ある患者の代理人弁護士による刑事告発で警察が動き、2023215日に看護師が暴行容疑で逮捕されて報道され、225日はNHK「ルポ 死亡退院 ~精神医療・闇の実態~」(NHK NEWSWEBより)の取材チームにより、患者への暴力や違法な拘束、虐待の様子が映像として公開され、白日の下にさらされることになりました(以下映像を文章化し記載)。

「もうつらい思いをしたくないです」泣きながら訴える患者の映像。
病院の職員に殴られたり縛られたりしたと明かしていました。
別の映像には医療スタッフと見られる人物に殴られ「怖い、怖い」と訴える患者の姿もありました。

≪映像のやりとり≫
患者:おーい。
職員:何?「おい」ってなんだよ。「すみません」だよな。口の利き方に気をつけろよ。
患者:痛い、痛いよ。
 病室内で黒っぽい服を着た医療スタッフとみられる人物が、横たわる患者の頭を繰り返しベッドに押さえつける様子が。別の映像では、消灯後とみられる薄暗い病室の中を、医療スタッフとみられる男性が奥のベッドで声を出していた患者のもとまで歩いていくと…。

職員:うるせえよ。みんな寝てんだろ?あ?静かにしろよ
枕で患者の顔面を2回たたく様子が確認できます。

 

≪公開された音声1
患者:たん取ってくれ
職員:『くれ』言ってるやつはだめだって言ってるだろ。何回言ったら覚えるんだよ
患者:…たん取って下さい
職員:嫌です!ギャハハ

≪公開された音声2
職員:本気で行こうか、本気つっても痛くねえだろ、もっと行くぞ!(物音)
   いてぇか?本当に?なぁいてぇか?本気で行こうか?おい!
患者:痛い…

 

【いたたまれない情景】

いたたまれない情景が目に浮かびます。 八王子市にある滝山病院での患者への人権侵害が明らかになりました。実は1980年代から「死亡退院」が多すぎると長く問題視されていたようです。

この滝山病院の院長は、2001年に患者不審死や診療報酬不正で廃院した、埼玉県の朝倉病院の元院長が、滝山病院の院長になっていたのです。人工透析もできる合併症対応可能な長期療養病院として、関東一円の家族や医療機関、福祉行政が頼り、病院が閉鎖病棟に患者を長期にわたり抱え込んで、「退院転院」の考えが低下して「死亡退院」が当たり前になっていたようです。

また、滝山病院はその後も運営を続け、2022630日現在で152人の患者がなお入院し、うち31人は神奈川県民、うち20人が生活保護受給者です。(編集部註 2023630調査では、87人が入院中。そのうち神奈川県民は21人、うち生活保護受給者は14人となっています)

この映像のタイトル通り、入院したら生きて退院できず多くの入院患者が「死亡退院」(死亡しないと病院の外に出られない)とのことでしたが、私はまずは神奈川県の31人を生きて「退院転院」できるようにしようと思って一緒に関わってくれる仲間(実行委員メンバー)探しをしました

 

【「かながわ」に風が吹く】

神奈川県内の福祉や医療などに携わる有志5名が集まって滝山病院「かながわ」退院促進実行委員会を発足することができました。その後2名が加わり計7名(主な肩書:弁護士、医師、看護師、社会福祉士、精神保健福祉ボランティア、兄弟姉妹の会員、精神保健福祉士)と更に1名のオブザーバー(精神保健福祉士)のメンバーで、この14ヶ月間で13回の定例会議を開き様々な検討をしながら準備して活動をしてきました(定例会は平日18時~20時頃、横浜市中区寿町の会館にて開催)。

 

【実行委員会の目指すところ】

  • 滝山病院事件の現状と背景を深く理解する。
  • 滝山病院に入院されている患者の早期救出と生命・人権を守るために私たちに何ができるのかをみなさんと一緒に考える。
  • 今も隔離収容型の病院医療中心である日本の精神科医療を変革していく。

*特に重んじたのは、上記のテーマに関心を持たれたみなさん(サポーター約300名や市民・県民)との関りを持ち続けることで、この間9回の「ニュースレター」をメールにて配信しました。反響として「毎回、活動報告をありがとうございます」「代わりに行政に声明文を出し てくださりありがとうございます」「いつも、自分の団体にも報告させていただいています」などの返信をいただきました。

