滝山病院事件を地域で考える学習会を開催しました

社会福祉法人プシケおおた 青木範子

 

2023年9月9日、社会福祉法人プシケおおた内実行委員会主催で「滝山病院事件を地域で考える学習会」を開催しました。

私の働く社会福祉法人プシケおおたは大田区にあります。主に精神障がいをお持ちの方の支援をしており、生活支援センターⅠ型、グループホーム、B型作業所、地域生活安定化支援事業、自立生活援助事業を行っています。私はその中のこうじや生活支援センターにて地活Ⅰ型業務と計画相談、地域移行、地域定着支援を行っています。

学習会ではNHK「ルポ死亡退院~精神医療・闇の実態~」にて退院支援をされた弁護士の相原啓介先生、NPOトモニ代表で滝山病院退院支援連絡会の細江昌憲さん、横浜市コトブキ共同診療所医師の越智祥太先生、社会福祉士と精神保健福祉士の常数英昭さんが登壇してくださり、108名の方が参加してくださいました。

 相原先生と細江さんからは滝山病院内での違法行為や事件の現状を教えていただきました。今回の報道により社会的非難が集中していることや遅々として進まない退院支援について、また滝山病院でたくさんの方が亡くなっている現状に対して、1日でも早く退院をするためには地域の支援者が協力していくことの大切さを実際に退院支援されているおふた方からお話しいただいたことはとても力強く、切迫したものでした。

越智先生からは現在の勤務地で透析治療を受けながら精神科の外来通院をされている方の実例を挙げて、地域で支えていくことについてや「目の前からいなくなれば安心」という心理が働き「手っ取り早く」解決を求める効率主義と適応主義が人権の軽視を生んでしまうこと、常数さんからは長期入院をされている生活保護受給者の支援や生活保護法に基づいた制度等お話しいただきました。今回の学習会では様々な立場から見える滝山病院問題について考えることができるきっかけになったと思います・・・

<以下、全文は、おりふれ通信426号(2023年10月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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クラウドファンディングのお礼 地域に退院支援チームを作りましょう!

精神保健福祉士 細江 昌憲

 

 この度は、お陰様を持ちまして、クラウドファンディング「患者さんが入院継続を望まない精神科病院からの退院を支援したい」~一部の問題等のある精神科病院からの退院支援プロジェクト~の目標額を達成することができました。みなさんのご厚意、本当に感謝しております。

 達成額に加え、511名もの方からのご賛同、ご支援をいただけたことに、この問題の深刻さを改めて痛感しました。また、みなさんの思いが詰まったメッセージには、胸が熱くなりました。これだけ多くの方が悩み、苦しんでいるという現実を、重く深く受け止め、今後も一人でも多く、一日も早く退院していただけるよう、活動を継続していく所存です。

 現在、入院されている方、もしくは家族、支援者の方で、退院を主治医が許可しない等、何かお困りごとがありましたら、ぜひ、連絡をください。全面的に協力させていただきます。また、一緒に活動したい、という方(福祉関係者に限りません)からの連絡も嬉しいです。(電話とメール 08093062495 /tomoni-tachikawa@td5.so-net.ne.jp細江)
 

すでに、東京都の近隣県からも退院支援の要請が複数あり、相原啓介弁護士が、本人に会いに行き、その地域の福祉関係者と調整を進めています。東京都以外でも、できる限り、対応したいと考えていますので、各地に協力してくれる「仲間」がいると、本当に有難いです。

 

「弁護士とチームを作ろう」

 退院支援に取り組むうえで、最大のネックは、主治医です。退院だけでなく、面会までも制限できるからです。しかし、弁護士に面会の制限は適用されません。病院に弁護士が連絡を入れただけで、すぐに退院が決まった、というケースは枚挙に暇がありません。「明日、退院してくれ」と放り出されたという酷い話も聞いたことがあります。今までは何だったのか。入院治療が必要なかったことを自ら認めたようなものです。ふざけるのはやめてもらいたい。

