医療DXと私たちのプライバシー~電子カルテ・マイナ保険証の情報管理について~

【編集部から】前々号の「医療のDX化はバラ色の未来なのか」について、前号に黒岩堅さんの、「医療のDXと精神医療の交差点:バラ色の未来か、それとも新たな分断か」を掲載しましたが、よりシステムエンジニア視点の続編も届いています。編集会議で皆で読み合せましたが、「監査ログ」「操作ログ」「アクセスの粒度」などの単語にひっかかってしまい、何度読んでもちっとも理解できた感がしない私たち。そこで福冨一郎さんが私たちにもわかる解説文に直してくれ、紙のおりふれ通信にはそちらを掲載することにしました。そこでお知らせしたようにこのブログ版には黒岩さんの原文も、解説文につづけて掲載しています。

はじめに

医療がデジタル化(医療DX)する中で、私たちの個人情報、とくに医療情報がどのように管理されているかが大きな問題になっています。特に、「誰がいつ自分の情報を見たのか」を知ることができる「監査ログ(アクセス記録)」の仕組みが重要です。

ここでは、システムエンジニアの視点から、ポイントをわかりやすく説明します。

1.電子カルテの情報管理について

  • 電子カルテとは

病院が患者さんの診療記録をコンピューターに保存しているものです。

  • アクセスログ(監査ログ)とは

「誰が、いつ、どの端末から、どの患者さんの情報を見たか」を記録する仕組みのことです。

  • 今の問題点

電子カルテを作っている会社(富士通、NECなど)はこのログ機能を付けていますが、病院ごとに実際の使い方がバラバラです。

つまり、記録はしているけど、患者さんが「誰が見たか」を確認できない場合もあります。

  • 確認するには?

病院の「診療情報管理室」や「医療情報システム担当」などに、こんなふうに聞いてみましょう。「私の診療記録を誰が見たか(アクセスログ)は残っていますか?希望すれば見せてもらえますか?」

 

2.マイナ保険証を使った情報管理について

  • マイナ保険証とは

マイナンバーカードを使って、保険証代わりにするものです。

  • 自分の医療情報は見れるけど……

「マイナポータル」というインターネットサイトで、自分の薬や病名などを確認できます。

でも、医療機関の誰がその情報を見たかは、患者にはわからない仕組みになっています。

  • 問い合わせ先

何か不安があれば、以下に問い合わせできます。

オンライン資格確認コールセンター(0120-95-0178

マイナポータルのお問い合わせフォーム

 

3.これから求めたいこと

患者が「誰が見たか」を自分で確認できるようにしてほしい

医療者が情報を見た理由も記録するようにしてほしい

見せたくない情報を自分で選べる仕組みを作ってほしい

同意の記録や説明もきちんと残してほしい

 

まとめ

医療のデジタル化は便利になる一方で、患者である私たちのプライバシーが守られる仕組みがまだ十分ではありません。

電子カルテもマイナ保険証も、「患者が自分の情報をどう管理されているかを確認できる」ことがとても大切です。

心配な場合は、病院や厚生労働省、デジタル庁に確認することをおすすめします。

 

|

医療DX(デジタル)化と精神医療の交差点:バラ色の未来か、それとも新たな分断か2

【編集部から】この記事は、前の記事の冒頭に記したように5月1日の「医療DX(デジタル)化と精神医療の交差点:バラ色の未来か、それとも新たな分断か」の続編で、内容が編集部にはむずかしかったので、紙の「おりふれ通信」には解説版を掲載し、ブログにはこの黒岩さんの原稿も掲載しているものです。

精神疾患を抱えた)システムエンジニアの視点から 黒岩 堅

 医療DXの一環として、電子カルテやマイナンバー保険証を用いた医療情報共有における監査ログ(アクセスログともいう=誰が、いつ、どこから、どの患者さんの情報を見たかの記録)の有無や仕組みは、非常に重要なプライバシー保護の観点です。以下に確認方法とポイントを整理します。

■ 監査ログの有無を確認するための観点

1】電子カルテシステム単体での監査ログ

  • 多くの電子カルテベンダー(富士通、NECPHC、富士フイルムなどの業者)は、アクセスログ機能(誰が・いつ・どの端末から・どの患者情報にアクセスしたかを記録する機能)を提供しています。
  • ただし、病院ごとに設定・活用状況が異なるため、「システム上の機能があっても実際に記録・確認していない」ケースもあります。