(中略)

 

◆「神奈川県知事、横浜市長、川崎市長、相模原市長宛」そして「東京都」への申し入れ内容は以下

1.滝山病院入院中の神奈川県民の一刻も早い退院を促すため一人一人に対して具体的な対策を示すこと

2.神奈川県民が滝山病院入院に至った斡旋や紹介の経緯やその後の関わりを具体的に明らかにすること

3.精神科病院への不適切な強制入院や隔離拘束や長期入院や虐待をなくすため具体的な対策を示すこと

4.入院ではなく、地域で生活しながら住まいや医療を続けていけるための、具体的な対策を示すこと

5.地域精神科医療の改善のため、精神障碍当事者や家族や支援者を入れた検討と交渉の場を継続的に設けること

➡それを受けての黒岩知事記者会見が開かれた

 黒岩知事より、面会を嫌がっている滝山病院と積極的に面会をさせてもらうような指示が出てました。20231212日現在、神奈川県民19名の入院患者でした

その結果、神奈川県職員だけでなく横浜市、川崎市、相模原市職員も面会して転院退院への働きかけをし始め、2024522日現在には入院患者はかなり減り7名となりました。

 

最後に2024年に3月に、退院転院したい入院患者や関係者のところに、どこに連絡をしたらよいかの「チラシ」を作って神奈川県、横浜市、川崎市、相模原市役所に配布して、ご本人の手元でお渡し願いたいことを依頼しました。特に川崎市役所は積極的に配ってくださり、お一人の方が転院・退院することができました。まだ「かながわ」には7名の方が入院されているので何とか退院できる方法を考えて一日も早く救出をしていきたいと思っています。

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<全文は、おりふれ通信433・434号(2024年6月号・7月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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『市民活動のひろば』紹介

編集部から おりふれ通信の紹介記事を載せてくださった「市民活動のひろば」に、今度はおりふれから紹介記事をお願いしました。

 

『市民活動のひろば』発行委員会 江頭晃子

 200261日に『市民活動のひろば』を創刊しました。東京・多摩地域を中心とした市民活動情報誌の発行を始めて丸22年、年10回発行しているので、202451日に220号を発行したところです(『おりふれ通信』のまだ半分)。毎号特集を組み、特集にそった活動をされている36団体・個人に活動紹介をしていただいています。最近の特集では、「いのちを育む食」「暮らしの中で木々(いのち)と共に」「能登半島地震」「地域の学校で学び・集いたい」「ちゃんと知りたい 新型コロナワクチン」「認知症とともに生きられるまちに」などです。思いや理念を持っているのはもちろんのこと、何かしら“動いている”皆さんに書いていただいています。

  • 特集「本人の助けになる 精神医療を」

滝山事件のことが気になっており、219号(2024.4.1)で上記のタイトルで特集を組みました(企画した時は「よりよい精神医療を求めて」と考えていたのですが、ご執筆いただいた皆さんからご助言いただき上記に変更しました)。

細江昌憲さんの巻頭言「滝山病院事件は終わっていない」では、未だに解決されていないだけでなく、報道後の1年間に40人もの患者さんが病院で亡くなっていることに衝撃を受けました。「東京精神医療人権センター」の無料電話相談・病院への訪問や面会活動や、『おりふれ通信』が43年間も継続発行されていること、「国立武蔵病院(精神)強制隔離入院施設問題を考える会」が指摘し続けてくれている病院の存在と医療観察法の問題、「精神科医療の身体拘束を考える会」が書いてくれた身体拘束により亡くなったサベジさんのことなど、恥ずかしながら初めて知ることばかりでした。

100年以上前に言われた「この国に生まれたる不幸」が何ら改善されないばかりか、当事者をないがしろにする制度が強化されることで、より「みえない化」されており、私自身も「みない」ことが当り前になっていることに愕然としました。もっともっと日常のなかで、いろんな人が一緒の暮らしをしたい!と思います。