 弁護士と組んで退院を進める方法は、スピード面でも非常に有効です。弁護士がこじ開け、退院後の生活を福祉が支援する。この方法がもっと広まり、浸透すれば、退院はかなり進むでしょう。

 

「面会制限に対抗しよう」

精神保健福祉法では、第37条第1項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準で、面会を制限した場合、その理由を診療録に記載しかつ、適切な時点において制限をした旨及びその理由を患者及びその家族等その他の関係者に知らせるものとする―とあります。これは、実際に病院側がやるとなると相当面倒です。私達もこれを盾に、ちゃんと記録しろ、その理由を公開しろ!と煩く騒ぎ面会制限に対抗しましょう。

 

「滝山病院からの退院支援」

今年2月に滝山病院の虐待事件が発覚する前から、相原弁護士は、入院している方からの要望を受け、これまでに10名の退院、転院を支援しました。弁護士になる前は、臨床心理士・精神保健福祉士として、精神病院等に勤務されていたので、退院に向けての面会も得意分野で、まさにひざ詰めで話を聞き、場合によっては1時間以上、また、複数回に及ぶケースもありました。

退院の実務としては、それら聞き取った要望を受け、地域の福祉関係者をはじめ、透析が必要であれば、受診できる病院、クリニックを探す等、とにかく、方々に電話をかけまくります。この際、各地の透析、糖尿病、難病の当事者の会に問い合わせると、丁寧に、いろいろな情報を教えてくれます。実際に病や障害を抱えながら、地域で暮らしている訳ですから、その生の情報は実践的、具体的で、私達では気づかない、見過ごしてしまうような生活上の細かい事柄もあり、とても参考になります。もちろん、スムーズに運ぶこともあれば、アパートが決まったのに保証会社が通らない等、壁にぶち当たったケースもありました。しかし、ダメだったら次、と絶対に諦めずに進み、突破、解決してきたのです。

 滝山病院には合併症等、難しい患者が入院している、退院は困難、とずっと言われていましたが、そんなことはない事を、相原弁護士が実践したと言えるでしょう・・・

<以下、全文は、おりふれ通信426号(2023年10月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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モーツァルトを初めて聞いた日 ―劣悪?な病院で働いている皆さんへ

根間 あさ子

 

ある日、Oさんは病棟のデイルームに寮から自分のステレオを持ち込んだ。12歳の私がベートーベンもモーツァルトも知らないと聞いて、自分の大切なレコードを聞かせようとしてくれたのだ。彼がレコードを扱う手つきから、それをとても大切にしていることがわかった。その大切なものを病棟に持ち込んで、クラシック音楽など流れたこともない場所で演奏が始まった。私は初めて聞くモーツァルトの音楽に心震わせ、と書きたいところだが、その日どんな音楽を聞いたのか全く記憶はない。その前日に、私はいつものようにOさんが翌朝の薬をセットしているそばでおしゃべりをしていた。その時にクラシック音楽について全く無知なことを知られたのだろう。当時のかさばる図体のステレオを、寮から二階の開放病棟までどうやって運んだものか。私は初めて聞くクラシック音楽は良く分からぬながらも、Oさんがレコードをステレオにセットする手つきからとても大切なものを扱っていると感じOさんがそれらを大事にしていることが良く分かったし、それを私に聞かせようと奮闘してくれていることが嬉しかった。だから半世紀以上前のその記憶が今も私の心を温かくしてくれる。

私の二回目で最悪の入院生活(1960年代の私立単科の精神病院です)の中で唯一の良き思い出は、このOさんと過ごした時間である。彼は病院にとなりあっていた職員寮に住まいしていた。看護学校に通いながら看護人(男性の看護助手をこのように呼んだ)をしていたのか、それとも全く別の勉強をしていたのかは知らないが確か学生だったように思う。佐渡島から上京してきて、私と同じ年頃の妹がいるといっていた。私は彼が夜勤の時に薬をそろえたり作業しているそばで彼の話を聞くのが好きだった。彼も病棟中で一番幼い、故郷の妹と同じ年頃の私を不憫に思い心に掛けてくれたのかもしれない。詰所(ナースステーション)に患者が入るのはご法度だったかも知れないが、私は幾度となく彼の夜勤の時には詰所に入り込んでいたように記憶する。