確認方法

  • 通院中の病院の診療情報管理室または医療情報システム管理部門に対して以下のように尋ねてみてください:

「電子カルテの閲覧履歴(アクセスログ)は保存されていますか?また、希望すれば自分の医療情報に誰がいつアクセスしたか確認することは可能ですか?」

2】マイナ保険証を使ったレセプト情報のオンライン閲覧ログ

  • マイナンバーカードで医療機関を受診した場合、「マイナポータル」(=デジタル庁が運用するオンラインサービス。正式名称は「情報提供等記録開示システム」)というインターネットサイトで、自分の薬や病名などを確認できます。
  • しかし、医療者側の誰が・いつ、その情報を参照したか(閲覧ログ)は、現時点で、マイナポータル利用者には公開されていません。

確認先

  • デジタル庁または厚労省「オンライン資格確認等システム事務局」
  • 一般の問い合わせは以下:
    • オンライン資格確認等コールセンター(0120-95-0178
    • マイナポータル お問い合わせフォーム

■ 問題点・懸念点

項目

現状

懸念点

電子カルテの閲覧ログ

ベンダーごとに存在。ただし活用に差

患者本人が確認できない施設も

マイナ保険証経由の情報共有ログ

医療者側の閲覧履歴は非公開

誰がどこまで見たかが患者に不透明

患者への説明義務

不明瞭(機器操作で同意が取られているが)

実質的な同意か疑問が残る

■ 改善提案と要求の方向性

  1. 「患者自身が監査ログを確認できる機能」の制度化
  2. 医療者側に「閲覧理由の記録」義務を持たせる
  3. アクセスの粒度(処方だけ、病名だけ等)を選択可能にするUI改善(=誰が、どの情報に、どこまでアクセスできるかを細かく設定できるようにすること)
  4. 同意を取った記録の文言・操作ログの保存

まとめ

  • 電子カルテの監査ログはシステムとしては存在しているが、患者が確認できるかは施設ごとに異なる。
  • マイナ保険証での情報共有における「誰が見たか」の記録は原則非公開で、制度的な課題が残る。
  • 確認のためには、診療機関・電子カルテベンダー・厚労省窓口へ個別に問い合わせる必要があります。

    補足
    https://www.soumu.go.jp/main_content/000760676.pdf のP10で下記の内容があります。マイナンバーは住基カードと同様のことは起こりえるシステムとなっております。

|

東京精神医療人権センター総会・勉強会(伊藤さん国賠訴訟)報告

東京精神医療人権センター 中村美鈴

 

毎年4月に開催している東京精神医療人権センター(以下「人権センター」)の総会ですが、おりふれ通信でご案内していたとおり今年は4/20(日)に開催しました。場所は昨年と同じ新宿の就労支援センター「街」の会議室をお借りしました。また、総会終了後は同会場で勉強会も開催しました。今年の勉強会は「精神国賠訴訟の経過報告」というタイトルで、原告代理人でもある人権センター共同代表の長谷川弁護士が講師を務め、伊藤さん裁判の経過の解説をされました。

今年の総会でも勉強会でも、参加された皆さんが積極的に発言され、活発な意見交換がされていたのが印象的でした。私は受付を手伝いながらだったので聞き逃したところもありますが、当日の様子を報告させていただこうと思います。

 

【人権センターの総会】

参加者は、人権センターの運営委員メンバーの他に、当事者、支援者、大学教授、医師などで15人ほどでした。

2024年度の活動報告について

<相談活動>

電話件数:延べ374件、メール等相談:56件、病院等での面会:31件(対象:10人)

<その他の活動>

精神科病院入院者訪問事業の東京都事務局との事業運営等に関する意見交換、千葉精神医療人権センター立ち上げ準備会との意見交流、東京三弁護士会の退院請求プロジェクトチームとの意見交換、清瀬・東久留米社会福祉士会での講演会、みちのく記念病院問題についてのNHKからの取材対応、人権センターの新リーフレット作成および配布、滝山病院問題への取組み活動(「滝山病院にアクセスする会」の構成団体となる)等

 