  • 『おりふれ通信』のすぐそばに

2002年以前は、『市民活動のひろば』は東京都立多摩社会教育会館内の市民活動支援事業として発行していました。同会館は立川市錦町6丁目にあり、事業が廃止となり(私は非常勤だったので解雇となり)、市民組織として発行を継続するためにみんなで小さな事務所を借りたのは錦町1丁目。錦町に25年以上居て、いろんな団体のミニコミも収集してきたのに…知らずにおり、情報収集アンテナ力と多様性が欠けていることも痛感しました(3年前に東村山市萩山町に引っ越しました)。

『おりふれ通信』と資料交換で送っていただき、精神医療国会賠償請求訴訟、口頭弁論の様子、都庁前・滝山病院前行動、グループホーム・当事者団体のこと、学習会や講演会の報告、地域の他団体の紹介など、知り、怒りが湧いたり、みなさんの活動に感心したり、号を重ねて読むたびに大事な視点を培われているとように思います・・・

(中略)

  • 『市民活動のひろば』ご希望号をお送りします。

1号分250円(送料込み)(年102500円)

郵便振替:00150-6-258984   「市民活動のひろば」発行委員会

他金融機関からの送金:ゆうちょ銀行  〇一九(ゼロイチキュウ)   当座  258984

東村山市萩山町2-6-10-1F tel/fax: 042-396-2430

E-mailhiroba2002@a-simin.sakura.ne.jp  http://a-simin.com/

 

  • 市民活動資料室「市民アーカイブ多摩」

 立川市幸町5-96-7 tel:042-536-5535  

 info@archive-tama.sakura.ne.jp  http://www.c-archive.jp/

 開館日:毎週水曜日・第24土曜日 13001600

 

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『日ノ岡荘みんなの部屋の物語』(千書房刊)の想い

前進友の会やすらぎの里作業所 江端一起

 【遺族会】ダト想うんです、、、【遺族会】になっちゃうんだと想うんです、、、、長く患者会を開き続けていると、、、何時しか【遺族会】に為るのだと、、家族会の皆さんも、、兄弟姉妹の皆さんも、、、ソウなんですよ、長くヤッテいると、会としても個人としても、、何時しか【遺族会】や【遺族】に為っていくんですよね、、ソレがゲンジツだと想うんです、、だから、、生き延びちゃった者たちは、、生き延びれなかったなかまたちの想いを語り継ぐ意味と云うか義務と云うかが出来ちゃうんじゃないかと想うんです。ナンと云うか、病者本人も家族も兄弟姉妹も、キーサントモダチも、スタッフダチンコも、会としても個人としても、遺族会や遺族になって、想いを語り継ぐ、そういう場が患者会であれ交流の場であれナニ化であれ、会報や通信やであれ、交流広場であれ、繰り言であれ、独語であれ、絶対に必要なんじゃないかなと想うんです。出来たら、、なかま達と共にがイイのだけれど、、、この『日ノ岡荘みんなの部屋の物語』も、少しは、ソウ為っていたらいいのだけれど、、、如何かな、、、

 前進友の会は、1976年設立ですから再来年で50年に為るんデスよね、、、、若くして亡くなったなかま達、、自殺で亡くなっていったなかま達、、、大往生を遂げられたなかま達、、精神病院内で一度も退院することなく亡くなっていったなかま達、、ガンで亡くなっていったなかま達、、、、突然に亡くなっていったなかま達、、、、総合病院と精神病院を行ったり来たりしているうちに亡くなっていったなかま達、、たくさんのなかま達が亡くなっていきました、、看おくって生き続けているなかま達、、、遺さなきゃ、、残さなきゃと想ってきました、、、今、、ホッとしています、、、みんなの部屋のなかま達の声や息遣いや哄笑や泣き笑いを、、少しは残せました、、、レクや食事会や与太話や、カレーの出来栄えなどを、便所から出られなくなったことも、包丁で追いかけまわされたことも、、、、原稿は書き溜めてきたモノが手元にありました、、たくさん、たくさん、ね、でも、、実は発表する気はなかったのです。やっぱりとてもとても、シンドカッタ、ツラかったんですよ、、、、ある方の強いおすすめがあったからこそ、この本は出版出来ました。感謝しています・・・

 

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«精神医療国家賠償請求訴訟の東京地裁結審に向けて