この記憶を書くことで私が伝えたいことは、どんな過酷な環境の中にいたとしても、人の心ある振る舞いは伝わるし、人を救うことが出来るということだ。あなたが酷いところで働いていたとしても、あなたの心ある振る舞いはきっと患者さんたちに伝わるに違いないということだ。諦めずに目の前の患者さんに対して心を尽くして欲しいと心から願う。

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投稿詩  We are

森重寿一

 

我々哀れな患者は

精神病院に向かって

運ばれていく

殺されるも殺すも

お金💰を稼ぐためだけに

いいようになってゆく 

長く入院して殴られて

拘束されていじめられて

 

病院🏥の院長などなどは

好き勝手にいろいろあっても

反省のかけらもないから

 

日本の精神病院🏥は

狂ってる 狂ってる

まだ狂ってる

 

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滝山病院問題のこれまでとこれから

一般社団法人精神障害者地域生活支援とうきょう会議 代表理事

鈴木 卓郎

 

暴行被害者の安否を憂う

 はじめに、私が一番気になっていることから書きます。滝山病院の入院患者で、暴行被害を受けていた方の安否は、今現在どうなっているのでしょうか。身の安全とご本人の安心感が確保される環境にいればよいのですが、まだ滝山病院に入院し続けている可能性も考えられるでしょう。私の知る限り、被害者の安否は報道されていませんし、東京都は公式の場で説明をしていません。滝山病院で開かれている虐待防止委員会では、確認されているかもしれませんが、そこで話し合われている内容は非公開です。どなたか情報をお持ちの方がいましたら、是非教えてください。このことだけでも、東京都に問う必要があると考えています。

 

滝山病院入院患者数の推移

 2022年の630調査を見ると、滝山病院には2022年6月30日時点で152人が入院していました(内訳:生活保護受給者75人、非受給者77人)。今年2月15日に暴行事件が報道された時点では、145人の入院患者がいたとされています(註1)。それが5月に入院患者に対する意向調査が行われた際には120人ほどに減っており(註2)、さらに7月末時点の入院患者数は101人になっているとのことです(註3)。滝山病院の病床数は288(精神255、療養33)ですので、すでに3分の2近くが空床となっています。

 ここからは推測の話になりますが、暴行事件発覚後にまず各市区町村の生活保護行政が、滝山病院入院中の生活保護受給者への意向確認等を行い、転院・施設入所退院などが一部進んだものと考えられます。後述する5月の東京都の意向調査は、生活保護受給者ではない71人の入院患者を対象に行われたのですが、その時点での入院患者数が120だとすれば、残りの50人ほどが生活保護受給者ということになります。2022年630調査からは20人ほど減っており、この方たちの転院・退院(死亡退院も含まれていると思います)の動きが2月〜5月にかけてあったと考えると、数値の辻褄が合うわけです。

 一方、生活保護受給者ではない入院患者にはこの間ほとんど転院や退院の動きがなかったことになります。その方たちへのアプローチはどうなっていたのでしょうか。次に東京都の意向調査のことをみていきます・・・

<以下、全文は、おりふれ通信425号(2023年9月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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退院を進めることで反論しましょう!