1年間を振り返ると、相談・訪問以外でも様々な活動を行ってきたなと実感します。上記活動報告と決算報告の後、訪問面会のざっくりとしたケース紹介(個人や病院が特定できない範囲で)を行いました。参加者から「訪問した病院のレポートはあるのか?」という質問が出ましたが、現行では病院別の記録はとっていないため、今後の検討課題となりました。また、本人が「退院したい、したくない」で揺れているケースについて、「そういう当事者が多い。『退院したくない』の奥にどんな思いがあるか、本人の話す内容から探れないか」という意見が出ました。このケースについては本人の意向確認が難しい方のため時間がかかりそうですが、本人の発する言葉の奥にどんな思いがあるのか、という視点を自分も持てるようになりたいなと個人的に思いました。

 

2025年度の活動方針について

2024年度と同様、基本の相談活動(電話相談と訪問面会)を行いつつ、その他の活動も必要に応じて行っていくという内容でしたが、参加者の方々から以下のご意見をいただきました。

・病院訪問を再開してもよいのでは(全部でなくとも一部でもいいから)。受け入れる病院もあるはず。例えば今年度は何件訪問すると目標を立てるとか、議論していってほしい。

・人権センターの存在を入院患者にどう周知していくのか、もう少し考えた方がよい。例えば家族会にアプローチするとか。会員を増やすために活動をもう少し広げていってほしい。せめて病院関係者には周知されるようになってほしい。

・大阪精神医療人権センターのノウハウを導入した方がよいのでは。

 

運営委員会からは、急に大きなことは体制的にできないので、できる範囲の中で検討していくとお答えし、2025年度の活動方針・予算・体制について承認いただきました。また、当事者の会費が安くなると嬉しいというご意見もいただきましたが、当事者の方は年会費3,000円のうち、ご自分の出せる範囲でよいことになっています。「知らなかった!」という方もいらっしゃり、改めて運営委員会よりご案内し・・・・・・

 

<全文は、おりふれ通信433号(2025年5/6月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

 

 

|

4.23精神国賠傍聴記

Photo_20250718183101

本人の意志を顧みずまわりが勝手に決めていく
そういう社会はいつ変わるのか?        ピープルファースト奈良支援者 渡辺哲久
4月23日、伊藤時男さんの長期入院国賠訴訟の控訴審にピープルファースト奈良3名で参加しました。裁判長は事実調べの申請を却下、即日結審しました。地裁の不当判決を見直さないという宣言なので、敗訴が確実です。でも伊藤さんは「裁判には負けても、少しでも何かを残せれば」とおっしゃっていました。伊藤さんが入院中に、退院したいと言って退けられ自殺したなかまのこと、鉄格子の部屋に閉じ込められたけど隙を突いて飛び出し、池に飛び込んで溺死したなかまのことを話されていました。
「法に基づいてやったから合法」というのは、優生保護法裁判で国が主張し続けた主張です。まだ言うか。「本人は退院の意志を明確に伝えていない」というのは、優生では「除斥期間の20年の間に訴えを起こさなかったから無効」と言われてきました。「差別があり支配されていたから訴えられなかった」と優生の最高裁判決は言っています。
報告集会では、渡辺から「優生保護法の裁判では、地裁判決で当初7件敗訴が続き、2022年に大阪と東京の高裁で逆転勝訴して以降の地裁判決は6件すべてで勝訴。最高裁が差別を認め完全勝利しました。国が除斥期間を主張するのは職権濫用とまで言いました」と優生手術裁判の経験を報告。参加したピープルファースト奈良の阪本里恵さんは「私は入所施設に入ったことがあるが、何もかもまわりが決め、私の意志は関係なかった。自分の意志では出られなかった」と発言。同じく西本春夫さんは「生まれてすぐ乳児院に入れられてから32年施設にいました。そこで生きていくのに精一杯でした。施設を出て仕事がうまくいかなくて精神科にも入院しました。7月10日の判決も来ます」と発言しました。
精神病院と入所施設
入所施設をなくせ!がピープルファーストの始まりであり、目標です。今も13万人のなかまが入所施設に閉じ込められています。
ピープルファーストは、この2月に厚生労働省と十数年ぶりの交渉をして、「施設をなくせ」と求めましたが、国は「ピープルファーストが施設をなくせと主張していることは知っているが、施設に入所している人の親の人たち、施設を運営している人たちは施設をなくすなと主張されます。国が言えるのは地域移行を進めることだけです」と相も変わらずの答えです。
この壁を突き破れません。
みんなで力を出し合わないと進めません。それでピープルファースト奈良のなかまで話し合って、「精神病院のことを学ぼう」「伊藤さんの国賠訴訟を応援しよう」と今回初めて参加しました。
2022年9月、国連の障害者権利委員会が「精神病院と入所施設への隔離はやめろ」と勧告したのに政府は無視しています。
みんなで力を出し合って、あきらめないで進みましょう・・・