精神保健福祉士 細江 昌憲

 

 東京新聞、77日号に日本精神科病院協会の山崎会長のインタビューが掲載されました。精神障害者は地域で生活できない、長期入院は幸せ、といった、まさに傍若無人な放言には、強烈な不快感を禁じ得ませんでした。その前近代的な価値観は、理解も容認も全くできません。そこで、現場で日々みなさんと接する立場から、一言を言わせてください。

 

「まず身体拘束」

身体拘束については、それがトラウマになり、その後の人生に深く暗い影を落としている方は少なくありません。身体拘束を経験した男性は、その状況を拷問と表現しました。象徴的だと思います。

山崎会長は法律に則っているといいます。法律に違反していなければ、何をしてもよいのか。法律の前に人がいるのです。トラウマで苦しむ人がいる以上、それはやめなければいけない。自分に置き換えたらどうか、という想像力が欠如しているなら医療や福祉職に就いてはいけません。

急性期でかなり危険なケースでも、その人の側に誰かがいて見守ることで、しばらくすると落ち着く事がほとんどだと聞きます。そもそも、身体拘束は人の自由、尊厳を奪うのですから、まずはこのような拘束しない実践を医療現場で積み上げていただきたい。身体拘束は言葉としても恐ろしいです。

 

「『長期入院は幸せ』なはずがない」

明日の事もわからない中、アパートで一人で暮らすより、病室で4人でご飯を食べる方が幸せだ、だから、長期入院は幸せだ、と山崎会長は言い切りました。腰が抜けました。

明日のことが分からないのは私達も同じです。それに「退院して地域で暮らす」と「病室でみんなで晩御飯」を比べて、どっちが幸せか、昭和の学生寮の寮母さんならまだしも、誰がどのような立場でなにを言っているのでしょうか・・・

 

<以下、全文は、おりふれ通信425号(2023年9月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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ベてるの家で考えたこと

究極Q太郎

 

 北海道浦河でユニークな精神障がい者の当事者研究を展開しているべてるの家のことを初めて知ったのは、’02年、『べてるの家の「非援助論」そのままでいいと思えるための25章』(医学書院)の書評を依頼されて書く為に読んだ時だった。当時、私は、およそ十年続けてきた地域で一人暮らしをする(「自立生活」と呼ばれる)重度障がい者(脳性麻痺者、筋ジストロフィー等)の介助をやめ、’98年から始まったあかねという場(だめ連というグループの溜まり場として様々なメディアに取り上げられ、『激烈交流スペース」を謳うようになる)のスタッフ活動に専念していた。

 しかし私は、そこを’00年半ば、訳あって離れる。そうして介護の現場に復帰するのだが、そこは以前には覚えなかった困難をつとに感じるような場となっていた。利用者のタイプも変わっていた。自傷他害のある知的障がい者や長年閉じ込められるように施設で暮らしたため、社会性やコミュニケーションの力を奪われた脳性麻痺者など。良心的な給与がそれへの保障としてつじつまをあわせるものであるかのように、増した困難分、労働者としての責任が大きくされていた。以前は関わりの中に預けられた困難が、一人ひとりの責任に委ねられ、そして関わりは希薄化して、介護者同士の引き継ぎ時でさえ話をすることがないという職場になっていたのだった。

 私は離婚して一人で生活していたのだが、ストレスからアルコールに耽溺するようになった。そのうち鬱病や不眠症の薬を処方されるようになる。飲酒した後、薬を飲むチャンポン行為により深夜ボヤ騒ぎを幾度か起こすまでにそれはひどかったのだ。’18年の春。このままでは「滅びる」という自覚があり、酒が飲みたくなった時には散歩しようと思い立った。仕事の後、かならず駆け込んでいた飲み屋に寄るという習慣をかえ、午後7時に仕事を終えた後、11時に帰宅することを目安に四時間かけて歩いて帰るようにした(近道を覚えるとでさほど時間がかからないので、大通りではなく住宅街の路地をでたらめに歩き、それを散歩のインプロビゼーション(即興)()’と称していた。携帯の地図には頼らず迷う日もあった)。必ず帰るのは、家で老犬が待っていたからである。彼が元気だった頃は、夜の散歩に駅前の立ち飲み屋まで行き、一緒に塩をふらない素焼きの焼き鳥を食べていたのだが、腰を痛めて歩けなくなっていた(最後はオシッコシートにさえ行かれなくなっていたので、部屋中の床にそれを敷いていた)。