<全文は、おりふれ通信433号(2025年5/6月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

|

医療DXと精神医療の交差点:バラ色の未来か、それとも新たな分断か

精神疾患を抱えたシステムエンジニアの視点から 黒岩 堅

  1. 精神医療における情報共有のリスクと葛藤
  • プライバシーの深さと共有の危うさ

精神科の診療では、患者が過去の体験、対人関係、内心の葛藤を語り、それがカルテに記録されます。これらは他科の「客観的データ」と異なり、極めて主観的で個人の尊厳に深く関わる情報です。この情報が医療機関間で共有されることで、患者の「語る自由」や「隠す自由」が脅かされかねません。

  • 差別や偏見の温床

現場では、精神疾患が他科で軽視されたり、「精神科の薬のせい」と決めつけられたりする事例が後を絶ちません。情報共有が進むことで、むしろ不当なレッテル貼りや治療差別が助長される危険性があります。

  • 「便宜的病名」や誤解のリスク

保険制度上の都合でつけられたレセプト病名が、電子カルテで他院にそのまま伝わってしまうこともあります。こうした“制度と現実のズレ”は、患者への誤解や不利益な対応につながりかねません。

---

  1. 医療機関ごとの治療方針の違いが生む構造的なズレ
  • 診断名や処方方針の多様性

精神科医療は、大学や病院によって診断基準や治療方針に幅があります。同じ症状でも「統合失調症」と診断されるか「適応障害」とされるかで、患者の社会的な受け止められ方は大きく変わります。

  • カルテ記録の文脈性

記録スタイルも大きく異なります。ある医師は対話を丁寧に記述し、別の医師は評価スケール中心で記載します。その差が共有された際に誤読や偏った判断を招く可能性があります。

---

  1. システム設計上の限界と改善の方向性
  • データは「正しい」か?「意味が通じる」か?

電子カルテ共有の前提は「共有される情報が正しく解釈されること」ですが、現実には医療機関ごとの記録方針・診断傾向の違いにより、“情報の意味”が異なることをシステムは考慮していません。

  • アクセス制御と選択の自由の欠如

現在の設計では、精神科の情報が他科と同様に共有される設計が基本です。患者が「一部情報を見せたくない」と希望しても、その実装は不十分であり、“全てを見せるか、何も見せないか”という二択しか与えられていないケースが多いです。

  • UI/UXの配慮不足

患者が情報共有を「拒否する」選択をするには、直感的で分かりやすいインターフェースと、選択によって不利益が生じないという明確な保証が必要です。現状は、説明不足・誤解を招く設問・心理的圧力などが拒否の自由を奪っています。

結論:医療DXは“誰のため”かを再確認すべき

医療DXの本質は、患者中心の医療を実現することにあるはずです。しかし、現在の制度や設計は、管理効率や行政目的を優先し、当事者の尊厳や文脈を置き去りにしている側面が否めません。

特に精神医療では、診療内容が極めて個人的かつ機微なものであるため、「情報共有=善」と単純に語ることはできません。多様な医療文化や個人の意志を尊重する設計思想、そして分岐可能な選択肢と説明責任を持った運用が必要です。一当事者としては思います。

 

|

医療のDX(デジタル)化はバラ色の未来なのか?

【編集部から】マイナンバー保険証のオンライン確認で、医療機関どうしで患者さんの病名や処方内容などのデータが共有できることについて、さらに進んで将来電子カルテが医療機関どうしで共有された場合の危険性について、一人の精神科医(精神医療ユーザーでもある)から、特に当事者のみなさんはどう考え、行動されるのかという投げかけがありました。以下掲載しますので、当事者の方に限らずご意見などを寄せてくださるようお願いします。

 

きちんと考えがまとまりきっていないので、思いつく順序で書いてみます。

まず、基本的に、個人の医療情報は、そのひとのプライバシーなので、慎重に取り扱うべきであるという観点が、厚労省など、医療DX化を推進するひとたちには、きわめて薄いのではないか、ということ。

一般論としても、セキュリティーの問題が非常に不安。現行の保険制度をつかって、ひとつの医療機関にかかったら、自動的に他の科にも、その情報が行くのが便利でいいことであり、コスパもタイパもいい、精神科の薬をのんでいることもわかるからのみあわせの問題もわかっていい(これは言えるが)と、いいことづくめのような言われ方をされている。本当にそうなのか。

 

現時点では、マイナ保険証を使った場合、共有したくない情報については拒否することができるのだが、機械の質問の読み方で誤解してしまうと、共有に同意せざるを得ないように誤解してしまう。

そして、同意した場合、共有されるのは、1か月前のレセプト病名(保険上の病名)、処方薬剤、受診した医療機関名、受診月日、など。

わざわざ、紹介状、医療情報提供書のやりとりをしなくてすんで便利、という考え方もあるが(救急搬送された場合などは、内服薬の問題は大きいので理解できるが)、医療機関名、病名、処方薬のみをみた他科の医療従事者に、精神科通院中の方が、不利益な扱いをされてしまうことは、ありえることで、そのことを心配している患者さんは、多くいらっしゃる。

マイナと関係なく、以前からあることだが、身体症状を訴えて受診しても、すぐに身体疾患の診断がつかない場合、ほかの可能性をまともに探らずに、精神科心療内科を受診している人は「精神的な問題でしょう」と片付けられがちで、まともに扱われない。あるいは「精神科の薬のせいでしょう」などと、今までの流れを無視して言われがち。(精神科の薬なら、なくてもいい、簡単に減らせる、となぜか他科の医師に考えられがち)

それと、大きな声ではいえないが、レセプト病名は、最善と思われる処方にするために、保険適応が通るように便宜的につけられている病名もある(実際の診断名とはちがう)ので、うのみにされても困る。(これは、精神科に限らず)不安が強く心気的でいろんな医療機関を次々に受診していたり、うまく症状を伝えることが難しい人もいるが、そういう方は、本人の了承の上での情報提供書のやりとりか、誰か支援者が同行する方が有益と考える。

近い将来、電子カルテが義務化されると言われており、その目的のひとつが電子カルテの医療機関どうしの共有化(と政府?によるビッグデータ集め?)のようだが、こちらのほうが、私が非常に危惧していること。

精神科の診療では、患者さんが、様々な事象や対人関係についての自分の感情や葛藤、過去から現在までの自分の歴史、などさらけ出す(もちろん、すべてを語るわけではないにしても、たとえ1割未満にしても)ことをしている。自分の「内心」を語るもの。

そのすべてがカルテ記載されるわけではないにしても、カルテの記載内容も、他科とちがって、本人の訴えや治療者とのやりとりについてが多いので、他科のような「客観的」「中立的」「事実そのもの」的にはなりえないし、記載する治療者による「ひとつの視点にすぎない」と言ってもよい。(カルテ内容を絶対視されすぎても、危険だと思う)

また、精神科カルテが、他科の医師あるいは医療従事者に簡単にみられてしまう、みられる可能性がある、ということは、自分の内心を必要のないときに他者に隠しておく自由を奪われる、いわば「究極の個人情報」が漏れ、「個人の内心の自由」を侵害されるように感じられる。

もちろん、「共有に同意しない」という選択肢は、おそらくできるはずだと思う。でも、「共有が前提」という制度の中で拒否すると、そのことで不利益が生じないのかどうかが、不安。少数派のわがままとして、「共有を拒否するひとは、治療上の不利益が生じても致し方ない」で、どんどん制度が進められてしまわないだろうか。

 といったことを皆さんは、不安に思いませんか。

 

 

|

ピア・レスパイトとは?