 やがて仕事の量を週三日に減らす。東久留米に古民家を改修して玄米レストランにしているスペースがあり(そこは子供が遊べる場をあつらえている)、偶然発見したそこの手伝いを週に二日するようになった(いまは水曜日のみ)。それからまた、あかねに出入りするようになり、やがて週に二日スタッフに復帰した(いまはまた離れた)。それ以外の休みの日は長い日で一日十時間ほど歩きまわる。それを「散歩依存症」と称した。依存は依存でも、アルコールから散歩へ。散歩もただ歩くのではなく、気持ちよくなる歩き方を見つけ応用する。例えば、抜けられないように見える道にあえて入っていく。挑むように。その道が抜けられるときに覚える「か、い、か、ん」(by薬師丸ひろ子)。そうこうしているうちに鬱は抜けていた。

 今回の浦河への旅は、ピンクマさんという早稲田あかねの現役スタッフが企画してくれた。彼女は’00年代にべてるにいた人で、その後、仙台の大学に福祉の資格をとるために移住し結婚するものの、夫にDVをふるわれるようになり、逃れて東京へ家出してきたという経歴の持ち主である。高速バスをおりバスタ新宿に降り立った時、所持金がゼロ円だったらしい。けれどもその後したたかに画家として、またべてるの家のメンバーだった経歴をかわれ、脳性麻痺者の医師熊谷晋一郎のもと、東大先端科学技術センターの研究員として働くなど各所で活躍している。

 浦河では、教会の礼拝に参加し、当事者研究の見学をした。見学者には私たち一行の他に刑務所の刑務官たちがいた。元国会議員で自身が服役した経緯を書いた山本譲司の『累犯障害者』には、受刑者の三分の一がなにがしかの障害者であると書かれていた。

 べてるの事務所の一角で行われたものの、見学者がいたせいなのか、一部の人だけが参加し、ほかの人たちが事務所で黙々と仕事、作業をしていたのが気になった。その風景は、私が所属している介護人派遣事業所の光景に似ていた。その後、べてるメンバーと夕食をともにする機会をえた時、かれらからべてるがいま置かれている困難を聞いた。自立支援法施行以降、作業所としての縛りが厳しくなり、以前はのんびりとできたことができなくなってしまった。顔をあわせてもなかなか会話する暇もないほど忙しい。

 私はその話を聞きながら思わず相槌をうっていた。重度障がい者の介護の現場と一緒だ。自立支援法(’05年施行)により、障がい者への介護保障が制度として確立され、仕事としての地位が確立するとともに、デスクワークが増え、かつては緩くできた、様々なことがおざなりにされるようになった・・・

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投稿 患者会・患者自治会の必要性 その4(最終回)

京都市伏見区前進友の会やすらぎの里作業所 入退院5回

コテコテの躁うつ病 キーさん革命の鬼えばっち 江端一起

 

 オレだけ生き延びてしまった、、、、あの信州の精神病院からオレだけが生き延びてしまった、しかもあの病院から運よく生きて出られた患者の中で、『前進友の会やすらぎの里』と出会うことが出来て、またもや、運よくオレだけが『キーサンとしての生きがい』を得て『キーサンの人間関係』の中でオレだけが『生きている実感』を感じているのなら、ソレは恐るべきことである、とソウ想う。許されることではないと想う。だって、えばっちだって『病者運動ボスの活動家』ナンだから、、、