松田 博幸

すでに精神科病院に入院している人が地域で暮らせるようにするということは、いうまでもなく、とても重要なことであるが、加えて、地域で暮らしている人たちが精神科病院に入院せずにすむようにするということもとても重要だと思う。そして、後者を実現するにはどうすればよいのかを考える際に、アメリカにおいて、当事者の運動から生まれ、展開されるようになったピア・レスパイト(ピアラン・レスパイトとも呼ばれる)について知ることが、とても参考になるのではないかと思う。以下で、ピア・レスパイトとはどのようなものなのかを示すことができればと思う。

個人的なことから書き始めたい。

一昨年の11月に長年連れ添った連れ合いが突然倒れた。私は救急車を呼び、連れ合いは病院のICUにおいて意識のない状態で治療を受けることになった。てんかんの発作とのことだった。状態はどんどん悪くなり、いつ亡くなるかわからない状態になった。ほぼ奇跡的に命は取り留め、その後意識は戻ったが、脳が委縮し、私のことも含め、記憶がほとんどなくなってしまったことがわかった。その後、状態が悪くなり、身体は動かなくなり、言葉を発しなくなった。現在は寝たきりで、意思疎通ができない状態で施設に入所している。

精神医療、精神保健福祉の領域においてクライシス(危機)という言葉が使われる。ようするに、心の調子が崩れてどうしようもなくなる状態のことであるが、一連の出来事を通して、私はクライシスを何度となく体験した。それまで当たり前に存在していた「日常」が壊れてしまった。そして、常識的な考えや価値観がまったく役に立たなくなってしまった。住み慣れた家を焼け出されたような感覚をもつようになった。「日常」や「常識」とは違う何かを頼りにしないと生きていけなくなったが、その「何か」を自らの手で見つけ出す、あるいは、創り出すしかなくなった。

 そんななか、私の助けになったのは、他の人たちとのつながりや、苦しい状況を生きのびた人たちの言葉だった。薬も役に立ったが(抗不安薬のおかげで、自分の状態を他の人たちに向けて書くことができた)、大きく役に立ったのはそれらだった。

 また、生きるというのはどういうことなのか、生命(いのち)とは何なのか、意思疎通のできない人とどうやってつながればよいのかなど、「常識」は答えを出せない問いに自分で取り組まざるをえなくなり、そうすることが私の生活や人生そのものとなった。世界観が一転した。

 私がそのような状況に置かれているなか、このたびピア・レスパイトに関する原稿の依頼を受けたことは、何かの縁があったようにも感じる。なぜなら、ピア・レスパイトというのは、まさしく、人が体験する、以上のような状況に対応するものだからだ。

 アメリカにおいて展開されているピア・レスパイトは、人がクライシスにあるとき、短期間滞在し、精神科病院への入院を回避することができる場であるが、クライシスの体験をもつ当事者がスタッフを務め、当事者主導で運営されている。医療の場ではなく、病院とはまったく雰囲気が異なる。私も実際に訪問したが(アメリカ、ニューヨーク州の「ローズ・ハウス」)、病院とはまったく異なる場で、人が安心して休息できる場だと強く感じた。(トイレを借りたが、小さなプレートが置かれており、「希望」(Hope)という文字が描かれていたのも印象に残っている。)

2020年に、アメリカにおいて、全国にあるすべてのピア・レスパイトを対象として実施された調査(「ピア・レスパイト基本概要調査」(Peer Respite Essential Features Survey)によると、14の州で計32のピア・レスパイトがあり、27が当事者運営の組織によって運営され、3つが自治体(州、郡、など)によって運営され、2つがそれら以外のサービス提供組織によって運営されていた。予算については、半分を超える18$200,000-$499,000に分布しており、各ピア・レスパイトの資金源の割合を平均すると、最も割合が大きかったのが州政府(メディケイドは除く)であり(53%)、ついで、郡などの自治体であった(28%)。滞在可能な定員は、最少が2人、最多が20人であり、平均は4.6人(中央値は4人)だった。また、滞在可能な日数については、1つが最長日数を定めていなかったが、残りの31については、最短が5日、最長が30日、平均は8.5日(中央値は7日)だった。

次に、ピア・レスパイトで何が生じているのかを述べたいが、何を述べればそれがもっともよく伝わるのだろう? まず浮かぶのは、ピア・レスパイトに滞在した人の体験談を紹介すること・・・・・・

<全文は、おりふれ通信442号(202544月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

|

東京地裁の敗訴判決から東京高裁の控訴審へ

精神医療国家賠償請求訴訟研究会代表 古屋 龍太         

 