 『当事者運動家』諸氏よ『当事者活動家』諸氏よ『国家資格専門職人権擁護活動家』諸氏よ、それでいいのか、、、本当にそれでいいのか、、、イマの今時にこそ『ピアカウンセラー養成講座』『ピアサポーター養成講座』を批判し尽さなければならない、なんとなれば、このママでは障害者間に最大の『生きがいの格差』をもたらすであろうから、、、すまし顔の猿のようにスーツを着て人前で得々と法律のハナシを語る『当事者』ほど、この『生きる喜びの格差』を意識的に拡げる存在はなかろうに、、、『パラリンピック』を批判し尽さなければならない意味がココにある。『パラリンピック金メダリスト』ほど障害者間の『生きがいの格差』を見せつける存在はなかろうから、、、とすると、精神病患者にとっての、或いは『所謂言うところの発達障害者』にとっての『パラリンピック金メダリスト』とは、ドンな存在であろうか、、、そう、みなさん御想像のとうりであろう、、、

 ソウなのである、すなわち、自分の活動と論文と国会と外国旅行のために、自分が味わったこともないような、精神病院のコトや精神診療所、閉鎖病棟や保護室や五点張りや電パチや、看護士精神医の暴力や、クスリ飲んでない奴がナンで大量投薬や大量減薬の害を言いつのって、まるで自分がやられたかのように喋る、これは、もはや同じ『病者なかま』を『利用』し尽した『生きがいの搾取』であろう。そう、もはや、『無仁義病者運動ボス』の『利用』し尽くす『オモタい病者なかま』への『生きがいの搾取』である。コレはひょっとすると『良心的一所懸命のスタッフ』達の『モノ言わぬ通所者』『依存してくる利用者』側への『必要とされる実感の格差拡大』よりも、悪辣極まりないことかもしれないと、想うのである。だって『酷な』言い方かもしらぬが『一所懸命やる良心的スタッフ』は確かに、病者のセーカツを支えてはくれてイルのだから、、、特にPSW系は、実質のセーカツの糧を入れ込んでくれるわけなのだから、、、

 とすると、『無仁義病者運動ボス』の『利用』し尽くした挙句の『オモタい病者なかま』への『生きがいの搾取』とは、、もはや『生きる実感いのちそのものの盗人』であるとシカ言いようがない、、、倫理的に許されることなのであろうか、、、酷な言い方ではあろうが、『精神病者解放運動の本筋』がコレに為ってシマッてきたのが、精神の当事者運動の不幸の一つだと想うのだが、ドウであろうか、、そして遂には『無仁義病者運動ボス生きがい搾取者』『精神病患者の生きる実感盗人』とシカ言いようのないような者までも登場である。コンな者までもが、登場したのである。怖ろしいことだ。しかも、しかもである、『被害』の実態を公表し批判することも出来なくなり掛かっている、コンなていたらくだから、とにもかくにも『活動家は喋らない方がいいに決まっている』と叫びたくなる。

 

 だから、『選ばなければならない』と想うのである。『選べる』状況がセッカクにイマの今時に出来得かかっているのであれば、、、、もちろん、『選び得る』状況が事態が出来得ていることが前提なのである。だから『イマの今時の良心的素晴らしい福祉』の場でこそ、、、なのだけれど、、、特に特に『支援者』はドウするのか考えないといけない、福祉の大学なんかでは教えてくれないのだから、、、『契約関係』のママでいいのか『人間関係』を目指さなくても良いのか、『サービスの供給専門職』のママで『サービス提供者』のママでいいんですか、、、『スタッフダチンコ』を目指さなくても出来てしまえるのか、、、『する側』『される側』を踏んまえた上で、で考えてもらいたいと、そう想う。そう、キビし過ぎるかもしれない、だから、ココは強くは言えない、、、でもチョットだけ、、『利用者』としては『サービスの受益者』のママでいいのかい、『キーサントモダチ』を目指さないのかい、『群れて』『支え合って』『助け合って』『キーサントモダチ』を目指さないのかい、、、『問い詰める』ようなことに為ってはゼッタイにダメだ、だって、『自分の意向』を聞いてはもらえなかった人生なんだから、、だから、ゴメンよ『問い詰める』ようなことになってはいけないゼッタイに、、、したらアカンとそう想う、、でもでも『患者自治会』を目指して『キーサントモダチ』に為りませんかと呼びかけ続けたい、、、『問い詰める』ようなことに為ってシマワないように、、、『サービスの受給者』のママで『サービスの受益者』のママで『サービスの利用者』のママで『サービスの量と質の奪い合い』のママでいいんですか、、、

 だがしかし、でも、一方で、ココは、再度再度大声で叫んでおこう、特に特には特に『病者運動ボス』はドウするのか『パラリンピックの金メダリスト』に為ろうとするのか『キーサントモダチ』を目指そうとするのか、、、ともあれ『無仁義病者運動ボス生きがいの搾取者』『精神病患者の生きる実感盗人』は在り得ない外道の所行と想うが、、、

 

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伊藤時男さんの精神国賠傍聴記

根間 あさ子

 

伊藤時男さんの精神医療国家賠償請求裁判の第12回口頭弁論が725日に東京地裁にて行われました。 

 私は、開廷時刻の10分前位に着いたのですが、とても多くの人がロビーに集まっていました。いつにも増した熱気を感じました。間もなくいつもの103号法廷に入りました。100人入れる傍聴席は空席がとても少なくて、人数が数えにくいくらいでした。精神国賠研のホームページによると傍聴者は約80名、裁判後の報告集会の参加数がZOOM参加も含めて74名でした。酷暑の中、本当に多くの方々が今回の裁判に駆けつけて下さったのです。裁判内容については精神国賠研のホームページをご覧ください。次回、第13回口頭弁論は1024日火曜日の16時開廷です。また、多くの方々の参集を待ちます。

 さて、報告会では今回も様々なお立場の方々がそれぞれの思いを込めて発言されました。裁判の本筋、伊藤時男さんは国の精神医療施策の不作為の結果、長期の入院を強いられたもので日本国憲法に違反している、という主張とは少し離れたものも決しておろそかにされず、真摯に受け止められて、互いに傾聴し合うのです。毎回、様々な今の精神科医療の問題点が体験者の切実な思いとともに話され、それぞれに胸を打つ言葉にあふれています。そしてそれを聴くその場の皆さんが、発言者一人ひとりの思いを共有するのです。参集して下さる皆さんのこの国の精神科医療を何とかしてまともな、真に「医療」と呼べるものに変えていきたいという熱意が伝わってきます。

 今回は、例えば、不適切な薬物治療による酷い副作用に苦しむ人、ピアサポートは活動する人の善意に任されていて経済的な基盤を持っていないこと、などが語られ、それに対して伊藤さんがご自身の体験を語り返し、多くの精神医療を受けている人々の悩みや苦しみが他人事でなく共感を持って受け止められる場となるのです。私はこの報告会や毎月の月例会で語られる一つひとつの切実なエピソードを多くの人々が共有して下さることで、私自身が体験した傷もまた、その場で癒やされていくように感じるのです・・・

 

<以下、全文は、おりふれ通信424号(2023年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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投稿 患者会・患者自治会の必要性 その4(中)

京都市伏見区前進友の会やすらぎの里作業所 入退院5回

コテコテの躁うつ病 キーさん革命の鬼えばっち 江端一起

  『必要とされている実感』がなければ、『必要とされる場』が無いと、ヒトは生きてはいけない。だから、『役割』を見つける。『必要とされる関係』をこしらえていく。『支え合って生きる』と云う『役割』を自分たちでこしらえていく。それぞれが必要とされる場を自分たちでこしらえていく。必要とされている実感と人間関係を場を共にしながらこしらえていく。『支え合って生きる』だからコソのキーサントモダチなのである。ヒトは、特に弱いものは『群れ』ることでしか生きてはいけない。ヒトは一人では生きてはいけないから。『本物の生きがい』が必要だから。『本物の生きる実感』を求めるのだから。『人である限り生きなければ』ならないのだから、、、『よりよく生きなければ』ならないのだから、、、『右肩上がり』ではなく『社会復帰路線』『働く権利』ではない、の、だけれども、そう『よりよく生きて』いきたいのである。ソレを奪ってほしくないのである。『本物の生きがい』を見い出して『生きていきたい』のである。