1.はじめに

  精神医療国家賠償請求訴訟(以下「精神国賠」と記します)の経過については、これまでも本紙で何回も取り上げていただき感謝しています。他の方が既に書かれているように、裁判所の法廷を舞台に精神医療に係る様々な問題が問われてきました。ここでは、東京地裁判決後から控訴審開始に至る経過を報告します。

2.東京地裁における敗訴判決

精神国賠は2020930日の提訴以来、ちょうど丸4年後の2024101日に東京地裁における第一審判決が出ました。

地裁判決では、原告の入院形態その他の事実関係と、原告への権利侵害との因果関係については、被告国側の主張を全面的に採用し、原告固有の事情によるものとして国家賠償法上の請求を棄却しました。それ以外の争点については、検討するまでもなく原告の請求には理由がないとして、争点になっていた日本の強制入院制度や精神医療政策に係る一切の判断を避けました。想定以上の不公正で不誠実な不当判決でした。

判決報告会には、163名の方が参加されました。原告の伊藤時男さんは、「訴えが棄却され、不当判決だと思っています。社会的入院や施設症の人は未だに苦しんでいます。あの人たちに合わせる顔がない。国の責任を問い、最後まで、最高裁まで控訴して戦うつもりです」と挨拶しました。

判決に立ち会った参加者が最も違和感を感じ怒ったのは、判決文中の「公知の事実」という文言でした。厳格に法を適用すべき裁判所ですら、精神障害者に対する強制入院の必要性は「公知の事実」と断じ、当たり前という感覚で済ませています。この日本社会における精神障害者に対する人権感覚の鈍麻は、長年にわたる国策により作り出されてきたものです。裁判官を含む司法関係者とて、その例外ではないことを地裁判決は明白に示しました。狭い山道を縫って進むような精神国賠の裁判の難しさも映し出しているといえます・・・

<全文は、おりふれ通信441号(2025年3月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

|

問題のある病院での勤務を経験して

匿名精神保健福祉士

 

問題のある病院(仮にA病院とします)での私の経験についてお話をさせていただきますが、このA病院に関して憶測に基づいた確証のない情報を周知拡散する行為は絶対にやめていただきますようお願い申し上げます。

 

まず初日から驚きがありました。A病院では学歴によって給与が異なります。私自身の学歴については履歴書への記載はもちろん、面接の際も話題になりましたので、当然それに基づいた高い方の給与が採用されると考えておりました。しかし差し出された雇用契約書に記載されていたのは低い方の金額です。募集要項に記された条件を示しながら事務長に「間違ってますよ」と伝えたところ、「え?そう?それなら試用期間が終わったらその金額にするから、それまではこのままでいいね」ということで押し切られてしまいました。私の力不足であるのは承知の上です。ただ、こんなものは序の口に過ぎませんでした。

 

翌日から本格的な勤務が始まり、最初に任されたのは診療報酬の不正請求に関連する業務でした。それまでも長い間通常業務として行われていたらしく、入職2日目の立場でそれを丸々拒否することは当時の私にはできませんでした。上司に対して「これはやっていいことなのでしょうか」と何度か確認はしたものの、「どうなんだろうね」とはぐらかされるのみでした。退職の際、事務長へ「この〇〇〇〇のやり方は問題です」とお伝えしましたが、返ってきたのは「でも患者から苦情が出ているわけじゃないよね」という開き直りとしか考えられない発言でした。

 

最も衝撃的だった事件が起こります。私はまだ試用期間真っ只中で、外部からの連絡を受ける権限すらありません。

A病院は常に満床に近い状態をキープしている「経営的には」非常に優秀な病院ですが、その時期は若干の空床がありました。それが直接関係しているかどうかはわかりませんが、元入院患者であるXさんについて、次の外来に来たところで入院を告げ、そのまま病棟に入れるという方針を院長が決定したとのことでした。その入院が必要となる理由についても上司から聞きましたが、それは自傷他害等とは程遠いもので、なぜそれで入院になるのか私には理解ができませんでした。

迎えた当日、院長から入院を告げられたXさんは当然それを拒否します。「予定があるので無理ですよ。困ります」と極めて理性的に、全く暴力的な素振りは見せずに訴えていました。