 でも、だからこそ、『一所懸命ガンバッているスタッフ』側からの「今、これだけ充実しかかっている精神福祉の中で、私たちの実践の中に、今何故にココに必要があるのか」と云う問いに答えなければならなくなった、、、、、生き延びて生き延びて生き延びて『やっとこさココにたどり着いて優しいスタッフに囲まれて生保も年金も貰えるようになったし、訪看の看護婦さんもヘルパーさんも来てくれるようになって優しいし、ご飯も作ってくれるし、もうコレでいいやと感じている通所者利用者』側からの「今何故にココに必要なのか」と云う問いに答えなければならなくなった、、、

 そう、『素晴らしいよくやるスタッフ』と『通所者』が『福祉サービスの供給者受益者』に為ってしまった時に、『スタッフ側の愛とやりがい』に囲まれてしまった時に、取り返しのつかないようなことがおきてしまうのである。『通所者』『利用者』側の病者にナニが惹起されてしまうのか、ナンと「前進友の会やすらぎの里作業所みんなの部屋」でナニがひきおこされてシマッタのか、えばっちは、見てきたからなのである、、、病者間に『支え合って生きる』ではなく『足の引っ張り合い』がおきてしまうのである。そう『スタッフ側の供給するサービスの質と量の奪い合い』が始まってしまうのである。

 そしてついにはそう、まるでまるで『ホストクラブのホストの奪い合い』か『キャバクラのお姉さんの奪い合い』のような『福祉サービスの量と質の奪い合い』のヨウなコトに為ってくるのである。『キーサントモダチ』ゆえの『ニクマン』とは似ても似つかないような、、、それでいてスタッフ側は、『やりがい』『生きがい』『働きがい』にまみれて亢進につぐ昂進のあげくに『燃え尽き』の様になりながら、ついには、『依存されることに依存』していく仕儀と為る。詳しくはもうココでは語れない、、、もう嫌なのだ。シンドイのだ。そう、だから、コンな場合に備えて、『福祉サービスの提供の公平性と平等性』を担保せんがためにこそ、『専門職能性』『国家資格』『契約関係』『適正化委員会』『第三者機関』が必要に為ってくるのである。それと、ありとあらゆる『ピアサポート』ダノ『オルタナティヴ』ダノ『アドヴォカシー』ダノ『オープンダイアローグ』ダノ『ノーマライゼーション』ダノ『ラップ』ダノ『アクト』ダノ『リカバリー』ダノと『片カナ用語的おためごかし』が必要に為ってくるのである。ナニかが、決定的に欠如しているのが分からないのか、、、

 逆だ、逆に為らないと、タイヘンなことに為ってしまう。ナニもかもが失われてしまうんだ。『運動的積み上げ』すらも、すらも、失われてシマウコトに為るのに、ソコに気が付かないのか、、、『制度』ダケが『法律』ダケが立派に為って、、、、『本物の人間関係』『本物のトモダチ』を『本物の人と人との本物の関係』の中で、『本物のはたらきがい』を、、『本物の生きがい』を、、、なかまとともに、見い出そうとするジッサイのセーカツのなかでしか、、、『本物の生きることそのもの』を、、、『本物の生きる喜び』を、、、ああああぁぁぁドウ言えばいいのか、、だから、「キーサンセーカツ列伝」で書き綴ったような、ボクたちもそリゃあーーイロイロと、ホンとイロイロはアルんだけれど、アリながらだけれども、コンなカンジの『雰囲気』の『与太話』や『レク』や『旅行』や『関係性』や『ニクマン』や『食事会』や『生きざま』が『死にざま』が『トモダチがい』がみなさんの場にアリますか、と言わなければならないのか、、、こんな『与太話』しながら『ニクマン』まみれになりながら『愉しく』ながらも『シンドく』ヤッていますか、と、、こんな『食事会』やってますかと、、、、

 

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