この直前、私は受付近くのベンチに座っていたXさんと少しだけお話をしています。スマホでYouTubeの動画を観ていらっしゃったので、「〇〇が好きなんですか?」と聞いたところ、「好きです」と応えてくださいました。「お住まいはどちらでしたっけ?」という質問にも「〇〇です」と応えてくださいました。そもそも一人で問題なく通院できる方です。疎通も問題ありません。そして本当に穏やかな方なのです。

そうこうしているうちに、ある看護師が合流し、Xさんに優しい口ぶりでこう言いました。「じゃあ今日は検査だけしよっか」と。私の無知が心底恥ずかしいのですが、これを聞いた私は入院しなくて済むのだと素直に受け取ってしまいました。それが精神科病院で使われてきた常套手段だとは何も知らずに。

それから数時間が経過し、別件で病棟を訪れた際に見た光景は今でも脳裏に焼き付いて離れません。そこには数時間前に一人で来院し、YouTubeを楽しんでいた人物とは到底思えない、Xさんの変わり果てた姿がありました。車椅子に乗せられ、オムツを履かされ、表情からは完全に生気が失われていました。

別の職員に何があったのか聞きました。「Xさんは連れて行かれてすぐ注射。そのまま電気ショックだよ」ということでした。ちなみにA病院には麻酔科医がおりませんので、電気けいれん療法は修正前のものになります。周囲の看護師は「Xさんは待合で倒れちゃったことにしようね」と口裏を合わせていました。さらに驚くべきはその入院形態です。皆さんはどれに当てはまると思われますか。A病院では、これを「任意入院」として扱っております。

この事件以前から診療報酬の不正請求に加担することはできないという理由で、試用期間満了前に退職する意思はある程度固まっていましたが、ここで決心しました。そして問題はこの情報をどうするかです・・・

<全文は、おりふれ通信440号(2025年2月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

|

第67回日本病院地域精神医学会 兵庫大会に参加して

ジャーナリスト 月崎時央

 

震災を越えた学び舎で、共生ための対話を
 私は、メンタルサバイバーチャンネルという当事者メディアの世話人を務めています。メンタルサバイバーチャンネルは、精神医療の現場における向精神薬の減薬と回復、また依存症の問題をテーマにした情報発信や交流活動を続けています。
 今年2024年も1130日と121日に兵庫県神戸市長田区のふたば学舎で開催された「日本病院・地域精神医学会総会」に参加しました。この学会にはほぼ毎年参加しています。
 会場となったふたば学舎は、戦前の1929年に建設され、2008年まで小学校として使用されていた歴史的建物です。
 
この建物は戦災や震災を免れ、現在は地域のコミュニティセンターとして活用されています。長い木の廊下や高い天井、漆喰の壁など、どこか懐かしさを感じる美しい空間が特徴で、私にとって大変印象深い場所でした。
 
この学舎は、1995年の阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた長田区の大正筋商店街からわずか150メートルの位置にあり、震災後の地域復興の象徴的な存在でもあるそうです。会場そのものが持つ歴史や震災との関わりが、今回の学会のテーマである『共生・対話・多様性』とも重なる印象を与えてくれました。

神戸の港町が語る、ヘロインと震災の記憶   

 私は、向精神薬の減薬と回復についての取材を10年近く続けており、依存症や離脱症状に深い関心があります。
 そのため、今回の学会では、大会長である麻生克郎医師(公益財団法人復光会垂水病院 副院長)による基調講演『神戸が経験したヘロイン蔓延を振ふりかえる』と、市民講座公開シンポジウム『震災から30/人と地域の回復』という2つのプログラムを特に興味深く聴講しました。
 麻生医師は1960年代と2000年代に神戸で起こった2回のヘロイン蔓延について詳しく語りました。港湾都市であり、多様な文化的背景を持つ人々が集まる神戸が、その地理的特徴からヘロインの流入地となり、特に震災後にはベトナム難民がターゲットになったことを私は初めて知りました。
 1995年の震災直後には、多くの難民が被災者としてテント生活を余儀なくされ、その状況を悪用する形でヘロインの売人が現れたという話は、震災と薬物問題の結びつきを示す衝撃的な例でした。この問題に対し、難民支援組織や医師たちが連携し、オピオイド依存症の拡大を防ぐために尽力したエピソードが印象に残りました・・・

<全文は、おりふれ通信439号(2025年1月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

|

«映画『どうすればよかったか』感想